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皆さんこんばんは。
朝に読んでいる人は、おはようございます。こんにちは。
RN:箸くんの側にはいつもラーメンことはしくん先生です。
今日は所属している「生活科・総合的な学習の時間研究会」の定例会でした。
毎回学びが多い研究会ですが、研究会後は役員などで懇親会があります。
コロナ禍でもあったので、最近までは、リモートでの食事会でしたが、本日は久しぶりの対面での懇親会でした。
自分はと言うと、別件で用事があり、行けず今も車のタイヤ交換を待っています。そう、イエローハットです。
普段平日はもちろん一人で食事を食べますが、土日になると誰かと食べてることが多い自分は、本当に寂しがり屋なのだなと感じています。
しかし、このからあげ定食本当においしかったんです。
でも、味がしなかったんです。
意味が分かりませんよね(笑)
でも本当なんです。
物理的な味としては本当においしいんですが、自分にとっての食事は、誰かと話したり、共に同じ時間を過ごすことに価値を置いているのだなと痛感した食事でした。
黙々と一人で食べ、店の客も自分のみ、テレビの音だけが鳴っている。
誰かと過ごしていない時間は本当に空虚だなぁと感じます。
一人の時間も勿論大切ですが、必要以上に要らないなぁと改めて感じました。
「楽しい」も「嬉しい」も「おいしい」も、すべては一緒に過ごしている「時間」が自分の感情を高めるのだと感じました。
だから僕は物欲もあまりないし、食へのこだわりも特にないのだと思う。
誰かと居るその時間が「好き」だから。
どうしてお金がたまらんのだろうか。。。。(財形貯蓄と積み立てNISAは順調に積もってますが)
新しい日常(新学年)が始まり、慣れない日が続く。
こんな時にこのもやもやを解決できるのは、周りの人と話しながらの食事である。
そこで勝手に名義する。
「食事」とは、「食べる事」ではなく、
「食べる時間を共有する事」であると。
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