どんな言葉にも、「良い意味」と「悪い意味」、「善悪含まない意味」が、発する本人の意思に関わらず含まれています。 これは抑うつ傾向と関連性があります。 つまり抑うつ傾向が高いと「ありがとう」も悪い意味に捉えるということですね。 抑うつ傾向が低いと嫌味も良い意味に捉えます。
顔が赤くなるのが【気持ち】 日焼けするってのは【感情】 顔が赤くなるのは可愛いですけど、肌色に戻せます。 けれど日焼けは可愛いですけど、美白にはなりません。ただ健康的な肌色のままです。変わりません。 感情と向き合うのではなくて気持ち見たい。
仕事は囲碁ではないです。 しかしながら「仕事してます。」って言って囲碁してることに無自覚な社会人はいます。 そして短くしないと理解しない、集中できない社会人はそもそも社会能力が低いということです。 なので囲碁するのです。 が囲碁が上手いと社会能力が高いと勘違いします。
実績が経験した時間と回数だけなら、過去の時間は無駄。 意味:1万時間の法則あれど、集中しない1万時間は0秒の特訓と同じ。 なので、これだけ経験したという人がいても得たものが何もないので過去の経験と時間は浪費しただけの徒労ということ。 得たのは自慢するスキルだけ。
宗教に関わるのは、負い目がある人。 負い目がない人は宗教に関わらない。 関わらない人に迷惑をかけたら、宗教が嫌いになる。
還る場所も帰る場所もない自分には敵も味方もありません。 なので敵対心向けてくる人にはミステリーを感じます。 ちなみに住んでる場所はしっかりと帰宅する場所としてあります。
現実より社会が美しい 社会より現実が美しい どっちを感じるかで違いますよね。 前者だと「何で私たちだけが…」となりやすいと思います。現実とは違うから。 後者だと「理解はするけど納得しない」というのはあると思います。社会的な答えに納得できないから。
評価されない時間が人間らしさ 無関心でいられて注意を向けられない。その時に不安にならないのが個人が成立してるということかな?と直感的には思います。
個人が成立すると繋がりが依存性を持たないかなと思います。 繋がりが依存性を持つ可能性があるから、一概に依存の対義語は繋がりと呼べないです。
ラットパーク実験は繋がりが大事というより、繋がったら受動態になっていく、の方が近いのかなと思いました。
ラットパーク実験について考えをメモにまとめていたら、「人工知能って受動態だよね!」って話になってきました。 受動態であるなら差別意識あっても仕方がないし差別用語使っても不思議ではない論理になりました。