カマたくさんのツイートに共感

昨日、「完璧を求める人…」というような記事を書いてアップした翌日の今日に、カマたくさんのツイートを見てたら、なんだかちょっと似てるようなニュアンスのことを表現されてて、とても共感できた。

自分に自信が無いと自称する人って、「他の人はできるのに」とか隣の芝は青いみたいなことばかり言っていて、「できる」じゃなくて、単に好みだったり、分野による得意不得意だったりするし、
なのに、自信が無いと言う割には、そこそこやってて、他人はその人をそこそこ評価していて、仕事にも困っていない。(世の中にはもっといろいろできなくてもっと本気で困っていてつらい環境の人はいっぱいいる。)
とにかく、自分の中の理想が高い。その理想の高さは、さらなる高みを目指すという点では、前向きにとらえればいいことだが、「できない」と後ろ向きに悩む材料にしたら、それはそれは出口のない、そして生きるに困っていない中でのぜいたくな悩み。

冷静に自分の実力をとらえて、卑下もせず、卑屈にもならなければ、とっても気持ちが楽なのに。
優秀な人は優秀な人で自分と違うことは仕方ないし、自分の方が優れている点もどこかにあると勝手に想像すればいい。
ある意味、理想の高さとか理想の自分に対するあきらめの悪さは、一度あきらめることで、同じ事を行うにも、理想に足りないと見えるか、成長に寄与すると見えるか、気持ちとして大きな差となる。

実は、自信が無い人って、少し突き詰めると、自信が無い割には、奥底ではあまり謙虚じゃなくて、見方によってはずうずうしくて、「自信が無いのにその考え方なの…?」と、こちらがちょっと驚いたりすることがある。

カマたくさん、以前から共感できるツイートは多かったんだけど、
一方で、全てのツイートが共感できるかというと、ちょっと考えは自分とは違うかなというのもあって、それも以前にカマたくさんは「そういうもの」とツイートしていたので、その点(考え方、スタンス)も、とても共感できる。

たしかに、映画監督や小説家、ミュージシャンなど、好きなものを作る人の人格にも好感を持つになることはありえると思うし、
「人」を軸にしておくと、好みに合う作品(商品)を提供してくれる確率は高いだろうし、
でも、全部の作品を好きかというときっとそうでもないだろうし、そこはそこでそれが「自分らしさ」「他にいない自分自身そのものの特性」と思うので、問題ない、普通の自然のことと思うけど、
どうも、そう思えない人もいるみたい。
自分の描いていた偶像と違うことが起きると、「失望」したりする人がいる。その気持ちはわからんでもないけど、その相手と自分は異なる人だから、まして相手は有名人だったりして多くの人の好みを背負っているというかたまたま共通しているだけで、誰かと考えが全く同一というわけではない。

何かに期待するのは、その相手に対して敬意も含まれているだろうから、悪いことではないと思うけど、単に「自分の」期待とずれていた時に、相手の個性を認めずに「失望」するくらいなら、最初から期待しない方がいいし、勝手に期待して勝手に失望するんじゃ、自分勝手すぎて、逆にちょっと相手に失礼なんじゃないの?、と感じます。(これも単にひとつの考えですよ。誰もがそう考えるというわけではないですよ。)
(実は、自分に自信の無い人は、理想の高さを他人にも求めるので、上記のような「失望」も起こしやすいんです。)

……あ、もうちょっと自分にも他人にも締め付けすぎずに、ゆるやかにバランス持って生きませんか~、というご提案の一環なだけです。あしからず~ m(_ _)m 

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