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バイデン大統領の『ネアンデルタール発言』について

 はじめに

 2021年3月4日、CNNが報道したところによると、アメリカのバイデン氏は、テキサス州のアボット知事とミシシッピ州のリーブス知事が自粛解除を決定したことについて批判する下りで、「マスクを外してコロナのことは忘れようというネアンデルタール人の考え方」と発言し、大きく批判された。この発言の意図をホワイトハウスのジェン・サキ報道官は、「共和党員がネアンデルタール人だという意味ではなく、その行動パターンがネアンデルタールに似ているという意味であり、医学界のコンセンサスに従わない者に対する不満と憤りを表したものだ」と釈明した。

 一般的な感覚からすると、普通誰かを非難するときに「ネアンデルタール」を引き合いに出すことは珍しい。そこで当該バイデン発言の社会的背景を本論は解説するものである。

 実は、日本でも最近新型コロナウイルス感染症の免疫に「ネアンデルタール遺伝子」が関与していることが報道された。沖縄科学技術大学院大学の遺伝学者スバンテ・ペーボ教授らが、ネアンデルタール遺伝子が新型コロナウイルス感染後の重症化率を3倍に高めるとの論文を科学誌NATUREに発表し、その後、また別の論文でネアンデルタール遺伝子は重症化率を20%低下させると発表した。

 おそらく多くの人が、義務教育を終えて以来久しく聞かなかった「ネアンデルタール」という概念について、本論は現在までの研究史と展望を簡略にまとめ、実は今後の私たちの政治観に大きく影響する可能性があることについての論考を述べたく思う。

1 ネアンデルタールの研究史

 昭和に生まれた人ならば、おそらく、猿人、原人、旧人、新人という連続性において、人間の祖先にあたる「旧人」として、ネアンデルタールという単語を習ったことだと思う。これは、1856年にプロイセン王国のネアンデル渓谷から(旧ベルク公国領をウィーン会議でプロイセンが併合)、人骨らしき奇妙な化石が出土したことに始まる。当時の人々は、この骨が「くる病によるビタミンD不足で骨が変形して病死したもの」と考えたが、のちにそれが人類とは一線を画する種族「ネアンデルタール人」だと判明する。

 1950年代になると、イラクのシャニダールという場所から大量のネアンデルタール人の化石が発掘され、それまで部分的にしか発掘されていなかったネアンデルタール人の全体像が明らかとなった。ここから、オーストラリアのアボリジニの人々との形態的連続性が認められるという研究が始まり、アメリカのミシガン大学の人類学者、ミルフォード・ウォルポフ教授らが、「多地域進化説」という学説を発表し、世界的に支持されるようになった。

 多地域進化説とは、およそ100万年前に原人(エレクトゥス)がアフリカ大陸を出発し、全世界に拡散して土着し、そこから旧人になり、やがて新人であるホモサピエンスに進化したとする考え方だ。20世紀までの日本の公教育では、ミルフォード教授の学説が採用され、前述した「猿人原人旧人新人」という連続性が教科書に記載された。

 よくインターネットミームで話題となる、北朝鮮が「朝鮮人の祖先は山ぶどう原人である」という説も、実はミルフォード教授が発表した多地域進化説に拠るものだ。当時は、誰もが原人から世界各地で人間に進化したと考えていた。「頭骨の形態的連続性」(つまり原人とよく形が似ている民族をミルフォード教授らは世界各地を調査して確認していた)が認められたからである。

 これに対して異議を唱えたのは、イギリスのロンドン市立大学のクリストファー・ストリンガー教授らの主張した「単一起源説」である。ストリンガー教授は、頭骨など形態学の立場から進化史を論じるのではなく、遺伝学の立場から進化を研究した。そこで、ネアンデルタールの化石からミトコンドリア遺伝子(mtDNA)を抽出し、現代人と比較し、「ネアンデルタールと同系統のmtDNAの持ち主は全世界でただの一人もいない」と主張し、100万年前に原人が出アフリカをして世界各地に移動した事実は認めるが、更に16万年前に人間がアフリカで誕生し、第二次出アフリカをして世界各地の原人の子孫たちを駆逐して現在の世界が成り立ったのだと主張した。

 実は、このストリンガー教授らの主張は世界各国の神話観とも一致する。我が国の日本書記でも、神武天皇ら天孫族が天下り、土着民族を征討するエピソードが記録されている。しかも、原人やネアンデルタールは「弓矢」を一切使用できなかったことが現在判明しているが、神武天皇の朝敵である長腿(ながすね)彦(ひこ)も「弓矢が使えない」というエピソードが挿入されており、神武天皇自ら「弓矢を所持して使用できることが天孫族の証明」だと説明する。(さらに、人間とは異なり、ネアンデルタールは大腿骨と脛の比率が異なり大腿骨が長い)

 ただし、mtDNAは母娘の相伝であるため、もしネアンデルタールが人間の女性を強姦し、人間が生まれてきた子どもに共感して殺すことが出来なかったことから「混血」していた場合、ネアンデルタールのmtDNAは残らない。こうした矛盾から、ストリンガー教授とウォルポフ教授らは10数年にわたる長い論争を続けていた。

 なお、この論争に対して日本の国立科学博物館の馬場悠男教授は「ヨーロッパは単一起源説でアジアは多地域進化説だ」とする折衷案を発表した。日本人の前歯の裏側はシャベル状にへこんでおり、これがホモサピエンスの前歯とは異なり、原人の前歯と同じ形をしていることなどが根拠とされた。

 これら一連の論争に終止符を打ったのが、冒頭で「ネアンデルタール遺伝子が新型コロナウイルス感染症を重症化させる」という研究を発表したスバンテ・ペーボ教授であった。

 スバンテ・ペーボは2010年5月、「人類はネアンデルタール人と混血している」という遺伝解析結果を発表した。化石に付着したバクテリアなどを除去し、ネアンデルタール遺伝子を取り出して現生人類と比較する作業を続け、ついに「混血説」が確定したのである。日本人も含め、平均してネアンデルタール遺伝子を2%から4%程度持つ。現在までには、ネアンデルタールだけではなく、旧人に属する「デニソワ3種」や「アフリカ古代種」といった遺伝子も現生人類の遺伝子から確認されており、もはや地球上のどこにも「純血のホモサピエンス」は発見できないことが確認された。


2 ネアンデルタールとは一体何か

 前述までネアンデルタールにまつわる研究史を紹介した。さて、ではネアンデルタールの実態像とは一体何かについて解説したく思う。

 例えば、近親相姦の遺伝的痕跡が無いネアンデルタールは、現在まで2体しか化石が発見されていない。また、女は8歳から12歳が出産適齢期となるから、児童出産が当たり前であった。

 ほか、ネアンデルタールの糞からは同じネアンデルタールのヘモグロビンがみつかり、化石には石器での調理痕が残るものが多く出土することから共食いを習慣としていた。また、前述したようにネアンデルタールは弓矢が使えない上、落とし穴を掘って狩猟をすることもできなかった。基本的には、採集と死肉漁りによって生活をしていた。伸展葬(遺体の手足を伸ばして横に寝かせた状態)で埋葬されたと言われているネアンデルタール化石もわずか4体ほど発見されているが、多くのネアンデルタール化石は調理されるか動物の食べ残しの形で見つかるか、または全身を複雑骨折させられ折り曲げられて植物のつるで縛られた状態で発掘されている。

 よくある誤解で「ネアンデルタールは死者の献花をしていた」というものがある。これは、イラクのシャニダール遺跡から出土した化石の周囲にシキミ科植物の花粉があったことに由来する。しかし、献花であれば多様な種類の草花が想定されるが、シキミ科目一種のみであったことから、これは献花ではなく死体置き場の死臭を消臭する目的があったと考えられている。シキミ科植物は線香の原料でもあり、死臭を消す作用がある。仮に死者への弔意が推定されたとしても、大多数のネアンでルタール化石には副葬品が無く、四散した形で出土しているため、数体の「埋葬されたかのような外観の化石」があったとしても、その他の死体が無残な状態で発見されていることとの整合性がつかない。

 また、ネアンデルタールは自分で獲物をとれない身体障害者に食事を与えていた痕跡が発見されている。これも、天敵の肉食獣に襲われたとき、逃げ足の遅い障害者が居れば他が助かる目的があるため、慈しみの情があった証拠だとはいえない。

 さて、前記まで悪い面を紹介してきたが、もちろんネアンデルタールには良い面もある。シャテルペロン文化といって、多様な打製石器の製作に成功していた。人間が純血を保っていた時代の地層からは一切の芸術品は出土しないが、ネアンデルタールと混血した後の地層からは、様々な芸術品が出土する。この事実からも、ネアンデルタール遺伝子と人間の遺伝子の融合が、芸術的才能と無関係であるとは考えられないのである。

 ただ、石器製作に使用された石材はいずれも徒歩圏である十数キロメートル以内で採掘できるものであった一方、同時代のサピエンスはスカンジナビア半島からしか採掘できない石材が北アフリカから出土するなど、言語も法律もない時代に「交易」をしていた。このことから、ネアンデルタールはコミュニケーション能力が無かったか限定的であったと推定でき、反対に人間社会には原始時代にも商人がいて交易していたこと、つまりサピエンスには高いコミュニケーション能力があったことが考えられている

 以上からネアンデルタール人像を考えると、近親相姦を好み、12歳未満の女を生殖対象とし、死体損壊と死体遺棄、共食いを好み、石器程度は製作できるが弓矢といった物理的作用を理解する知能は持たず、かつ、死者の復活を恐れて死体を破壊する妄想癖があった様子が伺える。理性や経験能力は無いが、死者をおそれる程度の感情と打製石器をつくれる若干の知性があったことが伺える。

 さて、ネアンデルタールと私たちの混血した事実を理解するにあたって注意されたいのは、2%から4%のネアンデルタール遺伝子が、果たして私たちの肉体のどの部分を形成しているか、またはしていないのか、といった「影響の結果」の問題である。

 冒頭で紹介したように、ネアンデルタール遺伝子が新型コロナウイルスの重症化率を高めるという事実がある一方、ネアンデルタール遺伝子が統合失調症の発症率を低下させるという遺伝子解析結果もある。異種族との混血の影響には多様性があり、一概にその良し悪しを断定することは出来ない。

 例えば、ネアンデルタールは偏平足であったが、現代でネアンデルタール遺伝子によって偏平足になった人がいたとしても、偏平足がその人の精神や知能に何か影響を及ぼしているとは考え難い。しかし、ネアンデルタール遺伝子が、仮に「人間性の中核」ともいえる前頭葉の発現や成長に影響していたとしたら、どうだろうか。

 例えば、人間以外の動物は「所有権」を理解することができない。そこに魚があれば、八百屋との所有権移転契約(売買)を経ずに、咥えて持ち去ってしまうのが猫である。残念ながら、ネアンデルタールが所有権を理解していたとする根拠はない。そして、所有権とは、前頭葉の発達に伴い理解することが出来る。人間でも前頭葉が未発達な幼児は、所有権を理解することが難しい。このため、多くの国々では幼児に窃盗罪を適用することはない。しかし、もし、前頭葉に関係する遺伝子にネアンデルタール遺伝子が含まれていた場合、その個体は所有権を正しく理解できるだろうか。

 こうした分析から、果たして窃盗罪で服役中の受刑者は全員「他人の所有権を理解した上で侵害した故意」をもっていたのだろうかといった疑問が生じる。「所有権そのものを理解できない」ことによって、窃盗累犯となっている者は窃盗罪の受刑者に一切存在しないと科学的に断言できるだろうか。本論が注目するのは、そこなのである。

 また別の疑問もある。人間の前頭葉には「共感能力」という機能がある。相手の表情筋や眼球運動などから相手の感情を推定する機能である。一方で、刑務所に服役中の受刑者には、強姦致死罪で服役中の者もいる。強姦されている被害者の表情が当然犯行中は視界に入るわけであるが、このとき、被害者の苦痛な表情に対して共感したものの、あえてそれを無視したのか、それとも、そもそも前頭葉に共感能力という機能が生来的になかったのか、現状では断定できないのである。仮にあるのならば、なぜ窃盗と性犯罪は再犯率がほかの知能犯(例えば横領や背任)とは全く異なるのだろうか。合理的説明は未だなされていない。

 現在、多くの国々ではネアンデルタールの先天的行動様式は犯罪であると法定している。死体遺棄、死体損壊や、近親相姦や小児性愛などである。これらの行為に「共感能力」はあったのであろうか。


3 ネアンデルタール頭骨の世界的減少と我が国における増加

 人類学者のフランツ・ワイデンライヒは「現代人の短頭化現象」(Brachycephalization of Recent Mankind Franz Weidenreich Southwestern Journal of Anthropology Vol. 1, No. 1 (Spring, 1945), pp. 1-54 Published by: University of New Mexico)、という論文を発表し、古代の地層からは「長頭」(dolichocephaly)といってネアンデルタール人と同じ形態の頭骨が多く出土するが、時代が新しくなるにつれて世界的に長頭の頭骨の出土は減少し、短頭(brachycephaly)というホモサピエンスと同じ形態の頭骨が多く出土するという調査結果を発表した。

 これに呼応して我が国では、東京帝国大学医学部の鈴木尚医学博士らが、縄文時代から室町時代、そして江戸時代の地層から出土する頭骨を調査し、確かに時代が古ければ古いほど長頭の頭骨が多く出土し、新しい地層ほど短頭の頭骨が出土することを日本国内でも確認した。これを短頭化現象(brachycephalization)という。短頭化現象の原因は長らく謎とされ、気候変動が頭骨の形に影響を及ぼすであるとか、食べ物の変化が原因だとか様々な学説が提唱されてきたが、ネアンデルタール混血が確定した今、ネアンデルタール遺伝子のうち頭骨を形成する部分を持つ人々が減少しているとの見方に対する学術的な疑義は、現在までない。

 しかし、世界中でネアンデルタール頭骨が減少している中、世界で唯一の例外がある。それが、我が国である。我が国では、2000年の省庁再編までは厚生省が、再編後は独法産能研が日本人の頭骨形態の調査をしている。同機関で発表された論文(“Brachycephalization on in Japan has ceased” American Journal of Physical Anthropology 112, 339-347, 2000)によると、我が国でのみネアンデルタールと同じ頭骨形態の「長頭」の数の減少が止まり、ホモサピエンスと同じ頭骨形態である「短頭」の数の増加が止まっているのである。

 前掲のワイデンライヒ博士は、ネアンデルタールについてこのような結論を残している。それは「ネアンデルタールの国家は存在しない」というものだ。考えてみると、国家とは人間固有の概念であり、人間以外の種族に「群れ」はあっても、契約と相続の止揚によって存在する国家は存在しない。

 そこで世間を俯瞰してみると、愛国心の欠如が目立つ。犬の遺伝子をもち、犬と同じ形の頭骨をもち、犬と同じ行動様式を持つ個体を私たちは犬だと認識するのに対して、ネアンデルタール遺伝子をもち、ネアンデルタールと同じ形の頭骨をもち、ネアンデルタールと同じ行動様式を持つ個体を私たちは「人間」だと認識する。この認識は、果たして正しいのか誤謬なのだろうか。

 愛国心の欠如は、政治思想の結果ではない。旧ソ連や北朝鮮といった左翼国家も強い愛国心を持つ人々によって支えられていた。そうすると、愛国心の欠如は政治学の視点から論じられるべきではなく、遺伝学や人類学の視点から論じられるべきではないだろうか。私はそう思うのである。そして、この議論は「基本的人権を持つ権利主体の範囲」への議論へと発展する。

 いくら人間の近縁種であるチンパンジーが人間と同じ遺伝子を98.5%持っていようとも、チンパンジー遺伝子を1.5%持つチンパンジーに基本的人権が認められない一方、第一に近親相姦や小児性愛(児童への性犯罪)などネアンデルタールと全く同じ行動をし、第二にネアンデルタールと同じ頭骨形態を持ち、第三にネアンデルタール遺伝子を2%以上持つという三要件が揃った個体について「基本的人権がある」というのでは、他の近縁種の処遇と整合性がつかない。

 連続幼児強姦殺人や、女児を解体して食べてしまうなど、「人道に反する罪」をした者が果たして私たち人類の同族なのか否か、遺伝子鑑定は現状為されていない。そもそも、我が国では、人間の男女を父母としたホモサピエンスであっても、それだけでは基本的人権は無いと法律で定めている(民法第三条)。憲法で基本的人権が保障されていたとしても、何が人権を持つ権利主体かは法律の定義に委ねられている。従い、人間であっても胎児には殺人罪が適用されない。同じように、ネアンデルタール遺伝子と「ネアンデルタール的行為」の関係性についての法的議論が今後生じても、不自然なことではない。

 政治や宗教が科学を否定するのは中世の価値観である。いま、科学的事実と矛盾しない政治が必要ではないだろうか。

結語

 冒頭で紹介したバイデン氏の「ネアンデルタール発言」は、こうした「宗教的立場ではなく、科学的立場から基本的人権を定義すべきか否か」といった昨今の議論の潮流に便乗したものであると推認される。マスクをするかしないかといった低次元な問題についてバイデン氏はネアンデルタールの概念を用いたのは誤りであると思うが(何故ならば、コロナウイルスに弱いのはネアンデルタールであるから、ネアンデルタールであればあるほど高度な防疫を必要とするためである)、私たちが凄惨なニュースを見るたびに思う「こんなことをするやつは人間じゃない」と思う感覚は、実は感情の産物ではなく科学的経験則に裏付けられたものである可能性を否定できない、ということである。

 本論は、ただ単にネアンデルタール遺伝子を持っているか否かだけで人を判断すべきではないと考える。しかし、人間ではない遺伝子をもち、かつ人倫から逸脱した犯罪を為した個体については基本的人権が無条件であると考えるべきではなく、再考の余地があるのではないだろうか。

特に「ユダヤ人虐殺」や「ウイグル人虐殺」を「人間の行為」と考えることは科学的に正しいのだろうか。人間の共感能力はこうした虐殺を許すのだろうか。私の答えは「否」である。

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