先代ニャンズ

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そして漱石が12歳ぐらいの時に往きました。

漱石とさんちゃんとぺえは親子なのでなのかは分かりませんが、さんちゃんととらはあいいれませんでした。 とらが脱走しても子供を2匹産んだ時は一時休戦で、「私が面倒見る!」とちいこが頑張りました。子供を産んでいないのに母性は凄いと教えられました。

4匹もいたニャンズが誰もいなくなり、「もう可哀想だから飼わない!」と誓ったのですが、2年ぐらい経った頃「やっぱりシャム猫は可愛い‼︎」と思い出し、里親募集を検索しました。

さんちゃんへお家生まれのお家育ちで、本当に箱入り娘でした。 車でのお出かけはするものの、庭に出る事も無かったと思います。 大人になってからの出会いですが、とても慕ってくれました。(写真は三毛家)

さんちゃんの時は変化にすぐ気がついたのに残念な結果となり、自分を責めました。 ぺえは高齢だと自分に言い聞かせても納得出来ません。 3ヶ月ぐらいでロスから立ち直ったのですが。

足腰が立たなくなり10日程経った時、襲撃した台風と一緒に旅立って行きました。 その日の夕方帰宅前に電話した時に、「今から帰る!」と伝えたら帰宅を待ってくれていました。

体調を崩した時、今迄の病院はもう信頼できなく、知人に紹介してもらった所に今も連れて行っています。

ぺえとはその後2年ぐらい一緒に過ごせました。 身の回りを父の漱石と姉のさんちゃんに全て面倒を見てもらっていたので、ひとりで生活できるか不安でしたが、何とか一緒にいる事が出来ました。

とらは保護猫で外の生活が忘れられない子でした。脱走しては子供を作り、いつも外の生活に戻りたい様子でした。 最後もボロボロになっても外に出かけ、本当に最後の最後に家に戻り、家族が看取りました。 (写真は三毛ちゃん)

さんちゃんは寝る時は必ず腕枕でした。夏でもくっついて寝るので、正直暑いので「ごめん」といい、少し距離を取りました。 出張から帰ると拗ねてこちらから機嫌を取りにゆく必要がありました。 家にいる時は分離不安症でトイレまで着いてきました。

その翌年、さんちゃんが体調を崩しました。 ずっと行っていた獣医に診せるも「大したことない」と言われて何回連れていくも良くならず。 無理矢理お願いしてやっと手術してもらった時には手遅れでした。 そんな先生を信頼していた飼い主が悪かったと今でも反省しています。

先代ニャンズの写真はデジタルでは無いので、アップできません。 本当にぺえの写真が一部しかありません。 みんな良い子で可愛い子なのに❗️