見出し画像

サングラス越しの三日月

数時間前に降った雨が街を濡らした。道は湿り、あちこちに水たまりができていた。サンダルの底を濡らしながら椿田はコインランドリーに向かう。時々、空を見上げて月が出ているかを確認するが、雲は厚くかかったままだった。

真夜中のコインランドリーは椿田を静かに迎え入れた。洗濯機や乾燥機は1台も稼働しておらず客もいない。椿田は手慣れた手つきで乾燥機を回す。手持ち無沙汰な最後の客は、iPhone6sローズゴールドを取り出し『世にも奇妙な物語』を見始めた。怖いものは大嫌いだが、この番組はちょうど良いらしい。しかし、森田のサングラスから透ける眼差しは苦手だった。

イヤホンからは番組の終わりを告げる馴染みの音楽が流れ始めた。すると、鈍い機械音がイヤホンの隙間から入り込んできた。椿田はすぐにあたりを見回す。コインランドリーには誰もいない。しかし、機械音は続いている。鈍い何かがゆっくりと近づいてくるような音だ。入口に目を向けるとシャッターが降りてきているのが分かった。

営業時間が終了すると自動で閉まる仕組みらしいが、乾燥が終わるまで10分ある。どうせ出られるだろうと椿田は考えたが、念のため入口へ近づいてみる。案の定、閉じ込められた際にシャッターを開けられるボタンを見つけた。乾燥が終わってから外に出るという計画が実行できることに安心し、シャッターが地面に着くまでを見届けた。

シャッターが閉まると全ての蛍光灯が消えた。突然訪れた暗闇に椿田は思わず叫んだ。それは、他人に聞かれたら人間的価値の下がる声だった。光を奪われた椿田は携帯のライトを頼りに乾燥機まで戻ることにした。暗闇に放り出されると、何もいないはずなのに何かいるような気分になってくる。実は、洗濯機のなかには人間が入り込んでいて、椿田を監視しているのではないか。そんな幼い考えでさえ現実味を帯びてくる不気味な空間。

夏も終わりだが、閉め切られたコインランドリーは暑く、乾燥機の音だけが反響している。少し落ち着くために、椿田はベンチに腰を下ろすと煙草に火をつけた。口から吐き出された煙は行き場に迷いながらもシミのついた天井を目指していく。煙を追っていれば適当に時間は過ぎるだろう。

天井のシミが、一つ動いたような気がした。いや、確かに天井のシミは動いていた。そして、ボトリ、と音を立ててシミが床に落ちた。シミが地面に落ちることがあるのだろうか。暗いところにいる影響で幻覚が見えているのだろうか。黒いシミが地面を這いずり回っている。椿田はようやくシミの正体が分かった。座っていたベンチの上に立ち上がり、シミが登ってこないことを願った。額からは冷や汗が吹き出し、体は小刻みに震えていた。

そろそろ乾燥が終わってもいいはずなのに、乾燥機は回り続けている。もはやインジケーターには数字が表示されておらず、解読できないデジタル記号が画面内を動き回っていた。いつまで乾燥機は回り続けるのか。黒いシミはきっとどこかを這い回っている。

我慢できなくなった椿田は稼働中の乾燥機の扉を開けた。回転の途中で開けられた扉から、次々と衣類が飛び出していく。パンツやら下着やらが飛び出すなか、白いTシャツが宙を舞った。暗闇に映える白さに美しさを感じずにはいられなかった。しかし、早く回収しないと、その美しさにも黒いシミがついてしまうかもしれない。周囲を気にしながらも、飛び出した衣類を回収し、ようやく椿田はシャッターを開けるボタンを押した。徐々にシャッターが上がるにつれ、夜の光が室内に差し込んでくる。椿田の人影がコインランドリー内に大きく映った。

雨上がりのじめじめした空気を吸い込み、外に出られたことに椿田は安心した。洗濯カゴをもつ手がくすぐったい。手をみると大きなコオロギが張り付いていた。椿田は人間の価値が下がるような叫び声をあげ、乾いたばかりの洗濯物は宙に舞った。やはり、白いTシャツは美しかった。


-終-


photo by baumpaul


以上、『橋本歩と椿田竜児のレイディオ』の再構成バージョンでした。
第13回目「エキナセアと高尾山の奇妙な物語」
再生開始すぐにコインランドリーの話が始まります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?