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mtgの時間の話

はじめに、この記事を書き始めた動機には多分に筆者のお気持ちや偏見が含まれていますがこれに特定の人を指して否定しようとするような意図は全くありません。自分自身の考えの整理が何か有意義な思考の機会になったらいいなと思う次第です。

遅いプレイ?

以前店舗でプレイしていてTOP8のSE戦に残った時のこと、フォーマットはモダンで自分は青白コンを使用していた。対戦相手は4cオムナスでヨーリオンが公開された時からこれは時間が押すゲームになると感じた。
お相手の方から初心者ですと申告があってゲームが始まった。うろ覚えだが1本目は落としたと思う。2本目は取り返したがここで試合時間自体が押していたのとお相手の思考時間が長く感じたためサイド中にすみませんがもう少し早くしていただけると助かりますといった旨のことを伝えた。それに対してお相手の方は初心者だから難しいといった感じのことを言った。結局延長戦の末ライフに差がつくまでゲームを続行し自分は敗北した。

ここで自分は疑問に思った。自分が仮に1本目の最初からジャッジを呼んでついてもらっていたとして複雑な部類のデッキ同士で、時間を引き伸ばすだけの目的の長考がジャッジによって無くなっていたらそれは試合進行的に正しいことだがそれは長期的に、時間がかかるという問題を解決するのか?なぜ時間がかかるのか、かからなくするためにどうするのかという部分が分かっていないままでは再び起こってしまうだけではないのか?と。

そもそも長考の基準というのはなかなか規格的ではなく例えば1分手を止めるとしても盤面手札無しのアップキープと盤面手札ゴチャゴチャのメインでは前者が遅く感じられるが時間では同じだしかといってシチュエーションごとに考えていい時間がしっかりあるわけでもない。そして私は時間がかかるということに思考の整理が必要なのではないかと感じた。

考える中身

こうした話題の現実的な結論はしばしばありきたりなお互いなる早でいこう的な方向に落ち着く印象がある。それは当然そうなのだがその具体的なところをもう突き詰められるのではないか。つまり何を考えているのか、また何を考えていないのか、ということである。

どういうことかというとmtgというのは選択の連続である。ハンドが沢山あれば何をプレイするのか、1枚でも土地なら置くのか持っておくのかなど常に考えることはある。時には時間もかかる。ただ、選択のプロセスを分解すれば例えば最初の段階としてほとんど考えなくていいものも存在すると思う。

思考が必要ないもの、確定部分

例えば現スタンダードの赤単デッキで土地は山しか入っていないものとする。初手に山が3枚ある。この山を1ターン目にセットするか、どれからセットするかに選択の余地は無い。相手の手札が無くフルタップ。ライフは3、手札には稲妻の一撃があり撃てる。これも選択の余地は無いだろう。
プレインズウォーカーの忠誠度なんかも良い例かもしれない。自分自身3テフェのプラスを何度も忘れては痛みで覚えてきたがある場面では頭を働かせる必要がなく、手癖で、手なりで動いていいのだ。そこでは思考は逆に足枷だ。時間をかけて忠誠度を起動したかどうか忘れるかもしれない。メイン、即プラスのような思考停止がむしろ自分を助ける。

考える場面、思考部分

さっきのスタンダードの赤単で相手のライフが3だが手札が2枚ある。自分のターンで稲妻の一撃を打つかどうか、選択の余地がある。だがこの選択とは何なのか。例えば相手の手札に否認とライフゲインカードがありどちらかしか打てないが一撃を消せれば安全にライフゲイン可能という読みがあったとする。だから打たない。もしくはそんなに引いていないと読んで打つ。おそらくもっと沢山の読みと結果がある。ここでなぜ考えているかという原因は当然相手の手札が増えているからなのだが、その原因から考える内容は人によって様々である。これはある意味ではmtgの醍醐味とも言える部分であって提起される問題ではないように思う。

問題と感じる部分

ここまで選択のプロセスを確定部分、思考部分と大別したがここに今度は個人的に問題であると感じる部分をそれぞれ挙げていく。

確定部分の問題

あるとき同じコミュニティの先輩mtgプレイヤーが「マリガン後にトップ見るな教」といった内容のことを言っていた。皆様はやったこと、あるいは見たことがあるだろうか?マリガンやゲームに負けた後山札の一番上を確認して反応を示すTCGプレイヤーを。おそらくは結構な割合で目撃したことがあるかやったことのあるプレイヤーがいると思っている。何が問題なのか。それはやる必要のないことを手癖でやっているということである。別に時間的に考えるとたいしたことではないし、またやっているから悪ということを言いたいわけではない(ある意味ではルーティーンの一部ではあるかもしれないし)。だが、一例として私はこれを対戦において必要のないことと捉えて、他にも手癖や手なりの無意味な部分を考察するきっかけにはなるのではないかと感じている。

思考部分の問題

思考に問題があるときとはどのような場面なのだろうか。これは私自身が自分のプレイに関して考えたことのある内容で、例えばAとBのプランがあったとする。このときほぼAを採用すると考えている場面で手が止まったとき、BをAより採用する例をどれだけ考えられているのかという部分で例が不明瞭なことである。ここで例を考えるのには知識が必要なため、熟練プレイヤーと初心者プレイヤーの差が生まれることで初心者が時間がかかるという認識があるとも思う。例えばパイオニアの青白コントロールと熟練のゴブリンデッキ、初心者のゴブリンデッキが同じ場面でそれぞれ思考した場面を想像してほしい。盤面には数体のゴブリンがいてこのままいけば3ターンで相手を倒せる。手札には熟練扇動者がいてこのターンに展開すれば2ターンリーサルに変わる。ただし相手は4マナ立てている。このとき熟練プレイヤーが思考するならば(筆者は熟練じゃないのであくまで例として)返しの至高の評決をケアするのか、あるいは残骸の漂着やをケアして殴るゴブリンを減らすのか。持っていないとして突っ込むのか。一方で初心者(パイオニアのカードプールを知らないものとする)であったらどうなるのか。熟練扇動者を出すのか、出さないのかにもあまりヒントがない。そして何となく分岐があるので迷う。とすると熟練プレイヤーと初心者プレイヤーが同じ時間を使っていても思考の中身が違ってくるということである。ここでも断っておくと知識が無いということはまた悪ではないしいい読みをしているから正しいということでもない。ただ無意識に思考しているつもりで何を想定しているのか自分自身で分かっていないということは誰にでもあり得るのではないかということである。そして何を考えているのかを意識することが長期的に時間がかかるだけの長考を減らす対策なのではないかと。

おわりに

なんだがまとまりがなく誤解を招きそうな表現も多かった気がしますがまとめると時間がかかるということは結構アバウトな問題である。時間の中身は確定部分と思考部分に分けられる。手癖で意味ないことをしている、または思考してるつもりで想定や例が無いことで思考の質が落ちてしまうなどが一例としてあって、時間がかかるという問題解決のためのきっかけになるのではないか。
ということになります。自省としても手癖の修正や逆に定石的な手癖をつける。また言語化プレイなどをしていますがまだまだこのプレイ時間分野はたくさんの思考の余地があると思います。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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