私は新作小説の習作として、『ウマ娘』の二次創作で某ウマ娘が主人公の話を書き始めたが、これが完成したら、次は龐涓か燕の恵王の話を書いてみようかな?
確かツイッターで誰かが「渋沢栄一の肖像画のお札なんて、フライングVにマイケル・シェンカーの似顔絵を描くようなもの」と言っていたね。
ホットケーキミックスを「ホケミ」と略すのは、クレイジーケンバンドを「クケバ」と略すみたいだな。
そういえば私は、暇空茜氏と石丸伸二氏を同一人物だと勘違いしていたし、石破茂氏と甘利明氏もたびたび混同していた。
ジョン・オーツが外見的にも立場的にもルイージに似ていると思うのは私だけなのだろうか?
松嶋尚美が「干物」を「ほしもの」と読むのは許せても、木村拓哉が「出汁」を「でじる」と読むのは許せないのはなぜだろうか? まあ、さすがに松嶋尚美が「出汁」を「でじる」と読んだとしても腹が立つが。ルッキズムならぬ「ワーディズム(wordism)」か?
曹操のように人材を集め、リッチー・ブラックモアのように人材を解雇する。
「楚の成王の部下で尻子玉みたいな名前の人がいたね」 「尻は余計だ」
ある人曰く「女は40歳になってからが本番」。これはある意味残酷な言葉だ。なぜならそれは、基本的に定型発達健常者女性であるのを前提とした物言いだからである。しかも、「文化資本」という概念との関連性が高い。これは知的障害者や社会的階層が低い人たちを排除するものではないのか?
【「荀彧に贈るクリスマスプレゼント」のハインリッヒの法則】 曹操︰空気(要するに空っぽ)…300箱 オルフェーヴル︰裏返した靴下(新品だけど百均の商品)…29箱 斎藤元彦︰不幸の手紙…1箱
「医者の不養生」や「紺屋の白袴」の同義語。「経済学者のギャンブル依存症」。
「カサンドラ症候群」と「エレクトラ・コンプレックス」双方の語源になった二人の女性たちって、どちらも「世界一の美女」トロイのヘレネの間接的な被害者なんだよね。直接的にはヘレネの双子の妹クリュタイムネストラが加害者だけど、二人揃って現代の心理学用語になったのは皮肉な事態だな。
『ウマ娘』のシンボリクリスエスが「革命」云々言っているのは、「暴君」オルフェーヴルとの対比のためなのか。
旧ツイッターでは言えない事をつぶやく。「女ウケ狙いのウマ娘をこれ以上増やすな」とおっしゃる殿方は『放〇少女』でもプレイしていれば良いのだ。『ウマ娘』は殿方だけのコンテンツではないぞ。
聖書の世界では、男性アダムから女性イヴが生まれた。そして、多神教の神話では、女神キュベレーから男神アッティスが生まれた。これはおそらくは、異性愛者にとっての理想の異性は自分自身の心の中にいるというのを示しているのではないかと、私は思う。
性格・人格差別自体は昔からあっても(1980年代の「ネアカ」「ネクラ」→現在の「陽キャ」「陰キャ」)、その総称としての「〇〇ism」という造語はあるのかな? 「内面重視」って一般的には「美徳」扱いされているけど、裏を返せば「性格・人格差別」だし。
ルッキズムやネーミズムの言葉遣い版として「ワーディズム」という概念もあり得るだろうな。例えば、職場での方言使用の是非なんて問題とか。
「専業主婦VSワーママ」というプロレス観戦での場外乱闘にすり潰される独身女性。
赤ずきん「ねぇ、おばあちゃん」 狼「何だい、赤ずきん?」 赤ずきん「どうして司馬遼太郎さんの田横さん(from『項羽と劉邦』)は、妖怪みたいな不細工なの?」 狼「それはね、T.H.ホワイト版ランスロットとにらめっこをするためなんだよ」
これはThreadsでは言えないけど、Threadsって旧ツイッターより「精神的な意味で見栄を張る」ユーザーさんたちが多いと思う。不自然なまでに「善人」が多過ぎる。
さっき、ピクシブを退会したけど、それは私がオタク界の嫌な面を実感したからなのだ。
旧ツイッターだったか、それともYouTubeコメントだったか、誰かが「『平成狸合戦ぽんぽこ』は現実ではたぬきが逆襲を果たした」と言っていた。そんなに内地のニュータウンは寂れているのか。
「今年は人災版イクイノックスみたいな事態が何発も起こってしまったな」 「エキノコックスの間違いじゃん」
オルフェーヴル「娘のラッキーライラックや息子のエポカドーロから空箱を贈られました。俺は荀彧さんを通り越してリア王になりました(泣)」 ディープインパクト「残念ながら自業自得だよ…」 …失敬!
自分より年上の成人女性に向かって「いい子だ」呼ばわり…。このトレーナーはまだ20代前半だろうから、まだまだ実年齢より若く見られて喜ぶ年齢ではないぞ。というか、自分より年上の人間を「いい子だ」呼ばわりするなんて、やっぱりトレーナーをバカにしている悪女だよな。
楚王オルフェーヴル…かっこいい。 薬剤師宇喜多直家…怖い。
東晋王朝が蜀漢正統論を推し進めたのは、日本の御霊信仰並みに厚かましい。
自分自身以外の誰かが屈原のような潔癖な性格であれば、私はその潔癖さをほめたたえられるだろう。しかし、私自身は屈原のようではありたくない。屈原のような人物とは、あくまでも「他者」であればこそ尊いのだ。
今時の女性の非婚願望の重大な理由の一つに「自分の居場所である自室を得られない事態に対する恐れ」があると私は思う。
私は「歴史から教訓を学ぶ事が大事だ」という悪魔のささやきに耳を貸したせいで道を間違えた。何も知らないまま死ねば良かったのだ。
韓信を貶めるための道具として楽毅や田横を持ち上げたお方と「推し」が共通するなんて嫌だな。春のいわゆる「解釈違い」といい、現在のいわゆる「同担拒否」願望といい、我ながら自己嫌悪。私は引き際を間違えたのかもしれない。
オタクがつき ヤンキーがこねし天下餅 座りしままに 食うはミーハー
イスラボニータとイクイノックスを並べてみると、石川まりこと倉田ひとみを思い出す…なんて言ったら世代がバレるな。 あ、「石川ひとみ」と「倉田まり子」の間違いだった。
勝海舟にケルベロス、ヒシミラクルに琵琶湖。
湯婆婆「贅沢な名だねぇ。今からおまえの名前は〈春申君の妾〉だ。いいかい、〈春申君の妾〉だよ。分かったら返事をするんだ、〈春申君の妾〉!」
「光墜ち」という造語は「盛り下がる」と似たような違和感があるね。「光上がり」並びに「削り下がる」と言い換えた方が良い。
こんな事言ったら今村翔吾さんは嫌がるだろうし、宮城谷昌光さんはなおさら嫌がるだろうけど、私は戸梶圭太さんのような作風の小説家にこそ「歴史小説」を書いてもらいたい。塚本靑史さんよりも偶像破壊的な歴史小説を読みたいんだな。
まあ、一応は明日のグリーンチャンネルの某番組を観る。それから先は、観た後で色々と考えよう。
今時の若い世代ほど「現実の厳しさ」を知る者は多分いない。古い世代の多くは、自分自身の過去を美化した上で若い世代を貶めるのだ。
私が思うに、漫画『ゴールデンカムイ』の題名は、究極の「ウェンカムイ(悪神)」としての資本主義を暗示している。昔のアイヌの人たちは多分、資本主義に染まっている和人の醜さを感じていただろう。
グィネヴィアとエレインはアーサー王とランスロット卿を簀巻きにし、グレートヒェンとヘレナはファウスト博士を簀巻きにして、豊平川に投げ捨てた。 #風雲キャメロット城 #札幌楚漢戦争
netkeibaのマイページで実馬ではなくウマ娘版のオルフェーヴルについての怒りをぶちまけたら、運営に消されてしまった。実馬の方は大好きだけど、ウマ娘版の方はプーチンやネタニヤフ並みに憎いのだが。
『キル・ビル』の女同士のドンパチよりも、『ウマ娘』のジェンティルドンナとヴィルシーナが静かに火花を散らし合う方がよっぽど怖いよな。これが孫臏と龐涓みたいな男同士なら、むしろ面白い見ものだが。
現実世界のオルフェーヴルは私より長生きしてもらいたいが、ウマ娘版オルフェーヴルはむしろダムナティオ・メモリアエ扱いしたい。
成人女性(担当トレーナー)に対する悪口としては究極レベルのひどい暴言だな。要するに「バカで単純で鈍感なただの凡人」だと見下しているんだね。ウマ娘や『ファイブスター物語』の騎士たちは、一般人を見下すのが基本仕様なんだろうな。
宇多田ヒカルと椎名林檎の仲の良さは、かつての後藤久美子と宮沢りえを思い出させる。やはり、色々とつり合う者同士でないと、友人関係はうまくいかないんだろうな。
「ゴールドシップって『走るキース・ムーン』だね」 「いや、生前のキース・ムーン本人だって走っただろ?」
宮城谷さんは基本的に「人格者」しか主人公にしないのがもったいないんだよな。それゆえに、私は塚本靑史氏の偶像破壊的な作風を好むのだ。ウマ娘版オルフェーヴルの性格だって、塚本氏の小説の主人公ならば「あり」なのだ。
シンボリルドルフ「これから『えの素』は禁書扱いにする」 ディープインパクト「はい…」
意図的に「パンク」と「ヘヴィメタル」を混同してみせる「ロック嫌い」の人は多分いるだろうな。ただし、前述のような悪意で、何でもかんでも着せ替え人形を「リカちゃん」扱いしたり、テレビゲーム全般を「ファミコン」扱いする人は多分少ないだろうが、そもそも嫌うほどの興味もないだろうな。