傘をさす

いつもの前置き

 人間はいつも何かを選択していて、それは例えばレポートの優先順位だったり、友達と何処へ飯を食いに行こうということだったり、もしくはレポートの優先順位だったり、夕飯の具材はどうするかということだったり。あるいは、レポートの優先順位だったりする。とどのつまり、今僕はレポートを何から手をつけようかなと悩んでいるわけだ。正確には、レポート作成時に使用すると思われる論文を読み込む順番について悩んでいるわけなのだが、まあ実質イコールみたいなものだと思う。こうしてウダウダ考えているのはとても楽しいもので、それは試験期間中に机の片付けが楽しくなってくる現象に似ている。つまり”悩む”というのは僕にとって良い逃避方法である、ということなのかもしれない。多分。きっと。恐らく。知らんけど。

心には天気が存在する

 なんだこの意識高い自己啓発本みたいな見出し。

 

 人間をしていると、「しんどいなあ」とか「つらいなあ」とか、あるいは「楽しいなあ」「嬉しいなあ」という感情を抱くことがよくあると思う。その時、例えば楽しかったり嬉しかったりしたら胸がスッキリしたり妙に身体が軽かったりするし、しんどい、或いはつらいと感じる時は胸に何かが詰まったような感覚を持ったりするのではないだろうか。僕はそれを心の天気と呼んでいる(もう大昔から使われている言い回しではあるが、それだけ大勢の人にとっては正しく心というものを表しているのだろう)。

 そのシステムはとても簡単だ。楽しい、嬉しいといったポジティヴな感情を持っている時は「晴れ」。なんか複雑な気分の時は「曇り」。何も感じられなくなったら「雪」、そして何かがあってしんどくなったり辛くなったりしたら「雨」……というような大まかな定義のもと、僕の心で目まぐるしく変化している。その時降ってくる雨粒は、例えば他人から突きつけられたこころない言葉やとても受け入れられない価値観、または自分で自分を責めようとする心。あるいは絶望や無力感だったりする。そして心の中には軒先が存在しないので、それらは躊躇なく僕に降り掛かってくるわけだ。その雨は非常に鋭く、僕は雨粒が刺さるたびに歯を食いしばりながら堪えている。耐えている。雨が止むのは何時だろう、と考えながら。もしここで中途半端に上を向いてしまうと、雨が目を刺してくる。心の視界が奪われ、何も見えなくなってしまう。だからずっと下を向き続ける。雨が止んだら乾燥させる。自分を干す。乾いた。雨が降る。濡れる。雨が止む。干す……その繰り返しだ。

 しかし、そんなことばかり続けていたらいずれ心の中の僕は風邪を引き、挙句の果てには死んでしまうだろう。心の耐久力にはたいてい限度があるものだ。故に、ずぶ濡れになる前に傘を差す。風邪を引かないために。

”価値観”の傘

 価値観と見出しには書いているが、これは美意識と言い換えてもかまわないのかなと僕は思う。

 美意識とは、

 美に関する意識。美しさを受容したり創造したりするときの心の働き(デジタル大辞泉)

 を指す言葉である。「これはいいと思う」「これは綺麗だ」などと思う心の動作と考えてもらえばよいだろうか。

 では、価値観の傘とはそのような『自分はこれが好きだ』といったような想いで出来ているのか?

 そう聞かれれば、「間違いではない」と答えるだろう。しかし。

 では、『自分はこれが好きだ』『これは綺麗だ』といった想いで傘を組めがよいのか。否である。そんな綺麗な感情ではすぐに骨が折れてしまうからだ。半端に純粋な価値観では脆いのだ。綺麗な感情は他人からぶつけられる嫌な感情に弱いから。ゆえに否。寧ろ、僕は美意識や価値観から生まれる"思い上がり"や"傲慢さ"、例えば「ハッ、こいつら何も分かってねえな雑魚め」という、ドロドロとした考え方を傘のパーツとして推奨している。

 このパーツで作られた傘は本当に頑丈だ。急造のものでも、大抵の雨粒をシャットアウトすることができる。自分で自分を責めようとする心や言葉までは流石に厳しいが、なんやかんやでダメージカットはしてくれる。「俺が一番だ」という根拠のない自信。これは傲慢だ。しかしながらこういった思い上がりや傲慢というものは前向きな感情から生まれやすい。そういった前向き思考は、何処ともなく生まれてくる絶望感や無力感すら跳ね飛ばす力がある。うォォン。

 相手を理解しようとしすぎて雨に濡れる人は多い。確かに相手の考え方や意見を理解しようとするのは大切だが、ではそれを受容しなければならないかと言われればまた別の話だ。バカ正直に全てを受け止める必要はなく、時には「知るかボケ、合わんもんは合わんのじゃ」という割り切りや「あ、そ」で流す心を持つことだって大事なのだ。身勝手の傘を差していけ。

 余談ではあるが、僕の傘のパーツの一部は「僕より出来ない奴がピーピー喚くな」「僕のほうがそれ詳しいから」「いつも冷静な僕すごい!」といったもので構成されている。改めて文字に起こすと非常に性格の悪さが窺い知れるというものだ。しかしながら、僕はそんな性格の悪い自分が好きなので恐らく改善することはないだろう。


 価値観の傘を造るコツは自己を受け入れることだと思う。例えば僕のようなネガティヴ人間が「あいつ馬鹿なくせによくもまああんな偉そうに喋れるよな」と考えたたとしよう。するとこのあと「自分だって馬鹿なくせにこんなことを考える資格はない。こんなことを考えてしまう僕は駄目でどうしようもない人間だ」という方向へと考えてしまう。こうして自分を否定し、卑下することで弱い自分を守っているのだ。だからまずは「他人を馬鹿にしてしまう自分がいる」ということを受け入れる。そしてそれを自己卑下につなげるのではなく、一度保管して傘に組み込む。繰り返していくうちに、無根拠の自信と自己肯定で出来た傘が出来上がる。

 僕が造り上げたできたてほやほや、おニューな価値観の傘。これがあれば雨の日でも雪の日でも、これ一本で歩くことが出来る。足元が濡れても身体までは濡れない。傘に弾かれる雨粒の音は、中々にいい音がする。

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