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【ネタバレあり!】いきなりマリッジ1 7話と8話 最終回!『ギャングエイジ』20201003Fri ハシモトビズLIVE原稿

20201003Fri ハシモトビズLIVE

(オープニングSE)


心理カウンセラーのしっかり恋リア分析チャンネル

どうも!ハシモトビズです♪

今回は、いきなりマリッジ1 7話と8話 最終回!

心理カウンセラーにはどのように見えるか?
僕の動画タイトルは『 ギャングエイジ 』!

分析していきましょう〜♪

ようやく「いきなりマリッジ」をコンプできました。
タイトルにした「ギャングエイジ」の解説や、いきなりマリッジシーズン1の二カップルの結論を考察したいと思いますので、良ければ最後までご覧ください。


ちなみに動画をご覧いただく上での注意点ですが、あくまで番組というのは、編集されているもので、単に番組に出ている編集された出演者について分析しているだけで、実際のご本人を分析できているわけではありません。それを踏まえた上で、これもあくまで「いきなりマリッジ」という設定における、あくまで僕個人の好き嫌いを中心に解説させてもらっている という前提でご覧いただきますようお願いします👍

■今回のポイント

今回は、第7話と8話を合わせて分析します。

・ツヨシとキヨミ の最後
・上から目線と言う人が上から目線!?
・九州女子の遺伝子
・「向き合う」について
・ギャングエイジ
・トモタカとスミレの最後
・運命とは
・現代の結婚について

概ねストーリーに添いながら考えてみたいと思います。


■ストーリーと解説

では、ざっくりストーリーをまとめましょう。
第7話、トモタカ・スミレ組は鎌倉デート。鼻歌混じりのスミレさん。トモタカさんとの生活に慣れたところが表れていたのではないかと思われます。お台場で「上着を貸してくれなかった話」をするスミレさん。スミレさんに圧力を感じる方には意地悪に聞こえたろうと思いますが、スミレさんのこういった発言、僕にはおおよそボケなのではと見えました。突っ込まないというか、突っ込めずに真に受けていただろうトモタカさん。スミレさんのフリは、返しが無いことで、ただのキツいセリフになったのでは無いかと思います。逆から考えれば、「トモタカさんはそういう問いかけを真に受けちゃうんだから、そういう問いかけやめればいいのに」ということも考えていいかと思いますが、どっちもどっちというか、凸凹が噛み合っていなかったというか、二人のウマが合う話題が見つかっていないことがわかりました。

その後、レストランでのランチでしたが、翌日が実質最終日のため、深い話をしたがっていそうなスミレさんでしたが、トモタカさんとどのように会話をすればいいか、だいぶ慣れて来たように見えました。

第7話はそこからツヨシ・キヨミ組。残り数日を残しつつ、ごめんと言っているのにも関わらず、ズケズケ自分勝手な理論展開のツヨシさん。終了しました。ここは長くなりそうなので、先にストーリーを進めましょう。

第8話は丸々トモタカ・スミレ組。主に最後の晩餐でトモタカさんがワインと花束を用意。青いバラの花言葉「夢叶う」はウルっと来ました。鎌倉デートの後、婚姻届の中身を記入していたスミレさん。トモタカさんに提示します。それを見て調子をくるわすトモタカさん。

最終決断は、くだけた雰囲気のトモタカさんと、神妙なスミレさん。進むか戻るか悩むなら進むということでOKのトモタカさん。コミュニケーションをあきらめない人がいいなと思ってごめんなさいのスミレさんという結末でした。

■ツヨシとキヨミの破局

では、ツヨシ・キヨミ組から見ていきましょう。

部屋に帰ってきたツヨシさん。やたらとごめんごめんの連呼でした。なんで出てっちゃったの?と言うキヨミさん。「売名っぽく聞こえた」「このままいても楽しく無い」と答えるツヨシさんに「話し合おうではなく、出てく方を選んじゃったのね」と返すキヨミさんでした。

ここは、ちょっときつめでしたが、これでも抑えている方だと思います。連絡もせず、返信もせず、不安にさせられ、バカにされたわけですから、それくらい怒っても、と言うか、怒らない方がおかしいです。「話したくなくなった」とシャアシャアと答えるツヨシさん。よくカウンターをかませるものです。「わがままで子供っぽく見える」と言うキヨミさん。当然のリアクションです。

しかし、ここにはすでにコミュニケーションのズレが発生しています。例えば僕がやや常識を踏まえられているとしての話ですが、キヨミさんの発言は、定石通りと言うか、常識的と言うか、一般的な心の動きだと感じました。

あの場では、ツヨシさんが平謝り。キヨミさんの気が晴れてラスト数日を過ごして最後を考えるというのが、いわゆる大人のやりとりかなと思います。ごめんごめんと入ってきたツヨシさんですから、自分の何が悪かったかを理解して帰ってきたと考えるのが道理かなと思われます。

ズレが発生したというか、二人の相性が悪いというか、言葉や文化が違うのを表したのは「話し合いではなく、出てく方を選んじゃったのね」というキヨミさんの言葉だったように僕には見えました。

アスペルガー症候群の可能性まで感じられるツヨシさんと見立てましたが、おおよそこの言葉を攻撃されたと感じたのでは無いかと推測されます。キヨミさんとしては、おそらく怒りは混ざっていたものの、確認や共通認識を取る、理解したことを示す一言だったと思われます。

しかし、特に「選んじゃったのね」の部分が「失敗した」ということを示し、さらに語尾の「のね」の部分、選んじゃったのね、で「ということで間違いないな、認めたな」のような、弱みを握られ、ここから責めて来られるような雰囲気を感じたのではないかと思います。

案の定、返答が「話したくなくなった」という、言わばカウンター気味、子供っぽく見えるの後、そうだねと返答しつつ、「ぶっちゃけ本当に結婚したいと思ってる?」と、形勢逆転、揚げ足取りの展開に入りました。ごめんごめんとしていたのはなんだったのでしょうか?

「面白いが引っ掛かった」「実はイヤだった」「母親のよう」「今も上からに聞こえる」と、鬼の首を取ったようなニヤケ顔も出ていました。

ごめんごめんと帰ってきたくせに、結局「悪いのはお前の方でしょ?」「原因はキヨミでしょ?」と言わんばかりの展開です。

結局キヨミさんの方から「お互い答えが出たと思う」。やっぱり最後まで男らしかったのはキヨミさんでした。それに呼応するように終了を進めるツヨシさん。本当にいやらしいというか、卑しいというか、ムナクソマックスでした。さらに、準備の早いツヨシさん、それでも見送るキヨミさん。

アフターインタビューも、「良かったと思う」だの「初めから合わなかった」など、何が良かったのか、コンセプトも無視。キヨミさんへの感謝も謝罪もありません。

「結婚はスタートだと思った」「一緒にいてホッとできる人を探したいと思います」というキヨミさん。非常に常識的だったと思います。

キヨミさんがぶっ飛んでるという情報をもらっていましたが、全く逆の分析になりました。


もう少し見ておきましょう。この二人のラストトーク。破滅的な展開でした。こういった状態での会話ですが、なかなか緊張感の高い中、ほとんどの方ができないとは思いますが、一応お伝えしておきたいと思います。

こういったぶつかった後や、ぶつかったときのコミュニケーションですが、できるだけ序盤で会話の目的をすり合わせるのがおすすめです。キヨミさんとツヨシさんを例にするのであれば、「今は、何について話せばいいのかな?」と問題提起していれば随分違ったと思います。

キヨミさんの「選んじゃったね」から、破断する方向を取ったツヨシさん。結局破局でいいとは思いますが、良ければツヨシさんをコテンパンにして欲しかったところもあります。

最終的にはキヨミさんが切り出しますが、「はい、あなたが決めましたよね」みたいな感じでサクサク終了に進んだツヨシさん。「はい、僕は悪くない」のような感じでした。

そもそも勝手なことというか、能力が低かったのはツヨシさんだったように思います。前回の繰り返しになりますが、「仕事の調整ができていない」「机の上に消しゴムのカス」「全体的にリードできていない」「歪んだ解釈」ここが原因だったと思います。

式で「今のところ誓います」「ツヨシなのに強くなさそう」が、やりすぎだったのかは検討の予知がありますが、その後まで見ていけば、ボケだったとわかりました。というか、トモタカ・スミレ組と同じく、ツッコミがないことでボケが失言になってしまったパターンかなと思います。

こういったところを突き詰めて整理すれば、「根本的にツヨシが悪かった」とできたようにも思います。

「子供扱いがイヤ」と言いますが、もちろん子供扱いされていませんでしたし、どちらかと言えば夫に付き従いたがる良い女感に見えました。まず、捉え方が歪んでいるわけですが、もし本当に子供扱いされていたのであれば、それはツヨシさんの所作や雰囲気が誘発しているわけですから、ご本人のせい。「上からに感じる」も捉え方、感じ方次第。これもご本人のせい。総じて全部人のせい、自分は悪くない。このロジックです。

この「上から」、よく「上から目線はよくない」みたいな概念、ありますよね。良い機会ですので、解説したいのですが、その前に、キヨミさんをまとめたいと思います。


■九州女子

これもあくまで僕の感性によるカテゴライズというか、共通点というか、県民性・地域性なのですが、キヨミさんは九州女子だったように思います。特にアフターインタビューの「結婚はスタート」「生活が本当に変わる」「一人でいるのと全然違う」というのがヒントでした。

冷静に考えれば、ほとんど二人で過ごしていないこの二人、キヨミさんは家で一人で待っている時間ばかりでした。九州女子は僕のイメージですと「古風」です。結婚や恋人など、何かしらの関係が発生すると、発動する遺伝子があるように思います。

キヨミさんの行動は、水を出すのも、料理も、掃除も、夫が帰ってくるまで起きて待っているのも、古風でよくできた妻のように見えます。九州女子の中にもタイプがあるだろうことはもちろんのことですが、少なくともキヨミさんはクソ真面目や頑固なところを持っているように思います。故に「妻ならこれが当たり前」というか、関係が発生したときに「女ならこう動く」みたいな遺伝子が目覚めるのだろうと思いました。それが「一人でいるのと全然違う」などの言葉に出ているように見えました。

キヨミさんの伝わらなかったボケや、きつめに見えた発言も、初対面の人と同棲を始め、コンセプトを考えてスケジュールを考えていたのに、全然早く帰ってこない相手。真面目であればあるほど打ち解けるまで緊張しますから、発言がきつく見えても理解できそうです。

アスペルガーだけでなく、広汎性発達障害、簡単に言えば、心理的な隠れ障害者を相手にするとき、真面目であればあるほどドツボにはまります。「自分が悪いかと思ってた」と言っていたキヨミさん。大変だったと思います。

皆さんの周りにも、必ず隠れ発達障害の人はいます。「なんかおかしいぞ?」「なんか考え方が個性的の度が過ぎるぞ?」「なんか伝わらないぞ?」と感じる人がそうかもしれません。これを知っておくだけで、かなり危機回避できますので、これを見ている方には、ぜひ参考にしていただければと思います。

■「上から目線」はブーメラン

「今も上からに感じる」と鬼の首を取ったかのようなツヨシさん。ここに触れておきたいと思います。

「上から目線はいけないこと」そんなふうに教えられている方は少なくないのではないでしょうか。僕は、これを徹底否定します。確かに自分の方が上位のように認識し、上下関係の圧力を利用して、立場的に下の人を侮辱するのは、合理的ではありません。

侮辱された人は気分が悪いですし、結果的に侮辱した人は、周囲からの評価が下がるか、同意する人がいても、それは同じ穴のムジナで、仮初の出世や成功をしても、いずれ仲間を疑い始めたり、良心が湧くと後悔が発生するなど、幸せにつながるルートが思い当たりません。

しかし、この「上から目線」、言葉を曖昧にして定着したものだと思われるのですが、おそらく「上から見ているような目線で、相手を下に見る態度」を丸めたものかなと思います。「上から目線ってダメだよね」と聞くと、安易に「そうだよね」と同意しやすいところがあると思うのですが、ここが大きな落とし穴です。

上下関係というは、本来、人間が集団になった際、その動きを効率化するためにあるものかと、少なくとも僕は思います。経験や判断力がある人が上になり、経験や判断力の劣る人のガイドラインを示します。これで下の人にも経験やノウハウが蓄積し、それが連綿と続いていく。

上の人が偉いわけではなく、責任感が伴い、下の人は守られる。こんな感じでしょうか。

つまり、上の人は上らしく、下の人は下らしくいるべきで、これが逆転すると集団はスムーズに動かないどころか、崩壊します。上の人が上から目線を止め、下の人が礼儀を忘れる。学級崩壊のようなものと言えば把握しやすいかなと思います。

しっかり分けておきたいのは、「上から目線がいけない」ではなく、本来の意味である「侮辱や軽視することは気分が悪い」であり、例えば侮辱や軽視を受けたとしても、それをされる原因が自分にあるかもしれないという一考をするのが建設的な思考というところです。


また、「上から目線」には、使っちゃいけないもう一つのパターンがあります。この「上から目線」と他人に指摘する行為、今回はツヨシさんですが、他人に対して「上から目線」と、否定や批判目的で使う人には、とある共通点があります。

というか、低姿勢な方をイメージすればわかるのですが、しっかりとした低姿勢や他者への敬意を持った人は、他人に「上から目線になっちゃうと損するよ」みたいなアドバイスはするにせよ、他人に「上から目線」という指摘や批判、否定をしません。なぜなら、低姿勢ができているため、いわゆる「上から」な意見を浴びせられても、しっかり聞きます。

では、他人に「上から目線」と批判する人はどうでしょうか?
結論は、本人が上から目線だから、他人に上から来られるとイラッとして「上から目線」と批判するわけです。

他人に「上から目線」と批判する人は、本人自体が「上から目線」というブーメランなのですが、伝わりましたでしょうか。

これは最近引き続き火が消えない「誹謗中傷」も同じことがありますので、気をつけましょう。「誹謗中傷するな!」を始め、「誹謗中傷するヤツは悪」のような意見を言う人、Youtuberでも少なくないのですが、いますよね。

「誹謗中傷はやめましょう」とは異なりますので、分けておいて欲しいのですが、誰かに向けて「誹謗中傷やめろ」というのがブーメランで、矛盾します。「誹謗中傷をするな」と言っているのに、本人が誹謗中傷しているということなのですが、伝わりますでしょうか。

これは、上から目線と同じロジックなので、詳しく説明しませんが、誹謗中傷も、何が批判で、何が誹謗中傷なのかは、辞書に定義はあるかもしれませんが、人の感じ方や捉え方、二者の関係性によって変わってしまうことが多いので、区別が難しくなります。

僕は、攻撃の意図や敵意があるかどうかを問題視します。これを誹謗中傷だとか批判だとかアドバイスだとかに紛れさせることでややこしくなります。人は、攻撃の意図や敵意を感じると気分が悪くなりますし、特にイラッとします。そして、攻撃の意図や敵意は概ね当たります。


■ツヨシとキヨミのまとめ

ツヨシさんとキヨミさん、冷静にまとめると、2回ランチと、温泉旅行に行っただけ。いかがでしょうか。

アスペルガー症候群についてが印象的かと思いますが、一応バイアスを戻しておきたいと思います。アスペルガー症候群は、発達障害の一つですが、発達障害とは、発達の障害です。人間誰しも成長できていない感性を持ちます。誰もが満遍なく感覚を成長させられるわけではありません。若い時の僕を振り返ってもアスペルガーぽかったように思います。

ここでバイアスを戻したいというのはどういうことかというと、発達障害は誰もが持つものということはもちろんのこと、障害の全てが他者と接する上でネガティブに働くわけではないという点です。例えば、喜怒哀楽の怒りの発達が弱い人がいたとしましょう。「あの人は明るくて優しい人ですね」という印象になったりします。けれど、真剣に考えなければならないときや、直面し、戦わなければならないとき、怒りが発生しないため、弱腰になったり、事なかれ主義になったりする。いかがでしょうか。誰もが強みと弱みを持ち、それが状況とマッチすればポジティブに働き、ミスマッチするとネガティブに働く。ご理解いただけますでしょうか。

あくまでツヨシさんは、編集されたものを見せられており、「いきなりマリッジやキヨミさんに対してはミスマッチだったように見える」というのが冷静な解釈かなと思います。

切り取られた出演者の振る舞いに、確かにイラっとしたり、不快感はありますし、それをボヤきますが、こう言ったことを踏まえておければ、攻撃の意図や敵意を本人に向けるのではなく、番組を見て、みんなでヤイヤイ言ってる程度になるのかなとも思ったりします。

ツヨシさんとキヨミさんは、発達障害かもという観点を取っ払って考えても、計画性や実効性の乏しかったツヨシさんによって、キヨミさんが待っていただけでした。キヨミさんの落ち度は、どうしても考えにくいかなというのが僕の感想でした。そして、キヨミさんの友人カナさんの「年上なんだから話聞いてくれたって良い。ちょっと過ごしただけで出て行っちゃうのって」というのが、結論だったのではないでしょうか。

発達障害については、ちょくちょく触れますが、これの他に「人格障害」なんてのもあります。いきなりマリッジ1はツヨシさんが発達障害の疑い、いきなりマリッジ2のエリカさんが人格障害の疑い。いきなりマリッジ3のタケルさんも発達障害。これら健常者に紛れ込んでしまった人たちが、健常者を苦しめる。少なくとも日本の人口が増え、健常者というか、優秀というか、そういう人が増え、同時に隠れた障害を持つ人も増え、それが同居することで、事故って衝突し、お互いが傷つくというのが、現代社会の一側面というのは知っておいて損はないかと思います。

始末が悪いのは、自分が悪いと認識できない人で、それが今あげた人たちだったりするかもしれません。


■トモタカ・スミレの決断

トモタカが結婚継続、スミレがごめんなさいで幕を閉じたいきなりマリッジ1。
ポイントを抑えて見ていきましょう。

まず、視聴者さんからも質問が多かった「決断前日に、記入済みの婚姻届を差し出したスミレさんの意図」というのがありました。直後の個別インタビューで「私はしっかり向き合ったよと伝えたかった」というスミレさんでした。

まずここから片付けていきましょう。僕の解釈は2パターンがあります。一つは、「おそらくスミレはNOだろう」と思っていそうなトモタカさんにしっかりと考えて結論を出してもらうよう、Yesの可能性を示して悩んで欲しかった。おそらく表面意識的にはこれが遠からずだと思います。しかし、もう一つのパターンは、スミレさんの内面意識を推測するものですが、スミレさんの「しっかり考えることが正しいこと」というジャスティスが表れているのではないかというものです。

スミレさんを一言でまとめると「お節介」という答えが出ました。もう少し説明するならば、「世話焼き」と言えば聞こえが良いかもしれませんが、「他人を修正したい」「他人を更生させたい」と言うとどうでしょうか。近い距離で接する他者を分析してしまい、ここが正しい、ここが間違っていると言うのが自動的に計算されてしまうと言うか、わかってしまうところがあるのかもしれません。こう言う人を「過敏な人」とか「感受性の高い人」と言うわけですが、とにかく人を見ていると、口を出したくて仕方なくなる種の人ではないかと思われます。

かく言う僕もそういうタイプなのですが、もしそうだったとするならば、スミレさんは、接する相手が変化しない限りスッキリしないところがあるように思います。人は自分が正しいと思うことしかしませんし、それを正当化して把握しますから「トモタカさんのため」「トモタカさんが考えられる人になるため」という自己認識を持っているのではないかなと思われます。

これが、まだスミレさんが未熟なところであり、相手のためと思っているのは良いかもしれませんが、結局、「他者を変えたい」とか「ここが間違っている」とか、「こうなれば良いのに」「こうなった方がいい」というような発想を持っている時点でアイアムジャスティスです。それでその人が幸せになるかなんて分からないですし、逆に不幸になることさえあります。

「正しさ」は、あくまで自分だけのものであり、自分と似たタイプの人や、同じような趣向を持った人とのみ共有できるものであり、そもそもぶつかる時点で違うタイプです。こういったことを知らずに、あたかも自分が相手よりも「真のことわり」つまり真理に近いように勘違いしてしまっているというのが、よくあるパターンだったりします。

また、婚姻届に記入した理由ですが、回想シーン的に個別インタビューが入っていましたが、あのセリフを極端に解釈すると「今の気持ちでは確実にNO。これを書くことで、マイナスからプラマイゼロくらいにはなるのではないか」というような意味に捉えられました。自分のモチベーションやトモタカさんと、あくまで決められた日数を共にするために記入してみたのではないかなと思われました。

つまり、婚姻届に記入したことと、記入済みの婚姻届をトモタカさんに提示したのは、それぞれ別の理由だったのではないかなと思います。

こういった分析から、表面的、ここではスミレさんが認識しているスミレさん自身の意図や気持ちとしては、「しっかり考えて答えを出して欲しい」。内面的には「トモタカさんのため」「トモタカさんが決断と向き合うため」。もっと深堀りすると、「トモタカさんを修正したい」というスミレさんの性格的、欲求的なもの、という具合になりました。


しかし、案の定それを見て頭を抱えるトモタカさん。「次につながりそうなものが出ると思わなかった」と悩みはじめます。やっぱり、スミレさんはアイアムジャスティスなところがありますよね。スミレさんが思う、あくまでスミレさん個人の正しさに則って行った行動は、トモタカさんを苦しめます。結果、トモタカさんはOKを出したのにも関わらず、スミレさんはNOでした。思わせぶりにしといて振るって意地悪ですよね。トモタカさんに恨みがあったのかもしれません。最後に最高の嫌がらせになりました。

と言いますが、きっとそんな意図はなかったと思います。これがスミレさんの言う「ごめんなさい、私、めんどくさいんです」のところです。そういった、最後まで面倒を見るというか、最後の責任まで取るような先見性や、計画性が足りていないんです。これがスミレさんを「未熟」と表現せざるを得ないところでした。

そもそも、誰かに強い怒りを感じたり、嫌な意味で気になり続けるのが、すでに未熟ですから、どれだけ「私は間違ってない」と言おうが、「そういうのやめた方がいいよ」とか言おうが、「こういうのが良いと思う」でもいいですが、言える立場ではなかったかなと思ってしまったところでした。

サトケンさんが登場したところで、トモタカさんに減点がついたことで、スミレさんは悪くないように見えるところもありましたが、結果、どっちもどっちというか、二人とも、大人のような顔をした子供だったとまとめておきたいと思います。


■カメレオンなトモタカ

では、トモタカさんについてもまとめておきましょう。

スミレさんに記入済みの婚姻届を差し出され、「次につながりそうなものが出るとは思わなかった」それまでNO一択の考えだったようです。理由は「キスも肉体関係もない人と結婚できるか」とつけ添えられています。

ここに違和感を感じれて方はいたでしょうか。単純に、NOだと思ってたけど、スミレがYesの可能性を差し出してきたから迷いが生じたと捉える方が多いのではないかと思います。

心理カウンセラーにはどう見えるかをお話ししていますが、ここからは、相手次第が基本姿勢で自分の考えや発想が湧きにくい、ボディタイプB1と、他者とのバランス感覚に優れた「一人っ子気質」が表れているように見えました。

つまり、スミレがNOだと踏んでいたから自分もNOで考えていたのに、スミレがYesの可能性が出てきたことで、迷い始める。そして、悩んだらGO。一見、いさぎよく、爽やかに見えた方もいるかもしれません。しかし、あくまで僕の見解ですが、Yesにしておけば、スミレさんがどちらに転んでも問題ないですよね。「条件を外してないから、めとってみよう」などと理由を話し閉めていましたが、残念ですが、根本は無だったように見えました。それに肉付けをしていたような感じと言えばいいでしょうか。

こういった分析ですが、あくまで否定や低評価ではありません。ボディタイプB1が根本的に肉体のリミッターが切れていて、人間本来の強靭さを日常から発揮しており、強すぎる、故に好きとか嫌いが感じられないという分析になります。

強いのは良いことと考える方も少なくないと思いますが、強すぎると鈍感になります。すると、悪気なくこういったことが起こるというのがわかると良いかなと思ったりするところです。

カメレオンというのも、なんだか卑怯な人のような印象があるかもしれませんが、相手に合わせられるという強みとも取れます。しかし、個人的な意見を問われると困る。伝わりましたでしょうか。

トモタカさんのYESに対して、分析ライブでMariyさんから「諦めなかったと思う」というコメントをいただきました。いつもありがとうございます☆ 優しいですよね♪ しかし申し訳ありません。僕の分析は、「相手にYesの可能性が発生したので、自分もYesを出した」というか、平和的な解決を選ぶ習性があるというようなものになりました。このコメントをいただいたことで発想が湧きましたので、助かりました♪ ありがとうございました♪

■ギャングエイジ

僕が恋リア分析を通して、ちょっとしたカウンセリング心理学的な話を挟むのは、「これを知ることで、生きるのが楽になる」的な情報を届けたい性癖がありまして、その一環なのですが、今回は「ギャングエイジ」を紹介したいと思います。

トモタカさんの「そのまんま返してやんよ」とか、決断の重い空気の中、ふざけているような照れ隠しも「ギャングエイジ」という言葉を知ることで理解が進むような気がしました。

ウィキペディアを見るに、本来、「ギャングエイジ」とは、大人や先生、親といった目上の存在よりも、友達を大切にし始める時期を指すと書いてありました。そういえば正確なというか、どこの理論で、定義が何かを詳しく調べたことがなかったので、これも僕の解釈というか、人の行動を理解する上で「こういう時期ってあるよね」とか「こういうタイプの人っているよね」程度に聞いて欲しいというか、別に正確な定義って、あんまり意味がありませんので、そんな風に聞いて欲しいのですが、僕は「ギャングみたいな振る舞いをかっこいいと考える時期やタイプがある」というのを伝えるのに使っていたりします。

ちなみに、ウィキペディアには、「ギャングエイジを悪い行動と捉えたり、青年期の非行グループに見られる排他的集団と誤解される場合もある。」とか載ってて、あくまで定義とは違うそうです。

僕が思う、トモタカさんのちょっとキツめとか、丁寧な方からすると失礼な発言は、照れ隠しとギャングエイジがあるような気がしています。なんか悪そうなことをかっこいいと思っているところが、あくまで定義とはズレますが、「ギャングみたいな悪そうなことを、カッコつけてやっている」のように見えませんでしょうか。さらに自由や個別主義を美学とするパリピ思考。いかがでしょうか。

分析ライブで、ゆゆさんからトモタカさんの「バカとブス嫌い」について「そんなに言葉にしなくても」というコメントをいただきました。これもギャングエイジを思い出した一つでした。ありがとうございました♪

ちなみに、ホームパーティ協会でのトモタカさんは、いわゆる常識的な振る舞いをしていました。ということは、サトケンさん登場のヒカルさん宅飲みでのトモタカさん、スミレさんと二人でいるときのトモタカさんなど、何かの雛形に沿った振る舞いだったのかもしれません。

どういうことかというと、友達といるときはパリピっぽいキャラクターに沿い、スミレさんと二人のときは一人でいるときと同じ顔、故に意見がない。こんなところでしょうか。


スミレさんについてもう一つ触れたいのですが、その前に、トモタカさんの「じゃあどうすればいいか」をまとめておきたいと思います。

パリピ+ギャングエイジ+自分がないトモタカさんには、自己理解をおすすめしたいと思います。

よく言われることなのですが、「そういった分析は聞いたことがない」と言われます。そういえば、カウンセリングスクールに通っている際も、先生や先輩が受け持っている事例の検討みたいな授業があったのですが、僕が問題の整理と解決案を出して、先輩や先生含め、会場全員が納得するみたいなことがありました。手前味噌みたいな話ですが、基本ポンコツな僕にも、できることがあるようですwww


トモタカさんがされるといいかなと思う自己理解は、「ボディタイプB1の強すぎて鈍感」についてです。「自分は本質的に鈍感」「自分は強いため、なんでもいけちゃうから判断に困る、故に自分の意見が湧きにく」という点です。

自己理解が大切だということは、心理系の人なら誰でも口にすることですが、なぜ重要なのかと言うと、「自分って根本的にそういう感じ」と知ることで「こういう場面には適している人間/こういう場面には適していない人間」とわかったりします。「適正を知る」というのを他の言葉で言うならば、「自分を受け入れる」ということになります。

「自分を受け入れる」のも大切なんていうことも、よく聞きますよね。これって、なんだか「自分を諦める」みたく聞こえませんか?「○○なんだから仕方ない」こんなひねくれに繋がることが珍しくありません。マイナス方向に向かってますよね。

本来、「自分を受け入れる」というのは、適正を知り、自分に合った場所に自分を置いてあげる努力や工夫をすることと、自分に合っていない場で、どのように振る舞うことで差し障りなくなるかを身に付けることだと僕は考えます。

そして、これらを必要ならば、場所に合わせて平気で自己開示してしまうというのも、自分を受け入れている人の所作だったりします。

そういった意味で、自己理解について誤った解釈や伝え方をしている方を、よくお見受けしますので、付け足させてもらいました。

トモタカさんについては、自己理解をしていただき、適していないことを強要されるときは「考えるのがめんどくさい」とか「苦手」ではなく、「そういうの、一度しっかり向き合って考えたし、いまだに考えてるし、工夫してるんだけど、どうやら適性は弱いみたいなの、ごめんなさい」というようなセリフを用意しておくといいかもしれません。

結果、しっかりと考えていることが伝わるのではないかと思います。スミレさんのような相手にも納得してもらえるかもしれません。そして、これを言ってもなお、続けてくる相手は、だいたい「強迫タイプ」ですので、笑い困り顔で、「そうだよね〜」対応が効果的かと思います。

ちなみに「強迫タイプ」というのは「強く」「迫る」と書いて「強迫」で「脅す」方の脅迫ではありません。

これで大丈夫まではいきませんが、そういうタイプの方には「なるほど〜」「よく考えてるね〜」と言っておくと満足することがありますので、こういった、同意にも否定にもなりにくい「プラマイゼロの回答」とか「つなぎの言葉」とか僕は呼んだりしますが、そういったオプションというか選択肢の追加をすると、ぶつかりやすい相手とのコミュニケーションを整えることができることがあったりします。

そんな言葉を贈りつつ、トモタカさんをまとめさせていただきました。

■「向き合う」ってなーに?

スミレさんの「じゃあ、どうすればいいか」の前に、スミレさんの口癖と言うか、アイアムジャスティスの一つ「向き合う」について触れておきたいと思います。

「じゃあ、どうすればいいか」の一つにもなってしまいますが、この「向き合う」。表現としては抽象的かつ、あれやこれやをひとまとめにした、自分のジャスティスを他人に押し付けるのに、非常に便利な言葉になってしまっています。

そもそも人は、何でも向き合っていればいいとは限りません。向き合う方がメリットがあるのか、向き合うことで逆効果になるのかといったような検討をしてから入ることが重要だったり、その判断さえも、その人の生理的スキキライによるということを踏まえる方がいいのではないかと思ったりします。

そういった検討を踏まえ、「向き合う」という言葉を出すのであれば、「向き合う」という言葉の明確化をしていた方が、話の混乱や相手への圧迫という余分なものを排除できるのではないかと思われます。

僕が明確化するのであれば「真剣に考える」「答えを出す」が近いと想像しますが、例えばその他には「本質的に知り合う」「理解する」「許す」「受け入れる」なんかもあるかもしれません。それら複数の意味を持たせているならば、それらを列挙するような説明があるといいかもしれません。

また、これに似た言葉選びとして「受け入れる」もそうなのですが、これも「理解する」とか「許す」を混ぜて使っている人もいますので、明確化しておく方がいいかもしれません。

あくまで、「向き合う」も「受け入れる」も、関係がうまくいっていたり、共感や共通認識が取れていれば問題ありませんが、関係がうまく行っていない場合には、言葉のズレや認識のズレに、こういった抽象的な表現がネックになっていることがあったりします。


ちなみに「向き合う」は「何に必要なのか」「どんなとき必要なのか」「なぜ必要なのか」「何に向き合うのか」「向き合う」という言葉は具体的にどんな行動を指しているのかなど、少なくとも5W2Hでの明確化がオススメかなと思います。

一般的には5W1Hかと思いますが、「いつ・どこで・誰が・何を・なぜ」の5W、「どのように」のHowで1Hに加え、金銭的コストのHow muchを加えて2Hでオススメするのですが、How muchは「時は金なり」という言葉の通り、時間的コストも指します。

こういった明確化をしていない言葉で相手に迫るのは、相手に「わからないでしょ」とか「わかるでしょ」とか「普通わかるよね?」というような曖昧な圧力をかけ、相手を不明確で答えにくい状況に陥れることで発生する上下関係や力関係、立場的な優位性を確保するために都合いいアクションに、あくまで結果的になってしまっています。

もし、この「向き合う」を使うことで、自分が助かる展開になる経験や安心感を無意識に感じて常用している場合、それは、自分の安全地帯確保のための行動を取っているというような分析も立ってきまして、それだけ怖がりだということが見えてきたりします。

雑に言えば、ビビリだからそういうことをする。つまり「根本的に強くなることが必要ですね」とか、「そんなに怖がらなくていいですよ」とか、「自分と他人を分けましょう」のような切り口で自己分析を促す流れが見えてきますが、そんな感じですwww

カウンセリングの展開を話し出すとキリがありませんので、これくらいにしておきますが、最終的に「人間って、いくら正義を語ったって、結局、その人その人の生理的な好き嫌いがベースになってる」とか「結局、人間って全員ワガママ」のようなところに落ち着くことで、自分・他者・世界の見え方が変わったり、生きるのが楽になったり、他人とうまく生きていけるようになったりします。


■スミレさんの「どうすればいいか」

では、もう一つの「じゃあ、どうすればいいか」を考えてみたいと思います。

スミレさんについては既に「未熟」「世話焼き」「他人を修正したい」「他人を更生させたい」「過敏な人」「感受性の高い人」という分析をさせていただきました。そして、強く迫る「強迫的」というものも挙げました。

ここで、トモタカさんの分析を一つ加えたいと思います。それは「見捨てない人」。お散歩のシーンで、友達や恋人では「もう話さなくなる」ということも触れられていたように思いますが、いきマリにおいての「結婚体験」ではYesを出したトモタカさん、つまりは、いろいろ精神的にきついことを体験したのにも関わらず、最終的にはスミレさんを見捨てなかったと捉えることができるように思いました。

これが、「スミレさんのどうすればいいか」の何になるかというと、「そういう人を選ぶといい」というか、「そういう人じゃないとやっていってもらえないよ」という感じです。

ぶっちゃけ、僕はスミレさんと似たパーソナリティだと思います。そんな僕が妻に思うことに「彼女じゃないとやって来れなかった」というのがあります。うちの妻は、どことなくトモタカさんぽいところがあるような気がします。確かにすぐに「わからない」とか「頭が真っ白になっちゃう」みたいなところがありますが、あっけらかんとしたところがあるというか、「いろいろなことを流す力がある」というか、そんな感じです。

それに対して僕がこだわったり、嫌なことが記憶に残ったり、機嫌が悪いのがしばらく続くなど、いわゆる付き合いにくいヤツだったりします。

「夫婦はタイプが真逆な方がいい」みたいなことも、聞いたことがある方は少なくないと思いますが、結構しんどいんですが、一理あるような気がします。

つまり、一般論と僕の感覚も踏まえ、スミレさんもそういうタイプなんじゃないかなと思ったりします。コミュニケーションを諦めない人がいいと言いますが、例えばスミレさんが気の合う人というか、似たようなタイプの方と結婚したとしましょう。いずれ意見の相違は必ず発生します。その時にお互いが意固地になり続ける。地獄です。

どちらかがこだわるタイプならば、もう一方が流すタイプでないと、関係の維持は難しいのではないかと思います。タイプが逆だと、意見もなかなか合いにくいですが、僕が思うのは、一つでもスムーズに話せる話題があればそれでいいのでは?と思うところがあります。

何でもかんでも、結婚相手に求めようとすることで、理想のパートナー像は、現実にいない相手になり、現代の未婚・晩婚・非婚なんて言いますが、こんな現象に繋がっているような気がします。結婚相手からはこれが得られる、友達からはこれが得られる、のように、自分が快適でいられる場面や相手を分割しておくことを勧めることは少なくありません。

さらに恋愛のドキドキみたいなものを結婚相手に求めるのもオススメしていなかったりしますが、それは妄想や、アイドルに求めるようにするというのも良かったりします。これは話すと長くなりますので、「人生を劇的に楽にする」シリーズネタにしておきたいと思います。

スミレさんの「じゃあ、どうすればいいか」。スミレさんの結婚で言うならば「自分を見捨てない人を選ぶ」でいかがかなと思いました。


ちなみに、トモタカさんとスミレさんの、キッチンでの最後のハグ、キスの感じになってましたよね。スミレさんがトモタカさんの口を抑えていましたが、おそらく遠からずだと思います。

いきマリ4の分析あたりで、スキンシップの重要性について触れましたが、やっぱりここでもそれを感じたところでした。これも含め、トモタカさんは「見捨てない人」でした。この二人、結婚で考えるならば、実は相性と言うか組み合わせとしては良かったと思います。スミレさんは結構もったいないことをしましたのかもしれません。

■いきなりマリッジ1とは

では、ざっくり「いきマリ1」をまとめたいと思います。この後も続く原点のシーズン1。
トモタカさんとスミレさんは、計画性が足りなかったのではないかと思います。トモタカさんが、手を繋ごうか考えてるうちに家に着いちゃうなどと行っていましたが、計画を立てて実行するというプロセスに至る前の「考え中」さえもやっていないのではないかなと思われました。なので、その場になってから考え始める。その場になってしまうと、じっくり考えるなんてできませんから、答えが出ずに何もできないという感じです。

気持ちが定まることや、行動できる人は、計画やコンセプトを大切にしますが、それ以前に「どうしたらいい」や「どういう結論だと望ましいか」などをじっくり考えています。結論や目指すべき方向性が決まることで、やるべきことや道筋が見えてきます。故に気持ちの定まった行動が発生するというわけです。

何事も自ら行動することなしに発生する変化は、他人によるもので、その方がうまくいくラッキーな方もいるかと思いますが、これは本当に一握りの方で、自己啓発とかスピリチュアルなどの中にいる一部の怪しい系というか、人の怠惰な部分につけ込む系のタイプがいるかと思いますが、「自分でやることから手を離せ」とか「自分でやることをやめると入ってくる」みたいな、無責任な教えを問いちゃう人もいますが、確かにそう実感できる人もいるかもしれませんが、だいたいがその周辺の人を困らせることにつながっていることが想定できますので、オススメしなかったりします。

計画がめんどくさいからやらなっていないだけで、早々に「なるようになる」だと、今回のトモタカさんのように時が過ぎていってしまい「できなかった」にたくさん遭遇することになるのが一般的かと思います。考えた末の「なるようになる」は構わないかと思いますが、早々にそう言うのは、順番が違うというか、うまくいかない人のパターンとして、よく見ます。

ついでに、決断後、解散準備をし始めた際、トモタカさんの部屋に行き、「自分勝手でごめんね」と告げたスミレさんなんですが、罪悪感が出ていたように見えました。自分は向き合ったとか言っておいて、結局NO。記入済みの婚姻届を示しておいて結局NO。自分も嫌なことが多かったが、彼もたくさん傷つけた。なのに彼はYes、つまり受け入れてくれた、もしくは見捨てなかった。なんだか自分の決断がひどいことをしたような気持ちが湧いたのかなと思いました。

トモタカさんの最後の個別インタビューは、後のナツキさんに影響を与えていましたが、「30日で結婚するか考えるのではなく、離婚するか考える」については、なるほどでしたよね。実際の映像を見て、ナツキさんが取り入れるのも分かりました。トモタカさんの強い部分というか、素晴らしい感性だなと思いました。バイオリンも長くやっているということで、アーティスト気質なところもあったのでしょう。

一作目として、素晴らしいストーリーでした。


キヨミさんとツヨシさんについては、発達障害やアスペルガー症候群が目立ったと思いますが、ついでに「変な人と遭遇した時のコツ」というか、考え方や捉え方を加えておきたいと思います。

僕は「ケンカの尻尾」と呼んだりしますが、僕のイメージは、悪魔の腰から生えてるような細くて黒くて、先っぽが矢印みたくなってるヤツです。

発達障害に限りませんが、人と衝突しやすい人全般に言えることなのですが、その手のケースの構造を分析していると、これにたどり着くことが少なくありません。どういうことかというと、お悩み相談は、対人関係トラブルにおいて、被害者だけでなく、側から見たとき、一般的には加害者と見られてしまう方もいらっしゃいます。

「こういう人がイライラして仕方ない」「怒りが湧いて仕方がない」という形でいらっしゃいますが、僕には、こう言った方の方が被害者なのではないかと思うことが多いです。つまり、イライラや怒りというのは、確かに本人にも原因があるかと思いますが、刺激や誘発がなければ発生しません。

つまり、悪魔というか、人と衝突しやすい人の中の、怒りを買いやすい人は、「ケンカの尻尾」を持っており、それを相手の見えの前に置いています。それを相手に踏ませることでケンカが発生する。こんなシステムが見えたりします。

加害者になりやすい人は、ケンカの尻尾を踏み、踏まれた悪魔は、怒りを誘発する何かをささやきます。踏んだ人は、暴言や怒りを表現する言葉を吐かされる。このような構造です。

「見ててイライラする」「コミュニケーションを取るとイライラする」これは、ケンカの尻尾が目の前に置かれている状態です。ぜひ踏まないようにしましょう。発達障害の方も、このような傾向を持つ人がいるので、変だなと思ったら思い出してみてください。

この構造を知ることで、巻き込まれないように気をつけ、自分の内的世界が青空のように清々しくいられるようになったという声を聞きます。ぜひ参考になさってください。

キヨミさんとツヨシさんのまとめとしても、この例で概ね説明できたのではないかと思います。

■運命とは

分析ライブで仲陽子さんから「やっぱり容姿?」というコメントをいただきました。ありがとうございます♪少し触れておきましょう。婚活イベントをきっかけに、結婚された方を目にしてきましたが、容姿なのか性格なのかといった2択を考える方が少なくありません。

しかし、僕が思う「結婚に至った人」を見るに、もちろんその2択はあると言えばあるのですが、それは、マッチングやお付き合い、恋人関係、結婚という流れで考えたとき、恋人関係までは容姿や性格で届くような気がします。しかし、結婚まで届かない方が多く、そういった観点で見たとき、結婚まで届いた方を観察するに、僕も含めですが、「運命という勘違い」が有効なのではないかと思うところがあったりします。

「運命ってあると思いますか」という質問もたまにいただきますので、紹介しておきますが、僕の考えですと、運命は、多くの方がイメージするような決まったルートが定められているというモノではなく、何かの決断の後の行動や判断で「運命にしていく」というものかなと思ったりします。

後から振り返り、「あれが運命の出会いだった」「あれが運命の始まりだった」という感じなのですが、伝わりますでしょうか。

種明かしをすると幻滅してしまうかもしれませんが、「数奇じゃない出会いなんてない」で分かりますでしょうか。少なくとも現代の日本では、ある種どこにでも引っ越して暮らしていくことができます。出身地・職業選択の自由など、あくまでなんでも好きなように仕事が選べるわけではありませんが、人は自由です。つまり、出会いは全て偶然であり、確率を考えれば、どれも数奇な出会いになります。

いかがでしょうか。紐解けば数奇じゃない出会いなんてありません。なので、どんな出会いも、後から振り返れば「運命的な出会い」なのです。

先に「運命という勘違い」と表現しましたが、どの出会いも運命的な出会いなわけですから、「これは運命的な出会いだ」というのは勘違いというか、全部運命的なら、運命的な出会いは当たり前の出会いです。それを錯覚し、「これこそ運命」となる。伝わりますでしょうか。

げんなりさせることが目的ではなく「そういった勘違いも時に大切ですよ」とお伝えしたいのですが、なんでも裏を隠しておきたくない性癖ですので、ご了承いただければと思います。「時に、流れに身を委ねてみる」「勘違いに乗ってみる」これも結婚できやすい人とできにくい人の違いの一つかもしれません。

振り返ると、トモタカ・スミレ組、結婚を軸に考えるならば、トモタカさんの最終決断は、どちらかと言えば正解だったのかもしれません。スミレの判断は「自分が納得いく人と結婚を考えたい」という向きでしたが、これは結局、自分の我欲が基点になっていると表現してもいいかもしれません。また、今たくさんの結婚できにくい人がいますが、その発想に近い気もします。ちなみにこれは性欲基点の相手選びに分類してもいいかもしれません。

■現代の結婚について

最後に、いきなりマリッジ1を分析してきた中で気づいたことなのですが、現代の結婚にかけられた、少子化につながるバイアスを紹介したいと思います。

みなさんは、結婚式をするならば、タキシードですか?紋付袴ですか?ホテルであげますか?お寺や神社であげますか?

多くが前者を選んでいるような気がします。

結婚は盛り上がる一大イベントで、友達全てを呼んで盛大にやるもの。幸せの象徴になっていませんでしょうか。これも気持ちを冷めさせてしまうかもしれませんが、ちょっと聞いてください。

「本来、日本型の結婚は一人前になるための儀式」

これでハッとする方はどれくらいいますでしょうか。日本型の結婚式のイメージが湧かない方は多いのでしょうか。神社やお寺で厳かに行われます。西洋型のパーティのようなものとは全く異なります。

これは、日本においての結婚が、「幸せイェーイ!」なものではなく、「大人になる」「一人前になる」そういった節目というか、儀式だったからではないかなと思われます。

いかがでしょうか。すでに勘のいい方は気付いているかもしれません。結婚は生活。ともに助け合っていく伴侶との約束を交わす儀式。西洋型の盛り上がるパーティも結構ですが、バレンタインデーよろしくホテルの戦略だったりするのかもしれません。「結婚はいいもの」「盛り上がるもの」「幸せになる」いかがでしょうか。

そう言ったイメージが普及することで、恋愛結婚と共に上昇する離婚率。見た目や収入を重視する相手選びに繋がるのではないかと思ったわけです。

いかがでしょうか。あなたはバイアスにかかっていますか?洗脳と言ってもいいかもしれません。どんな文化も吸収してしまう日本文化。確かに盛り上がるのも良いことと思います。しかし、「助け合っていく」「生活を共にしていく」「協同生活を考える」という観点が抜けやすくなるのかなと思ったりしました。

結婚にキラキラなイメージを持つのも悪くはないと思います。しかし、それによって歪められる相手選び。いつもお話しすることですが、相手だけを見て選ぶのはダメなショッピングです。きちんと鏡を見て、自分に似合うか考えましょう。そして試着してみましょう。自分を見ることを忘れず、自分に似合うかで選ぶ。服や靴では当たり前にやることです。例えが雑かもしれませんが、原稿を書きながら閃きましたので、紹介してみました。

こんな話を差し挟みまして、いきなりマリッジ1の分析を締め括らせてもらいたいと思います。


■いきマリ全体を振り返って

・別動画をフリートークライブでやりたい→10月4日(日)


□エンディング


今回も、最後までご視聴いただきありがとうございました。

いきマリ全体の振り返りは、別動画収録としてフリートークライブ形式でやろうかなと思っていますと言いつつ、明日10月4日(日)、できれば21:00からやりたいと思うので、また明日もお会いしましょう♪


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毎度、話の長い僕の動画ですが、また、次のライブか動画でお会いしましょう!

【今回の一言】
「 原稿書いてたら、結婚相手選びの例えが進化しました☆ 」

ではまた!

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