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目が覚めたらやっぱり、新しいヒントがひらめいた。こういう人は、叩かれる。こういう人は、叩かれない。かと思いきや、こういう人なのに叩かれない人もいる。こういう人なのに、叩かれない人もいる。じゃあそれは、なんでだろう。じゃあそれは、なんでだろう。こういう人はそうでなくてもこう見える。

レン話さんの最新note記事を読み直して気づいたのは、よさポイントを棒グラフにしているけど「話が複雑だったりリアリティがあるほどよい!」と考える人や「リアリティよりもわかりやすさ重視だ!」など評価基準は人それぞれ、さまざまなはずだなぁ。 あとは、ゴールデンタイム、昼ドラ深夜朝の枠

わかっていて それとも わかっていなくて。わかっていて わかっていなくて。なすりつけレッテル貼り叩き。 ストローマン論法。わら人形化。スティグマ化。論点そらしやずらし。人格攻撃。言われたことのはじき返し。 立場や関係性無視 基準誤り疑いありの「ジャッジ基準カード」乱用、悪用疑い。

思い当たるふしがあったので、じゃあ、①②③や、1.2.3. の手順を 念入りに確認しさえすれば、評価って変わるもんなんだろうか。まあでもたしかに、視点が変われば、元からあったのとは 別の意味や理由で、めちゃくちゃ面白い、素晴らしい作品であるのだ!かもしれないですね。

auの契約内容確認だって。アドバイスがたくさんついている「なぜ最初からそれを教えてくれなかったの キミは(怒り)ねぇキミ それと違うことを先に 教えてきたよね(怒り怒り)」とならないといいけど、過去の周りとの関係性によっては。なんかそれっぽく見えてしまうね。ぜんぜんわからないけど

というか、わかっていてなすりつけて叩いているんですよ奴らは。こうかなぁ? そんなことぼくが指摘されても、ぼくはなぜそれが悪いのかわからないのである!わからないのである!理不尽で怒りや涙なのである!だからおまえのようなやつになすりつけてやる!だからほうら!理由や原因を説明、しろ!!

ドラマの「枠」って放送地域によっても変わる、異なるよね

niwa_bot さん 「めんたねは(あぶない)(やさしい)の2人ユニットなんじゃないか?なおだれも得しません」とのこと。3人かもしれない。

幽遊白書がなぜ人気だったらしいのか、ちゆさん発言を機に、検索中。 この記事を見ると、いろんな路線でチャレンジしていたらしい雰囲気。 https://matome.usachannel.info/?p=434758

根元の腐った木 で検索中 www.uekichi.net/niwaarekore/arekore08.htm 根腐れ 要因3つ 土、水、菌 https://www.e-fukuzumi.co.jp/tubuyaki_negusare.html

木を見て森を見ずの逆? 根本や根元に? 問題のある木を隠すため 枝葉を細かくしまくる仮説 細かい枝葉を加えまくる 支配M SMマトリックス 隠す 木から紙をつくる ecosystemacademy.jp/kids/kami.html kami.jp/どんな木が紙になるの?/

評価者や審査員や視聴者のものどもが、①②③ や 1.2.3. の手順を 適切に丁寧に確認して マニュアル通りに従って そうして 評価をしない、ちゃんと手順通りにやろうとせず、手順を省略してサボろうとするからこそ 誤った評価ばかりが出てくるのである! 視聴者は、ちゃんと、評価しろ!

じゃあ逆に考えると、主観の持ち主から見て、おまえのようなものこそが当時の価値観や文化を知らないのが悪い。おまえのようなものこそがよそものでありぼくらの当時の文化を知らない無知なやろうで、すべての悪の要因や原因であるのだ。つまりすべては、おまえが悪い。かなぁ。ほんとうにそうかなぁ?

レン話さんのいろんな人との対話を見ていると、やっぱりこれだ「時代や、住んでいる地域、その文化、見て育ったテレビ番組、なにを善や悪、なにを面白いやつまらない、なにが楽しいと捉えるのか」そういった価値観は、変化する。当時視点と、現在視点と、あとは、生まれ育った場所や地域、その文化。

「あなたはどんなジャンルのどんなアニメやドラマや映画を、何曜日のどんな時間帯に、ひとりで or だれと一緒に どんなときに どの放送局のチャンネルを通して、視聴したいですか?」「ライフスタイルの枠を埋めてみてください。」「また、あなたのドラマはどの枠で放送してほしいですか?」

「枠」= ひとつのドラマやマンガ作品の中で、たとえジャンルはひとつだとしても、いろんな場面や キャラクターの表情を見せてくれる ということを言いたいのでは。 ワンピースならたぶん冒険ものだけど、バトルシーンもあり、友情や絆や涙や恋愛シーンなど、色々な場面があるのでは。

レン話さん最新note記事内にある ①②③ や 1.2.3. は つまりこうでは? 他人を評価するときには「めちゃくちゃ面白かった、良い 悪い 好き 嫌い 」(具体性や根拠なし)のような人物が 「この作品の好評価のために必要なものはなんですか?」「完璧に審査や評価できる審査員!」

こうだ!評価者のふだんの言動パターンによっては、たとえ相手のことを「めちゃくちゃ面白かった」「この映画は良い、悪い、泣けた、好き、嫌い」など いろいろ評価しようと何しようと ほんとうにこの人 わかって理解して根拠や理由あって言ってる?適当に言ってない?となれば、非常に失礼だ。

ボンド役の白人俳優さん「その黒人女優にこそ 別の役が用意されるべきだ!」この場合、社会は必ずしもそんなの用意してやる必要なんかない。 でも、ものすごく都合よく選択肢の先のたったひとつの椅子として用意されている「ドラマ」がある。 じゃあそれはなぜ必要か。それは、それが必要だからだ。

「とあるドラマ」の脚本家や作家の意図がどうであって、関係者さんやスタッフさんの人柄がもしたとえどんなに素晴しかろうとも、 棒グラフではなく チャート図で評価したときに、ひとつでも極端に やばい 評価の項目があれば、もうそれは、作品として台無しだってことなんじゃないだろうか。