家事を砂の城をつくることに例えた方がいて。毎日のことで、やってもやってもキリがないという意味で。かたや禅寺ではそれを作務と呼び、修行の一つとしてとらえ、それ用の服で作務衣なんてものまであり。場所が違うと同じことでも捉え方が随分と変わるもんだなと。
ネットを手に入れて以来、純粋な「退屈」が駆逐されてしまったと思っている。これは案外ヤバいことなのではなかろうか。
こだわりなくして生きたらラクなのは分かるんだけども、こだわりって自分を支えるものでもあると思うので。それを失くしたら、今度はこれからどうやって自分をささえていけばいいのだろう?ってとこを考えないといけなくなる。はず。