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【#創作大賞感想】「私を 想って」の中の生活の音に見る創作の力

創作大賞に青春小説部門があったら「私を 想って」はピッタリではないでしょうか。アオハルと呼び、青春を卒業してしまった世代は羨ましがりますが、真っただ中にいる世代は辛さも共に味わっているはずです。周囲の大人の気持ちが見えず自分にも自信が持てず、それでも波風立てずに生きようとする主人公毬毛さんはそんなアオハルを生きる女子高生。

嫌なことを誰にも言えずに「大人にとって都合のいい子」として生きてきた彼女の心の変化を横山小々寿さんは二十一話で表現しています。

辛い気持ちをぐっと抑え笑顔で生きている人は多いです。主人公の気持ちに寄り添って読者は読み進めるため、毬毛さんの辛さに寄り添いがちになります。しかし、登場人物全てが我慢しながらも相手を思いやり生活しているのです。そのため、なにかが微妙にズレを起こし、心に溜まり声なき悲鳴が作品から静かに伝わってきます。

そのことは最終話に近づくにつれあらわになり解決へと進みますが、私が一番感動をしたのは、心の変化を生活の音や風景で表しているところでした。

住んでいる人よりも多い食器や食事の量
鍵をかけない窓や玄関
鼻の奥に残った風呂の湯の匂い
薄暗い襖の隙間の奥に感じる人の気配
ちぎったミントの爽やかな香り
冷蔵庫から感じる機械音
1人でいるとやけに大きく感じる食器の音

これらの表現は他者と距離を取って生きようとしてきた主人公の心の変化を読む側に伝えてきます。これは毎日をしっかりと見つめて生活していなければできない表現です。絶妙な生活音や日常の風景の切り取れる横山小々寿さんのセンスに羨望を感じざるを得ません。

小々寿さんは日々の出来事をどれだけ言語化しながら生活をしているのでしょう。細やかな心の表現が苦手な私は羨ましくて仕方ないし、次の作品が読みたくてたまらなくなります。

骨張った和さんの体。かさかさの肌。でも、ちゃんとあたたかい。

「横山小々寿「私を 想って」より

老人を奇異な存在と感じていた主人公が、理屈ではなく感覚で命を感じたことがこの文章の中に詰まっています。真摯に生きていなければこんな表現は生まれないはずです。

登場人物の喜怒哀楽が複雑に絡まり、思いやりから真実を隠し、本音を隠して生きることで物語はミステリアスな雰囲気に包まれています。この匂わせっぷりがまた上手で最悪の事態を想像させますが、この予感がどうなるのかは実際に読んで見つけて欲しいです。

いい子にしていないと捨てられるという強迫観念、大なり小なり全ての人が子ども時代に持つ感情ではないでしょうか。大人になっても「いい人でいたい」と思うのは「いい子神話」が根底にあるからかもしれません。

大丈夫、あなたのこと、見ている

そんな希望を題名の「私を 想って」の半角スペースの中に感じてしまうのは私だけではないはずです。


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