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マガジン発行にいたった経緯と決意表明をここでします。

きんたろうです。このたびマガジンの発行を始めてみました。

簡単に出せるものと思っていたのですが、登録画面を進めていくとNote運営による審査があることがわかりまして・・・。審査を出して通るかどうか、そわそわした時間を過ごしていました。きのう審査が無事に通った旨の連絡がありまして、ようやくマガジン発行です。

コロナが猛威を振るい始めた2020年3月。仕事は完全リモートワークに移行し出社が無くなりました。アメリカでの駐在が始まり7か月、わざわざ日本からアメリカくんだりまでやってきたのに、やっていることは自宅のパソコンからのメールとZoom会議だけ。日本から参加しているメンバーを見て、「これ日本にいてもできるじゃん・・・」と、駐在の意味を唯一のメリットは、アメリカの昼間の時間帯に米国パートナーとやりとりできることくらいでしょうか(アメリカと日本とで13時間の時差があります)。

自分の生き方について考える時間ができた私は、自分の力で生きていきたいという結論にいたり、そのためには自分で稼ぐ準備をしようとSNSを始めました。はじめはYoutubeをやってみましたが、撮影や編集に手間がかかりすぎて2本をあげて断念。その間、Twitterも始めましたがウケる内容と自分の伝えたいことのギャップがあり、フォロワーを増やすのをあきらめる(←フォロワー増やしてどうしたいの?という疑問から抜け出せず)。

そんなおり、Noteという存在を知り記事を書き始めたところ、一つの記事がヒットし1000円の記事が毎月30部以上売れるようになりました。この味をしめて他にもいくつか記事を書いてみましたが、そうそううまくはいかず、次第に仕事や家庭の忙しさを理由にして書かなくなってしまいました。

ただ良いこともあって、自分が作ったものが直接お金に変わる経験は、これまで味わったことのない喜びで、自分は商売が好きなんだ知ることができました。会社に依存せず自分の力で生きていきたいという思いを補強してくれました。

学生時のバイトや社会人の給料とは違うものです。毎朝コンビニに来るトラック運転手の差し出す週刊誌の会計をしましたが、彼の差し出す280円を私はバイト代として受け取ったことはありません。プロジェクトマネジャーとして会議を招集し、各部門の報告のメモを取り議事録として展開しましたが、私の給料は本社の誰かが指定の口座に毎月振り込みました。実は祖父も父も根っからの商売人で、この経験からその血が自分にも流れていることを強く実感しました。

まぁすぐにお金にならずとも記事は書いていこう。そうやってネタを整理にしておけば、独立後のコンサルティングに役立ちます。ある程度まとまれば書籍化もできます。このように書く理由は十分なのですが、給料をもらって平穏無事に暮らしていると、まったく危機意識が働かず筆に手がつかないのです。

会社を辞めて貯金がミリミリ減っていけば、ある程度やる気になると思うのですが、もう少し計画的に準備したい。これはもう外部からのプレッシャーに頼るしかない。マガジンを発行し購読者が月額料を払ってくれるということは、まだ見ぬ私の未来の記事(少なくとも一か月先まで)に対し、あらかじめお金を払ってくれているということです。その期待を受けて書かない私ではありません。

外部からのプレッシャーを利用して物事を達成した実績はあります。米国技術士、PMP、マラソン大会、いずれも少なくない申請費用と期限を自らに課すことで達成してきました。今回は他者からの期待を課すことで、今まで以上に強力に自分をモチベートすることができると信じています。

さて肝心の何を書いていくかですが、私のこれまでの経験から仕事術やマネジメント術を書こうとおもっています。プラントエンジニアとしてトルクメニスタンの現場に長期赴任したり、1000億円を超えるプロジェクトでマネジメントを経験したこと。その後異動してからは、旅客機用のジェットエンジンの国際共同開発でマネジメントを経験し、現在駐在していること。我ながらなかなかできない経験をしてきたと思っていて、そこで得た知見がたくさん頭につまってます(←が、これを外に出さないと意味が無い・・・)。

それだけでは足りなくて、生き方についても書いていきたいと思ってます。自分のキャリアや、家族との向き合い方について。妻と4歳になる娘がいるのですが、子供ができたばかりの頃はそれはそれは大変でした。そのあたりの心の処し方についても書いていこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。応援を含めて購読登録いただけると幸いです。


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