いのちよみがえるとき

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岩手の天台寺にお墓を作られていて、番組(2016年)で訪れられてる場面がありました。当所での法話では、死ぬ時は全身麻酔のように気持ちいいのではないか、と言われてましたが、スッと抜けられたのでしょうか。お墓の意味ということについても、今頃何か感じられてるのかもしれません。

目一杯生きて愛して罪の意識も負われ、それでも明るく元気に旅立たれました。罪の意識について、共倒れは嫌だ、償うということは自分が自分らしくあり続けることだ、というようなことを仰有ってます。自分も、周りへのお返しとして、自身が元気で、感謝できる状態を保ちたいと思うばかりです。合掌。

「寂庵」は嵯峨野。自分のいる左京区から遠いです。昭和49年に結ばれたとか。当時自分は小学生でした。何とも長く長く活動、執筆されたものです。

BSプレミアムで瀬戸内寂聴さんのドキュメンタリー(2016年)を見ました。大往生とは言え、やはりまだまだお元気でいてほしかったです。