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野球部で過ごす高校2年生の様子


このnoteは、野球部で過ごす高校2年生のときの様子を記載しています。いま高校1年生で大変だな、と思っている方、まわりで、高校球児をサポートされている方に向けの内容です。

高校2年生になり後輩ができる

4月を迎えると、登校してから実施していた、部室の掃除やグランド整備を、新1年生の後輩に引き継ぎます。朝練がないので、特に朝、部室に行く必要もなく、8時すぎくらいに教室について、仲のいい同級生と遊んだりして、朝は過ごしました。

練習の際も、1日の流れは把握しており、体力もついてきているので、それほど辛いことはなく、日々流れていきます。僕は主力選手ではなかったので、1年生の基礎トレーニングの指導を担当する日などがあり、練習指示を出したりしていました。性格が上下関係などが嫌いで、おっかない先輩オーラは全く出せず、追い込む系のトレーニング指導ができないので、向いてないな、と思いました。

練習後に、友達とガストに行ってワイワイ騒いだり、家の泊りに行って遊んだり、のんびり過ごしていきました。

夏の大会(高校2年のとき)

春の公式戦は、県もその次の大会も、負けることはなく無敗で、罰走させられることもなく、夏を迎えました。ベンチ入りメンバーは、18人入れるわけですが、同級生から5人くらいベンチ入りしていました。

応援も、1年生にある程度お任せしておけば大丈夫なので、試合中、仲のよい同級生と、先輩を呼び捨てにしたりして、おもしろいことを言ったもの勝ちみたいな感じでほのぼの応援していました。

試合は、準決勝まで無難に勝ち上がり、あと1勝で甲子園という、決勝を迎えました。このときの相手ピッチャーに、プロに入ってエースになるピッチャーがいました。僕が高校で見てきた中で、一番すごいストレートを投げる人でした。思いのほか、先発はそのピッチャーではなく、もうひとりの投手が相手だったのですが、苦戦し、7回くらいから、ものすごいストレートを投げるピッチャーが出てきました。審判の人も勢いに飲まれて、アウトコースボール2個くらい外れている球がストライクになってしまったりしていました。先行だったんですが、8回裏、好投してきた、先輩エースが、相手にソロホームランを打たれ、1-2で負けている状況となりました。その後、後続を別の先輩投手が抑えてくれて、なんとか1点差で9回を迎えました。

ただ、相手はものすごい球を投げるピッチャーでしたので、1点も重くのしかかります。9回表、ずっと努力してきた優しいアベレージ型の先輩が登場してきました。この場面で代打で登場できるくらい努力してきた方になったことに感動しました。結果は、そのものすごいストレートに空振り三振だったと思います。

ワンアウトになり、次は、同級生の1番バッターが登場しました。大会通じて、好調だったので、期待していると、痛烈な流し打ちで、ツーベースヒットを打ちました。

ワンアウト2塁で、続いて瞬足の先輩が登場しました。セカンドゴロを打ってくれて、ツーアウト3塁になりました。

続いて登場するのが、3番のショートを守っている先輩です。2年生からレギュラーで、高校のときに見てきた中で、守備が1番うまかったと思います。バッティングはアベレージ型の方で、1年前の夏の大会決勝も、殊勲打を打った方でした。相手ピッチャーは相変わらず、ものすごいストレートを投げ込んできており、ツーストライクになりました。これで三振だったら、夏の練習開始、が、頭によぎります。がけっぷちです。決め球に、インコースのストレートがきましたが、うまく腕をたたんで、ライト前に運んでくれて、9回ツーアウトから同点に追いつきました。このあと、延長戦に入り、別の同級生が出塁して、ずっと優しかった先輩が、勝ち越しタイムリーを打ってくれました。このタイムリーを打ったふたりが1塁で喜んでいる姿が、とても印象に残っています。そのまま、3対2で試合に勝ち、甲子園出場が決まりました。僕が高校のときに見てきた試合で、一番興奮した試合でした。

夏の県大会が終わり、甲子園のメンバーが再度選ばれるわけですが、県大会は18名ベンチ入りできるのに対して、甲子園は、16名になります。この発表のときに、3年間がんばってきた先輩ではなく、来年を見越して同級生の2年生が選ばれました。このとき先輩が、大変悔しそうに泣いていたのが印象的でした。

また、1学年20人ほど部活に在籍しているので、3年生の先輩も、10人弱はベンチ入りできない状況となります。甲子園に向かう前に、高校をあげて壮行会を開いてくれるのですが、ベンチ入りできなかった先輩は、壮行会会場にいかず、部室でさびしそうにまったりしていました。心からメンバーを応援する気持ちにはなれないものなんだな、とこのときに思いました。

この代のレギュラーの方々は、エースピッチャーは140キロを投げ、バッティングは上位が足が速く、下位はパワーヒッターという理想的な打順が並んでおり、守備もみなさん肩が強く、とても充実したチームでした。甲子園でも2回勝つことができ、あと1回勝つと、秋の神宮大会まで残る、という状況でしたが、負けてしまい、先輩方々は引退となりました。


2年の秋(新チーム)


先輩はいなくなり、新チームになります。まず最初に決めることは
①キャプテン1名
②副キャプテン2名
③マネージャー1名
の任命です。

1年生、2年生の全員の投票の多数決で決まり、①②は、上位3名、マネージャーは上位1名が選任されます。

マネージャーは、女子マネージャーがいるわけではなく、最高学年で、野球がうまかったけど、ケガをしてプレイはできなくなった人や、あまり野球がうまくなくて、でも部員には慕われているような人が、投票されて、選ばれます。

僕は、同級生の中で、下から3番目くらいに入るくらいの野球の下手さ、だったので、マネージャーになる可能性があるな、と思っていました。練習できなくなるのは嫌だったので、なんとか回避できたらと思っていたのですが、結果、マネージャーは別の人が選ばれました。

3年生が抜け、どのようなレギュラー陣になるのかと思っていると、僕が主に練習していたサードは、後輩の1年生が外野手からいきなりコンバートしてきて、レギュラーになりました。
同級生で、一緒に仲良く内野練習していた友達も、セカンドのレギュラーになり、この時点で、僕はあまり回りの選手の能力を客観評価できていませんでした。
プロ野球のように、打率、打点、ホームラン数だったり、スイングスピードや、守備のうまさ、が数値化されているわけではなく、レギュラー陣と、自分にどのような差があるのか(おそらく周りから見たら、一目瞭然なのですが)、よくわかりませんでした。

いままでは、先輩がいるので、ベンチ入りできないことは、当然のように試合を見守ってきましたが、練習試合にも、秋の公式戦のメンバーに選ばれることはなく、そのような状況で、過ごしていく部活動は、大変屈辱的で、そこからまじめに自主練習していくようになっていきました。

秋の大会は、県大会で優勝することなく終わり、罰走だった気がします。

そこから冬の間は、全体練習が20時くらいに終わったあと、仲の良かった友達とふたりで、20:30-22:00くらいまで、室内のバッティングマシンを借りて、毎日バッティング練習しました。主力メンバーのように、全体練習で、フリーバッティングできていなかったりするので、自主トレしても、まったく足りていないくらいなのですが、徐々にスイングスピードが上がっていきました。

ある日の夜、室内練習場の電気を消して、部室に戻ると、先輩が部室に来ていて(たぶん大学で野球をやるので練習したかったのだと思います)「おまえら、ほんとに毎日がんばってるな。絶対、チャンスもらえるときが来るから、そのとき結果だせよ」と、励ましてくれました。そのふたりの先輩は、レギュラー確定クラスではなかったのに、2年生の冬の間、とても努力してレギュラーを不動のものにしていた方だったので、励みになりました。

春になり、練習試合が始まると、僕は相変わらず、練習試合のベンチ入りもできなかったわけですが、一緒に練習していた友達は、試合で活躍するようになり、監督にも褒められていて、僕も大変うれしく思いました。

■高校2年生まとめ

高校2年は多くの人が能力アップできる飛躍の年です。
「練習が早く終わってなくてラッキー!」などと思わないで、必死で練習して、たくさんご飯を食べてください。質のよい長時間練習をしないと以下になります↓
部員数が多いと自分たちの代になって練習試合のメンバーにもなれない、という場合があります。本当に屈辱的な気持ちになります。「主要メンバー以外の気持ちがわかるようになる」といった後付けのメリットがあるかもしれませんが、試合に出れないとうまくもなりませんので、この状態は確実に回避したほうがよいです。中学時代に全国大会出場などの実績がない場合は、まわりの人に自分の能力を客観評価してもらい、身分相応の学校を選ぶことも大事です。
後輩も先輩もいる、充実した1年になります。どちらからも愛される素敵な性格を身に着けてください。その後、社会人になってからも、このときの立ち振る舞いは、大変役に立つと思います。

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