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サバイバル・カヌー inニュージーランド(前半)

ニュージーランド旅で出会った方々のお名前は、いずれも仮名で表記しております。

(1)大自然を相手にするグレイト・ウオーク

海外旅行に求めるものはいろいろある。まだ見ぬ怪しい国、未知なる人との出会い、プリミテフィブな暮らし、風光明媚な景色、美味しい料理、大自然との対峙など。その中でも前半の3項はアジア・アフリカの旅に期待するものであり、後半の3つが全て揃っているレアな国の1つがニュージーランドだろう。

しかもニュージーランドの人々は常に笑顔だ。街で会う人達はみんな自然な笑顔だ。特に、ニュージーランド航空の機内安全ビデオラグビー編やホビット編、アドベンチャー編など実に愉快だ。もう1つ、ハチミツ入りのホーキーポーキー・アイスクリームも忘れられない美味しさだ。

そして、旅するたびに違う鳥の鳴き声を聴く事ができるのもこの国に惹き付けられる由縁だ。それも、単調なものではなく4音節で特徴のある鳴き声だ。チチリ、ハハリ、ホヘイド、ピッと聞こえた。これがビール瓶のラベルに描かれているトゥイなのか。別の森ではチッ、クルル、リッ、パッと啼いている。なかなかリズミカルではないか。

シダの葉っぱが綺麗なフラクタル構造をしていると気が付いたのも、実はニュージーランドの森を歩いている時だった。シダは日本の低山でも上高地でもザワザワと群生している。そんなのいつも見慣れている当たり前の光景だったけど、ニュージーランド北島のフィティアンガでトレッキングしている時に、そうそうこれ! と小躍りして喜んだ事がある。

数学って実世界でどれほど役立っているのか判りにくいけど、フラクタル構造を発見できるのは嬉しいものだ。フラクタルとは、全体と微細部分に同じ形がある観察できるもので、コッホ曲線(雪形曲線)やリアス式三陸海岸が例に挙げられる。そう、よくよく見ればシダの葉っぱも3層構造くらいになっているのを目視で確かめる事ができるのだ。ラグビー・オールブラックスのジャージにデザインされているほど、シダ類はニュージーランドで普通に見掛ける植物だ。ミルフォード・サウンドでも見ていた筈なのに、こちらの気分次第で全く気付かなかったのだ。

ワンガヌイ川はNZ北島の南西部に位置する
 ※地図はニュージーランド航空の機内誌より抜粋したもの
トゥイの瓶ビールのラベル

私も過去にミルフォードサウンド、エイベルタスマン国立公園、コロマンデル半島を訪れており、どれも期待以上の面白さだった。特に、島国であるニュージーランドはどこでもカヤックができるのが嬉しい。カヤックもただ漕げればいいってものではなく、荒波でも平気で乗り出して行ってなんとか目的地までツアーで漕いでいく。オープンタイプのカヤックでいろいろな楽しみ方を教えてくれるのもニュージーランドシーカヤックの面白い一面だった。帆に見立ててパドルを垂直に抱えてそこに風を受けてゆっくり前進したり、カヤック3艇を三角形に連結させて1つの帆を張ってグイグイと海上を進んで行くのが楽しかったのだ。

これまでに、ニュージーランドの自然を満喫できるグレイト・ウオーク7ケ所のうち3ケ所(ヤマ2ケ所と海のトレイル)を制覇していたので、次のグレ-ト・ウオークとして川の旅を選んだ。それが2019年12月に訪れたニュージーランド北島の南西部を流れるワンガヌイ川のカヌー旅だった。 

(2)「地球の歩き方」に載っていないワンガヌイ川のカヌー旅を現地で探す 

自然を相手にする旅は、とっかかりが少ない。グレイト・ウオーク7つの内、このワンガヌイ川のカヌー旅はなぜか「地球の歩き方」に情報が載っていない。載っていないって事は日本人も少ない筈できっと楽しい想いができる筈。エイベルタスマン国立公園のシー・カヤック旅(ゲストハウスとボートハウスで2泊3日)も全く日本人には出会っていないし、おそらく当たりだろうと前のめりになっていた。「歩き方」にはラフな地図が掲載されているだけで、どこの街からアクセスすればいいのか判然としない。ネットで検索したけどオハクニって街のツアー会社が検索される程度でそれがベストなのかなんとも判らなかった。

ただ、ニュージーランド旅には最強の味方であるi-site(観光案内所)がある。ここで自分の希望を伝えるとバスやツアーの手配もラクラクできるので、まずは北島南西部の町ワンガヌイへ向かった。街の中心部にワンガヌイ川が流れている。川幅は500mくらいあっただろうか。既に下流域だったので川幅は広く、水は濁っていて第一印象は良くなかった。ただ、大木にポフツカワの赤い花が咲いていたり、川べりは花々で華やかだった。

さて今回の川下りツアーだが、泊まり旅をリクエストしたのでi-siteでのアレンジはかなり難航した。確かに2泊3日や4泊5日でガイド付きツアーが見つかった。けど出発日は毎週1回で融通が利かないし日程が合わない。キャンプサイドかロッジに泊まるのか、そういう事にはさして拘泥しない。でも食事は大事にしたい。食料を自前で調達して自炊するように勧められたが、そこまでワイルドな旅を希望していないので笑って抵抗する。朝食でパンをかじるのも構わないけど、それが3日間8食も続くのを想像すると流石にやってられないのだ。空腹のため徐々にパドリングするモチベーションも失せてしまうのでは困る。ネゴしてみる。

そうすると、今度は個別見積りの積み上げでバンバン金額が膨らんでいく。それを地元のツアー会社とi-siteのスタッフが電話で交渉してくれ、それが一区切りした所でこちらの要望と擦り合わせていく。この交渉はノーリスク、かつフレンドリーに行われていく。既成ツアーの予約だけじゃない、エイベルタスマン国立公園でもi-siteのスタッフが旅のパーツを上手くアレンジしてくれたのが嬉しかったし、今回もその展開を期待している。まあこれは私の旅を作っていくプロセスなのでこちらとしてはありがたいけど、それを笑顔でこなしてくれるニュージーランド人にホント感謝だ。

立ちっぱなしで2~3時間くらいそんな交渉を続けた。アジア・アフリカと違ってボッタクられる心配はない。その代わり、ニュージーランドは元々の物価がそんなに安くないのでそれなりの金額は覚悟しなくてはいけない。

で、ひとしきり交渉がまとまった所で、問題が発覚した。

「川下りの出発地はオハクニと言う内陸部の街だ。バスで行け。でも、土砂崩れで主要道路は通れないから迂回路を通るしかない。バスは乗換えるんだよ」
と丁寧に教えてもらった。でも結局オハクニに行くのなら、オークランドから直接バスで行けば良かった。オークランドからウエリントンへ向かう長距離バスがオハクニを経由していたのだ。その方がよほど時間の節約になったし、しかもトンガリロ国立公園を経由するのでまとめて観光できた筈だ。でも、効率的な旅をはなから望んでいるものではないし、基本は出たとこ勝負の旅だ。自分で旅のルートを作っていく方がマシだろう。まあ、86kmもカヌーを満喫できるんならこの程度の回り道は大した事はない。 

(3)朝食のエッグ・ベネディクトがオイシイ 

バスで大回りしてオハクニの街に着いた時には、南半球の12月だと言うのにやけに冷たい雨が降っていた。12月のニュージーランドは海岸沿いだとまだ水が冷たいけど泳げる。事実、私は更に緯度が高い南島でしっかり泳いでいる。なのにこの寒さは何だろう。

オハクニは小さな街だった。スーパーが2店舗くらい、飲食店も10軒に満たなくらいの街。高さ5mくらいの人参モニュメントが立っており、レストランにはスキーのポスターがベタベタ貼ってあった。日本で言うと小さなスキーリゾートを抱えた北海道の田舎村って印象だ。ただ、ニュージーランドでは街のサイズが元々コンパクトだし、フォー・スクエア(食品スーパー)がポツンと1軒だけって事もあるのでそんなに驚きはない。ただ、あまりの寒さに震え上がった。

オハクニに限らずニュージーランド北島の南西部では毎朝オイシイ朝食にありつけたのが嬉しかった。エッグ・ベネディクトだ。ニュープリマスでもワンガヌイでも、そしてここオハクニでも朝食の定番がオムレツでも目玉焼きでもなくエッグ・ベネデフィクトだった。かつて都内のロイヤルホストでエッグ・ベネが美味しくて何度か通った事がある。けど、ニュージーランド・スタイルのそれはいつものメインデッシュと同様に具材をタテに積んでくるので、見た目も華やかで美しいので食べてしまうのがどうにもモッタイナイ。

例えば、マッシュポテトとサラダ菜、シイタケ、トマトスライスがドンドンと重ねられていて、頂上にポーチドエッグが1つ乗っているとか。流石に2つ置くのはムリなので、もう1つはその脇にデコレーションされていた。その上にはたっぷりオランダーズ・ソースが載っている。別の日には、ポテトコロッケとほうれん草がタップリ敷かれた上にポーチドエッグが器用に2つ乗っかっている朝食もあった。ニュージーランドでも他の地域ではあまい記憶がなかっただけに、毎朝これを食べられたらホントにリッチな気分になれる。ボリュームもあるのでパンを頼まなくてもこれ一皿で十分に腹を満たす事ができた。

センスの良いエッグベネが卵料理の定番

(4)オハクニの冷たい雨でカヌー出発は一日延期 

先ずは宿探し、そしてカヌーツアー会社のオフィスに顔を出してみる。小さな鉄工場のような建物があって、カヌーやカヤックが10艇ほどあった。そのガレージみたいな空間の脇が小さな事務所になっていた。ドアを開けると、ボスと思しき男がいた。名前はビル、60才前後か。彼は歓迎してくれたものの、ちょっと浮かない顔をしていた。

インターネットでワンガヌイ川の推移予測を指し示しながら「明日も雨が続くのでおそらくダメだろう。1日延期でどうか」と言う。水位は50cmくらいだけど、予測では1mくらいになると表示されていた。

翌日は確かに雨だった。終日冷たい雨が降っていた。

オハクニの中心部から2時間くらい歩いていった。折角の海外旅行なので、雨だからと安宿ですごもりしてはいられない。

鉄道駅を通り越して牧場の牛を2軒ほど見送ってトレッキング・ルートに入って行く。場所はトンガリロ国立公園の端で「オハクニ・オールド馬車道」と書かれている草むら。目的地は昔使われていた鉄橋跡だったけど、それは大したものじゃなかった。ワンガヌイ川にも「行き先のない橋(Bridge to Nowhere)」が架かっているが、人工物っていざ目にしたらもしかして同じ感想なのかも知れない。

途中、茶色い物体が道から跳び出して反対側の茂みにサッと隠れた。一瞬で判らなかったが、それは茶色いフサフサの毛に包まれたノウサギだった。

日本で八ヶ岳とか飯山とか長野の雪山をスノーシューやアイゼンで歩いていると、一番よく目にするのがウサギの足跡だ。でも、彼らは夜行性なのか野生の姿を拝んだ事は一度もなかった。まあ、日本の冬山でお目にかかれるのはカモシカとシカくらいだ。あと、真冬の上高地に入り込むと真っ赤な顔をしたサルが思いっきり我がもの顔でエサを喰っているのに面食らった。

それほどにウサギは貴重な存在だった。それを地球の反対側のニュージーランドで見られるとはありがたい。しかも、同じのか別のウサギか3回ほど私の目の前をすり抜けていった。彼らはよほど警戒心が強いのか、一瞬の出来事で小さく丸まったその姿を写真に納められなかった。

1850年にはオークランドからオハクニまで馬に乗って1週間の旅路だったのか
(ウサギの目撃現場付近にて)

(5)泥水が流れるワンガヌイ川にパンパンの荷物を積んでカヌー出航 

その次の朝、起きると快晴だった。足元の草は朝露で思いっきり濡れていた。ツアー会社のオフィスを訪れると、ビルが「今日は大丈夫だ」と笑っている。この時もインターネットに川の水位が表示されていたけどそれは2mだった。前日には水深1mの予想でも水かさが増えるタイミングなのでダメだった訳だ。この時点で「2m」は単なるデジタル情報であり、身をもって迫ってくるものではなかった。

ガイドはテイラーと名乗り、握手を求めてきた。30代前半くらいか。ガ体はいい。ボソボソと喋る大柄な男で、黙々と出発の準備をしていた。辺りにワインを醸造するような大きさの樽がいくつも転がっていた。それに自分の衣類を詰めるように言われた。樽といってもプラスチック製で取っ手も付いていて持ち運びしやすいモノ。もう1人、笑顔の女性スタッフがいた。彼女とはもっと後になって会話する事になるのだが、イタリア人のエレナ嬢だ。

いよいよワンガヌイ川のワカホロ・ポートから入水していく。ここから途中のキャンプサイトで2泊してピピリキまで86kmを下っていく予定だ。カヌーとカヤックを一艇ずつ岸に運ぶ。この日の客は他に2名いた。イスラエル人のカップルで彼らはカヤックの出艇準備をしている。川岸で青色のドラム缶を3つ、食料や防寒着を詰め込んだケースが2つ、ガスボンベにコンロ、他にも大きな防水性のザックをカヌーに積み込んだ。こんなに載せるものかと疑ったが、テイラーは「ノープロブレム」と言う。川岸は泥で滑りやすい。直ぐにツルッと滑りそうだ。エレナ嬢に手を引いてもらい、カヌーに乗り込む。

ワンガヌイ川はここでも泥水だった。下流域の街ワンガヌイで見た色と全く同じだったので、雨のせいで濁っている訳でもないだろう。ここは東京・大手町ではないけどカルガモの親子が5~6羽ほど泳いでいた。それとアザミが一輪咲いていた。他は、土手に囲まれた川沿いに目立つものは何もなかった。

いよいよ出発だ。ワンガヌイ川は泥川で御世辞にも綺麗とは言えない。日本は清流が多いので喩えるとココってのが見当たらない。流れは緩やかだった。86kmは長丁場だけど、これならのんびり漕いでいけば大丈夫だろう、そんな軽い気持ちでいた。天気は晴れたり曇ったりで、気温は相変わらず低い。Tシャツと長袖シャツ、その上にポンチョと3枚ほど着ていたけど、両腕がちと肌寒いのが気になる。

カルガモが一羽、ちょうどカヌーの手前で飛び立った。先にイスラエル人カップルが入水した。私達が乗り込んだカヌーは私が前席に座って、ガイドのテイラー氏が後席でパワフルに漕いでいたので速い。すぐに抜き去り、後ろを振り返っても彼らの艇は見えなくなった。

しばらくは暢気に漕いでいた。カヌー・ポートの箇所だけ僅かに坂道が付いていたけど、それ以降は左右両岸がずっと崖地になっている。岩場にシダとか植物が生い茂っている。緩やかな洞川を淡淡と下っていく。

ワンガヌイ川の上流部も濁っていた

(6)カヤック&カヌーはマイナーなので、初心者向けに解説しよう 

私はこれまで国内外で30~40回くらい漕いでいるけど、カヤックやカヌーを知らない人もいるだろう。ここでカヤックとカヌー旅に関して、簡単に触れておこう。

カヤックはプラスチック製とスチール製があり、前者は概ねオープンタイプで、後者はクローズタイプになる。川下りだとクローズタイプ、シー・カヤックはオープンタイプが多い。クローズタイプだとスプレースカートを履くので、正面から見ると魚屋さんのように前掛けを垂らした恰好になる。その前に垂れ下がったスカートの裾をカヤックの縁に一周巻き込んでいくと、ヒトとカヤックが一体化する。もし転覆した時に、私のような初心者はスプレースカートの手前にあるタグを思いっきり引っ張る事で水中にいてもカヤックから脱出する事ができる。これは練習しておくといい。

私も、高知の清流・仁淀川でカヤックツアーに参加した時に練習する機会があったので、とても役立った。チン(沈没)するのはほんの一瞬で、危ないと思った時にはもうひっくり返っている。慌ててバランスを取ろうとしても無理、一度傾いたものはあっという間にターンオーバーしてしまう。因みに上級者になると、エスキモー・ロールでスッと反転させて器用に起き上がるテクニックをこの目で見た事がある。エスキモー・ロールは水中でたったひと掻きしているだけで、上手く体を捻っているんだろうか。

もう1つ例を挙げると、西表島での外洋カヤックは面白かった。ガイドさんとツアー客4名で沖に出てから、洋上でカヤックを下りてシュノーケルできる。ひとしきり泳いで体が冷えてきたら、両手でカヤックの左右を掴んで、上体をグッと引っ張り上げて尻から座るなんて事もした事がある。

関東近県にお住まいの方であれば、奥多摩や那珂川で気軽にカヤックを体験できるし、西伊豆とか千曲川の支流、その下流の飯山、長瀞でも楽しめる。奥多摩の白丸湖だと、カヤックの他にSUP(スタンドアップパドル)も盛んなようだ。本当なら、利尻島、積丹、四万十川、西表島とか遠出した方が断然面白い。因みに私は長瀞以外のスポットは全て経験済だ。

カヤックは目線が水面スレスレと近いし、開放感があって楽しい。唯一の難点は同じ姿勢を続けているので腰痛になりやすい事。

それに対して、カヌーはボートに近い。木製で安定感があり、椅子が据え付けられているので長時間座っていても腰の負担はまあ楽だ。ボートは両手で左右のオールを漕いでいるけど、カヌーは両手で1本のオールを持って片側を漕ぐ。2人乗りであれば、1人が右をもう1人が左を漕いでゆき、後方に座った人が進行方向をコントロールしてゆく。カヤックと比べると楽しめる場所は少なくて、日本だと釧路川の源流部や中流域の釧路湿原で楽しむ事ができる。釧路川は4キロ進んで標高が1m低くなるくらいとても緩やかな水路だ。2艇を横付けしておけば転覆の心配は100%なくなるし、ニューカレドニアの海だと、船の2mほど脇に棒を渡して木を浮かばせておき安定させているカヌーに乗った事もある。

どちらにせよ、ライフジャケットは必須だ。ヘルメットやスキューバスーツは原則として着用しない。唯一それらを装着したのは北イタリアのリエンツァ川(ブルーニコ近郊)だったが、そこはラフティングに適した激流で、私はチリ人のガイドと一緒にそこでカヤックしたけど、そこは無傷で乗り切っている。ただ、チリ人ガイドに「スマイル、スマイル」と何度も声掛けされたけど、激流に呑まれたら大変なので、もうそれどころではなかった、ホントに必死なリエンツァ川でのカヤックだった。 

(7)入水して30分、1つ目の瀬で呆気なく沈没  

さて、ワンガヌイ川を30~40分くらい進んだ時だった。私が舳先に、ガイドのテイラーが船尾に座っていた。

ちょうど1つ目の瀬に差し掛かった場所だった。瀬は川底に石があって川面がザワザワと波立っている場所だ。落ち着いて漕いでいけば決して難しい場所ではない。

いきなり前からフワッと波を被り、両膝が濡れる。カヌーに入り込んだ水が少し溜まった。1cmあるかないかくらいなのでまあ濡れた程度だった。なので、観光用の長瀞や天竜川の川下りでもまあそれくらいあるでしょ、てレベルだった。

でも穏やかな川面にどうして波が来るんだろう、と考えていたその時だった。大波が襲ってきた。ドンと音がして顔も服も濡れた。カヌーの半分くらいまで水が入ってきた。思いっきり荷物を積んでいるのでカヌー全体が水面スレスレだったのか、まあこれは沈没するな、と一瞬で観念した。テイラーは「オッケイ、ノープロブレム」と言っているけど、どうみても徐々に浸水していく。自分の記憶ではスローモーションの映像で残っているけど、実際はあっという間の出来事だったんじゃないか。ヨコに転覆したわけではなく、ズブズブと真下に沈んでいった。

テイラーも私も川に投げ出される。

マズイ!
と思ったが、この時点ではそんなに深刻には考えていなかった。カヌーでチンしてもこれまでは数分以内にリカバリできていた経験があったので、海外旅行での武勇伝が出来た! くらいにしか思えなかったのだ。

なので、首まで川に浸かった状態でまずやったのはライフジャケットの紐をキツく締め上げる事。片手でカヌーにしがみついて立ち泳ぎしていると、ライフジャケットが浮かんでしまい思いっきり首を締め上げてきたのだ。そもそもカヤックならともかくカヌーで沈没する想定はしていなかったので紐が緩かったのだ。それと、日本でカヤックツアーに参加するとライフジャケットをキツく締め上げて安全確認するタスクまでひっくるめてツアー代金に含まれているけど、海外の感覚は違う。ライフジャケットを手渡すまでが仕事であって、それを安全に装着するのは各人の自己責任だ。これはニュージーランドだけの事ではない。パラオだってスイスだって同じ事。

次に、履いていたクロックスがもげそうで危ない事に気づく。下手に素足になった状態で川を流されていくと、岩とか川底の尖った所で怪我をするかも知れない。なので、外れないよう慎重に留め具を踵の方に回す。ここまで冷静だった。

テイラーが「大丈夫か?」と声を掛けてくれたが、この時点では至って冷静だったので「ノープロブレム」と答える。川の水は冷たかったけど、まだ元気いっぱい残っていた。テイラーはその後、川に投げ出された荷物を集めようと必死だった。ドラム缶が3コ、衣装ケースが2コ、ガスボンベ、ガスコンロなどどれもプカプカ浮いている。その一部は紐でカヌーに括りつけてあったけど、そのまま漂流し始めたブツもあったためだ。

うん? でも、この期に及んでモノよりも人命優先なんじゃないの? 

この時はまだ平和だった...…

(8)ただただ流されていく  

川の流れはそんなに速くなかった。むしろゆったりしていた。でも、いざ川底に足が付かない状態で流されてしまうと、そんなに簡単には身動きがとれない。

テイラーも私もカヌーに掴まりながら流されていた。いつの間にかテイラーはカヌーから離れていた。ガ体が良くて重たいせいか少しずつ遅れていく。浮き代わりに荷物に掴まっていたのだろうか。彼の様子をハッキリと窺えなくなる。

こっちはカヌーに左手を掛けていたので大丈夫。なんとかカヌーをひっくり返せないものか苦闘してみる。カヌーの上に腹ばいで横になって向こう側の縁に片手を掛けてみたり、いろいろ試してみるけど、木製のカヌーはカヤックよりかなり重たく如何ともしがたい。

冷静に周囲を見渡そうにも、ずっと左右は崖が続いている。もし岸に寄ったとしても、その先の展開が読めない。とにかく流されているだけだった。

カヤックが一艇やってきた。あのイスラエル人カップルだった。彼らが「自分達のカヤックに乗れ!」と声を掛けてくれた。でも、2人乗りのカヤックに3人は乗れない。おそらく手を掛けた所でイスラエル人カップルも転覆して同じ運命に陥るだけだ。なので、事態の深刻さと反比例して「ダイジョブ!」と答えるしか術がなかった。せめて彼らが救助を呼んでくれればと願うだけだった。

どれくらい経過したのだろう。体が冷えてきた。元気だった自分の心臓もその内にイカレてしまうんじゃないか。そんな恐怖を感じた。とにかく気力だ! 天を仰ぎながらそう自分を勇気付けるしかなかった。

流されていくと瀬なのか、川面が荒れている場所に何度か差し掛かった。その度に溺れる。いくらカヌーを片手で掴んでいても、何度かそんな場面で手を放してしまう。テイラーもどこに居るのか、どこを流されているのか判らない。とにかく必死で水面に顔を出そうとしていた。いざ顔を出したら反転したカヌーの中だった。真っ暗なカヌーの中は余計に不安にさせる。今度は敢えて潜ってカヌーの外に出る。

一体どこまで地獄の淵に掴まったまま抜け出せないんだろう。そろそろ指先も心臓も凍りつきそうだ。もう死ぬな、と観念しつつあった。たいして日本人観光客が訪れそうにないニュージーランドの冷たい川で人生を終えるなんて、なんともやりきれないぞ。もし死亡事故にでもなったらNHKニュースで「無謀な日本人旅行者が……」と軽く報道されてしまうんだろうか。ネガティブな妄想がグルグル回る。それはイヤだ!

どこにも出口はない。両岸は切り立った渓谷が続いていて、掴まる場所はない。もうギリギリまで追い詰められていた。

そんな時、上流の方からテイラーの声が聞こえた。
「左岸へ上がれ!」
おっ、確かに左岸が僅かに洲になっていて上陸できそうだ。

そこで記憶は切れた。

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