大久保寛司の「あり方塾@東京」7期#3石原ゆり奈さん
今回(2024/7/18)の「あり方塾@東京」のメインゲストは、前回に続いてラオスの支援に取り組む石原ゆり奈さん。前日、ラオスから帰国して駆けつけてくれました 。その溢れんばかりのバイタリティを、リポートでもお楽しみください。
ラオスで障がい者支援
(寛司)では、今回のメインゲストの石原ゆり奈さん、お待たせしました。どうぞ。じゃあ、まず、簡単に自己紹介からお願いね。
(ゆり奈)はい。東南アジアのラオスで、手や足の障害がある人の作業所をしています。元々は教育支援で入ってましたが、ラオスでは、日本のように障がい者支援の仕組みがないので、彼らは学校にも来れないんですね。そこで「どうしたい?」と聞いたら「自分たちで食べていけるようになりたい」ということで、2017年にビエンチャンに作業所を開いて、5人くらいで足踏みミシンを置いて練習からスタートしました。
そうしたら、どんどん人が集まってきて、5人が10人になり、30人になっちゃって・・・何度も引っ越して、今は、農園しながらモノづくりしています。
海外支援の仕事はトータルで20年位になりますが、福祉は7年目です。2015年にネパール地震があって、その時に、あるシンポジウムで寛司さんと出会いました。
(寛司)この数年は、日本でも活動しているんだよね?
(ゆり奈)はい。ものづくりと農業を教えていたんですけど、3年前にコロナが起きて、海外の方がラオスに来なくなって、物が売れなくなり、流通が止まってしまったんです。ラオスには機織りと刺繍と草木染の素晴らしい物作りの文化があるのに、経済政策も国の手当てや補償も何もないので・・・このままでは、ラオスのステキな産業がなくなってしまうと思って、日本とフランスで2020年6月から「ラオス展」をやって、何とかやってます。
(寛司)今日は、その作品も持ってきてもらってるんだけど、全部、有機栽培なんだよね。手で糸を作って、手で紡いで、手で染めてと、全部手作り…なのに、信じられない値段です。やはり、身にまとうものは身体と心に影響があるからね、いいエネルギーのものを選んだ方がいい。おススメですよ。
(ゆり奈)よろしくお願いします。「ラオス展」も緊急事態宣言の最中で、大変だったんですけど、流通が止まったら、ラオスの人たちが食べていけないから、何とか会場を探してこれまでに、25都道県35都市とフランス・パリで、開催してきました。ラオスって、海がないから製品を出荷することが難しいんですね。社会主義にしてちょっと鎖国気味で、のんびり暮らすことを選んだ国なんです。赤ちゃんの時にポリオになった子や、身体に障がいのある方も多いんだけど、身体に障がいがあっても心が元気な人が多いんですよ。だから「幸せって何だろう?」と本当によく考えさせられます。
だからこそ私は、チャンスを彼らに創出したいと思って、色々な取り組みをしています。そういう活動の中からリーダーが生まれて、自分たちで回せるようになったら撤退したいと思ってるんです。簡単にはいかないけど、7年やってきて、少しずつ自主性が出てきているかなと。
数々のトラブルを乗り越えて…
(寛司)そうは言っても、いろいろあるでしょ?山のようにトラブルに遭遇しているんじゃないの?サラサラ話しているけど、実際は、きっとトラブルだらけだよね。そういう場面で「なによ」とは思わない?
(ゆり奈)ん〜そうだなぁ、昔は「なぜ?」と思うこともあったけど、最近は、ないかな。叱ることはあるけど、主役は彼らで、彼らの国なので、最終的に彼らが輝くために支援しているのでね。失敗も歓迎している感じです。もちろん、日本人の感覚とは全く違うので、モノづくりの上では寸法の間違いなど、すれ違いも多いですね。その都度、何度も何度も言って確かめてます。でもね。指導しない方が上手くいくこともあって、こちらは、染めが上手な少数民族の方が作ってくれたものなんですけど「好きなように刺繍して良いよ」と言ったら、オモシロイ個性ある作品が出来てきたんですよ。サイズは間違わないようには言うけれど、任せるところは任せてますね。
(寛司)何年もかけてコツコツやってきた。ここが大事ですよね。やっぱり何年もかけてやっているんですね。途中で投げ出さないってことです。
(ゆり奈)投げ出したり、怒ったらおしまいですからね。トラブルもみんなで解決する練習だと思うようにしています。最初は、様々な行き違いも「気にしない」「気にしない」と言っていたけど、それでは変わっていかないので、一から何度も説明します。「これをこうしてああしないと、みんな暮らしていけないんだよ」と細かく何度も言い続けるうちに、少しずつ、伝わるようになっていったかな。自分たちで生きていけるようにするのが目的なので、そこを丁寧に説明しなきゃ意味がないですからね。最終的には本人たちが、自分たちで考えて自分たちで生きていけるように、福祉の真ん中に、自分たちがキチンと立てるように、コツコツ、コツコツ支援しています。その結果、民族衣装も、使えなくなった布を使ったり、糸を使ったり、どんどん伸びています。
名言再び 「やる」か「超やる」しかない
(寛司)理不尽さを目にした時に、投げ出したくなることは?
(ゆり奈)ないですね〜。私の場合は「やる」か「超やるか」しかない。
(寛司)「やる」か「超やる」しかないって言葉、説得力があるでしょ?それは、彼女が言うからです。普通の人が言ったら、全く通じないですよ。これが彼女の強さなんです。
(ゆり奈)私たちは撤退できるけど、彼らは、そうはできない。それに、私自身、この活動をすることで、ずいぶん、心が豊かになりました。ラオスにいると、自然と暮らしが直結しているので、学びになる。私たち(日本)の暮らしが歪んでいるのでは?と思わされるくらい、生きる力が強いと感じるんですね。
シルク、コットン、麻、色々出来る。蚕育てるところからやるんですよ。ラオスには機械がないので、全部手作り。化学薬品ゼロ。綿花を育て、詰んで、乾燥させて、糸にして。糸にするのがその加減が難しいんですけれど、お母さんたちの熟練作業があって、成り立っているんですね。これを産業として残せれば、ラオスでしかできないものとして、活かされるのではないかと思ってます。機械も化学染料もないから貴重でしょ。
それに、ラオスには50の民族があって、手仕事が得意なお母さんたちがいるから、残すことに力を入れれば、女性の雇用に繋がっていくのではないかとも考えている、教えて行けば必ず作れるようになるのでね。そして、自分たちの創ったものが、どこかで誰かに喜んでもらえることが、続けるモティベーションになるので、私たちはそこをひたすら、支援しています。
(寛司)参加の皆さん、質問はないですか?感想でもよいですよ。
「いい生き方をしている人」から学ぶ
(Hさん)自分の生活のために割く時間はありますか?
(ゆり奈)そんなにお金持ちになりたいとも思わないし、家も車も、持って死ねないしね(笑)。誰のために、何のために、より、自分の人生をどう生きるかが、私の一番の興味のポイントだったので、仕方がないかもしれません。
(寛司)真似しない方がいいですよ。あくまで、こういう生き方もあるということ。その中から、自分の生き方に活かせることを学んでもらえばいいと僕は思っています。
私の基本的な発想は「いい生き方をしている人を見れば、何か学べるだろう」ということ。そこからの学びを、自分の人生に翻訳して活用してほしい。
(ゆり奈)出来ないと思っていると出来ないので、やってみるしかない。幅はそれぞれだけど、やらないと変わらない。でも、日本だったら、多少転んでも命はとられない。めちゃ安全だしね。明日死ぬかもしれないと思ったら、自分がやりたいと思うことをやった方がいいかな。みんな、天国に行けるわけじゃないから、ラオスに貢献を。身近なところから、自分が出来ることから、知らないで終わるよりも知った方がいいんじゃないかな。
「知らないって、ズルい」映画製作にも取り組む日々
(ゆり奈)実はもうひとつ、聴いてほしいんですけど、私は映画も作っているんです。もう5本目なんですけど、ここで、最初に創った長崎の映画。ちょっと見てもらっても?
(ゆり奈)私が関わった最初の映画です。たまたまご縁があって関わることになりました。新聞社の方達からも、長崎で被爆した人で話を聴いてない人はもういないと言われたけど、実は、話せていない人もいるんじゃないかと考えて、結果、80代から90代の10人の方の証言を聴くことが出来ました。
日本は被爆した唯一の国で、子ども達にどう伝えていくのかと自分に問うた時に、戦争が、どんどん、知らないものになっていく。
「知らないってズルい」と思ったんです。そこで「まず知ろう」とインタビューしたら、本当に素晴らしい証言が撮れて、映画になりました。
私たち、外部の人間、部外者にだからこそ、話せることがある、出来ることもあると思って、作品を手掛けました。インタビューした方のうち、残念ながら2人はその後、亡くなりました。遺族にはとても感謝されましたね。
次回(9/19)の「あり方塾@東京」のゲストも石原ゆり奈さんです。
文責)橋本恵子
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