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あなたの失恋どこから?

まるで失恋のようであった。
まさか、この私が、である。この世に生を受けてから一度も恋人のできたことがないのに、失恋?
そもそも、始まったかすら怪しいのに?
まぁ、心にずっと居座られるのも癪だし、実社会では誰にも話したことないし、特別に、今これを読んでいるあなたに打ち明けてみようか。

去年の暮れ、気になる人がいた。
なんとなく、興味を惹かれた。
ゆっくり話す機会はなかったが、お互い気になっていたのだろう。

なぜか連絡先を交換できて、連絡を取り合っていた。
そして、その人に恋人がいることがわかった。
がっかりしたのが正直な所だ。
そこで、連絡を取るのを止めるべきだった。

ある時、急に連絡が来なくなった。何日も何日も連絡を待ちわびた。
自分が惨めったらしく、みすぼらしく、認めたくなかった。
結局は、連絡はきたが、何もかも相手のペースに乗せられているようで、
段々と離れたくなった。
相手と接している時の自分が、いや。
もっと正確に言えば、相手と関わった後に感じる、
虚無感が、
結ばれることのない想いを痛感するのが、
相手の存在が自分の心に遠慮なしにどっかりと座り込んでいるのが、
相手の心の隙間を埋めるかの如く、扱われている様な息苦しさが、
関心を得るために、相手の理想を演じようとしている自分が、嫌だった。

疲れるのだ。
もう、相手を思い出すのも、最初と現在を比較して、相手の愛情を量るのも。

そんな自分を見たくない。
好きな気持ちだけ、純粋に持っていたいのに。
そんな簡単なことがどうしてできないんだろう。
これが、好きという感情なのだろうか。
きっと違うと思う。

そして、自分から連絡を取るのはやめた。
自分から連絡したのは、一度きりだった。

数日は辛かったが、終いにはすっきりしていた。
すっきりした時に限って、相手から連絡が来る。
皮肉にも、心が繋がっている様に感じた。
毎度苦笑いをして、会話を楽しんだ。
さよならを告げるのも、いつも自分の役目だった。

何度も諦めようと思っていたし、昨日まではそんな事ほとんど忘れて、
心穏やかに過ごしていたのに。
連絡が1件きた、どきりと、心臓が跳ねた。
そして声を聞いた。
せっかく忘れられそうだったのに。諦めがつきそうだったのに。
私は同じことを繰り返して、自分に愛想がつきそうだ。

話してみると、遠方へ行ってしまうから、最後に会いたい、
ということらしかった。
まるで、遠い海の向こうへ行くような口ぶりだった。国内なのに。
そういうふうに言うのは、もう会うつもりがないからだろう。
そう直感した。
会えるかわからないから、用事が終わったら、連絡してと伝えて切った。

そして連絡は来なかった。

これが、昨日起きた事。
本当に恥ずかしい話だなと、自分でも情けないことだ。
相手のことはよくわかっていた。飲みの約束も当日にドタキャンするような人だ。
連絡が来ないことも悟っていた。
だから、放っておいて買い物でも行けば良かったのに。
真っ直ぐ、自宅に帰って掃除をしながら、連絡を待って。
そんな無様な醜態を、自分自身に晒していたのだ。
(これで、世界全体に晒したことになるね!なんてこった!)

未だに、この経験は苦味をもって私の心に巣食っている。
不味くないのが幸いだ。
恋愛なぞ、創作だけの世界で自分には縁のない話だと、
遠ざけていたツケが巡ってきたのだろうか。
世の中の人は、こんな辛い思いをしながら恋を謳歌してるのだろうか。


後悔は作家や芸術家には財産になるらしい。
それが、本当なら人間は皆大文豪になるのではないかしらん。
ともかく、苦かった。自分にもこうした苦味を感じる器官があるのだと、
不思議な発見をした。
恋愛は創作の大きな原動力だね。そこは認めざるを得ない。

少しだけ、ゲーテの気持ちがわかった気がする。
失恋で身を投げようとした所、美しい少女に出会い、
新しい恋に落ちた詩を書いた、ゲーテの気持ち。
彼もきっと、恋の苦しみと、喜びを味わってきたんだろう。

苦い敗北を喫したが、過去の私が考えたように、
無闇に時間を浪費したわけではない。
なぜなら、残ったセンチメンタルが再びnoteを書くきっかけを与え、
内省を促したから。
読書の意欲を回復させたから。
そして、問題の発見もしたから。


失恋ってどこからですか?

終わらせるか、始めるか。
恋や愛とはなんぞや。それが問題だ。


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