「人生会議はじめます」〜人生の終焉はどれだけ準備してもしなくても必ずやってくる。でも、何もしないよりちょっとだけ笑顔で終わりたいから〜 医療やケア以外の多くの事に重点を置いて話し合うのが望ましい「人生会議」だ。医療やケアはその時が来ないと医療者からどうするか問われる事がないから。
上場企業の社長を退いたチョウさんは「いやあ、リタイアしたら暇を弄ぶんじゃないかと思ってたけど毎日忙しくってね」とお年寄りの生活支援活動に充実感を漂わせていた。一年後「もうういい加減、爺さん婆さんの我儘には付き合ってらんないよ」と一筋縄ではいかない高齢者への接し方に頭を抱えていた。
PPKピンピンコロリ。元気に過ごしコロッと逝く。依然、それが幸せな終わり方だと考えている人は多いようだ。ある日PPKを望んでいるピピンさんは言った。「でもさ、明日死んだら家族はびっくりしちゃうだろうね。やっぱりそれはだめだよな」と。自分はいなくなるからいいや、なんてだめなんだよ。
世の中には若さ追求する商品が溢れている。若作りではなく若々しくいたいって言うけれど若々しいって何?実年齢に対して元気だから?溌剌としているから?嬉しいのは実年齢より若く見られた時でしょ。だから若く作るのはアリでしょ。髪を整え身綺麗にするだけで何もしない人より若く見えるんじゃない?
ハナミズキに小さな花が咲いた。翌日にはその花が少し大きくなっていて、また次の日に花はさらに大きくなっていた。蕾のまま咲く時をじっと待つ花々と違って、咲いてから花を大きく育て、一番大きな花になった時その樹は美しい薄紅色に染まる。気付かなかった。ハナミズキの咲かせる花は誰かに似てる。
イト子さんは84歳になった。誕生日のお祝いに介護タクシーで行きつけのブティックに行った。車椅子のイト子さんに店員は驚いた素振りも見せず笑顔で迎えてくれた。イト子さんの好みを承知している中年の店員は綺麗な藤色のセーターと空色のアンサンブルを見せてくれた。イト子さんは楽しそうだった。
「うちの家系では90超えの長生きはいないから、あと6年頑張ったら一番の長寿者だよ。食欲もあるしいけそうだ」と言われたイト子さんは「え〜6年?恋でもしてもう一花咲かせようかしら❤️」なんて冗談言ったりして今日は何だか絶好調。独身を通したイト子さん。またベンツさんとデートできるかな❤️
認知症の母親を介護している男性に「大変ですね」と声を掛けたら「大変だなんて、あなたにわかるんですか!」と怒鳴られた。驚く私に構わず「ご飯食べてないって言うから今食べたよって言うでしょ。そしたら1分後にまた同じこと聞かれるんです。毎日ですよ。」といって私を睨んだ。何も言えなかった。
たまたまクラスメイトになっただけなのに、みんな友達だよと言われたら。たまたまホームメイトになっただけなのに、みなさんお仲間ですよと言われたら。たまたまでも出逢ったことはご縁だから、その先どうなるか、さてどうするか。成るようにしかならなくても「せっかくですから^ ^」の笑顔でね。
イト子さんのいるホームではオンラインコンサートのアクティビティがある。昨日会いに行ったらノリノリでデコうちわを振りながら応援していた。どこにいても夢中になれることがあるのは良いよね。そう言えばセンちゃんの部屋には氷川きよしの大きなポスターが貼ってあったっけ。棺に入れたんだったな。
蘭さんは中学の卒業式で名前が呼ばれなかった。名前は五十音順に呼ばれるためその順に着席していた。でも蘭さんの番になると次の子が呼ばれた。両親の離婚で蘭さんの苗字が変わった事が理由だ。会場はザワつき騒然となった。事態がわからない蘭さんの顔は引き攣っていた。気の毒で見ていられなかった。
若く心身ともに健康であれば悲観的ではあるまい。だが、死が身近になった高齢期は、自分の人生を振り返り、あと10年若かったらなどと後悔する。後悔が不安を呼び愚痴ばかりが口を吐いて、厄介な老人に成り下がる。周囲は避けるようになって、ついには孤独になる。自分で自分を寂しい人にしてしまう。
「我が家にミッキーマウスがやって来ました」という妹からのメールに腹を立てたシーちゃん。なぜ腹を立ててるの?わからないな。女児しか持たないシーちゃんは男児が誕生した妹が後取りができたと自慢してると思ったらしいの。いまだに時代錯誤の男児後継神話があるのかな。姉妹だからこその嫉妬かな。
延命措置は「自分は要らない」という医者の話を聞くことがある。延命とは肉体が人生の終焉のための準備体制に逆らうことであり患者は想像以上に苦しいそうだ。たくさんの機械が付けられて身動が出来ない。だから言うんだ「命の期限までは猶予期間。やりたいことが出来るから死ぬならガンがいいね」と。
薄っぺらな人生の体験から、やっと生まれた言葉たちは心の奥底でじっとしたまま声にできない。きっと声にしてしまえばスッキリするよね。でもね、それらを曝け出すにはまだまだ覚悟がない。人生とか生きるとか、大き過ぎるテーマは悩み事の根源だからいつだってそばにあるでしょ。安寧の時間は束の間。
「ねえマンションどうしたらいい?あのままでいいと思う?」とイト子さん。ついこの間まで「いつまでここに居るの!」なんて言ってたのにホームで生活して行くことを受け入れたのかな。それなのに私「あのままでいいんじゃない。処分したら帰る家無くなっちゃうよ」なんてできない期待をさせちゃった。
「お宅とは縁を切ります」と母から言われたとボヤいたら「母とは何年も連絡とってないわ」、「母のことが大嫌いだったから死んでくれてホッとしてる」、「母は弟だけを可愛がっていたのに、なんで私がやらなきゃいけないのって思いながら介護してる」と集まった全員が母親との関係に蟠りを抱えていた。
いつも起きる時間になっても起きて来ないとさすがに心配になる。冷たくなってたらどうしようなんて、ドキドキしながらそっとドアを開けて耳を澄ます。静かな寝息を確かめてホッと胸を撫で下ろす。そしてまたそっとドアを閉める。ああ良かったどうぞごゆっくり。美味しいコーヒー淹れて待ってるからね。
今日も歩くぞ!膝関節と筋肉のサプリを飲んだ。シミ対策のサプリも飲んだ。日焼け乾燥はシワの原因。潤いサプリも忘れずに。道に迷いたくないからクリアでいられるサプリも飲んだ。代謝を上げるサプリも飲んだ。お腹スッキりのサプリも飲んだ。〆は胃腸薬。期待できるのは協力作用?それとも拮抗作用?
イト子さんは根っから世話好きな人だ。自分の事そっちのけで人の世話をしてしまう。入院先の医者からも「本当に面倒見がいいよね」と言われると「普通じゃないですか」とさらっと応える。だから車椅子のイト子さんはトイレに行きたい人を見かけると立ち上がれないのに手を貸そうとして結果大変な事に。
長生きは本当に幸せなのか。活動的であること、生産性、効率性などを重視し一般化している社会においては、元気で働き富を得た姿がサクセスフル・エイジングだ。でも、加齢とともに起因する心身のギャップを受け入れる作業は必ずしも成功するとは限らない。だからやり場の無い苦しみが老害を生むんだ。
今夜は不良になってやるーと考えついたのがこれ。私は今の生活から何歩も踏み出さないとジレンマばかりの生涯になりそうだ。さて、どこ行こう。何しよう。ワクワクすること、私の知らないことの方が多い社会だから小旅行ではなくていっそのこと長い旅に出てしまおうか。私のことは忘れてね!なんてね。