矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん!』私的註釈

昔やっていたブログに、2017年のクリスマスイブを潰して書いた記事をここに再掲します。インターネット・アーカイヴで見付けてくださった白江さん、ありがとうございます。

ずっと読みたかった矢作俊彦の改変歴史SF大作『あ・じゃ・ぱん!』を読んだ。
第二次大戦の終結が史実とは異なったかたちになったため、ドイツや朝鮮半島のように東西に分裂してしまった二つの日本、西側の「大日本国」と東側の「日本人民民主主義共和国」を訪れたCNN特派員の主人公が、1990年代(1994年?)の昭和天皇崩御をきっかけに起こる東西日本の大事件に巻き込まれていくという話。西日本はバブル期日本のような経済発展を遂げており、関西の企業が世界的な影響力をもつ一方であらゆる公共サービスが民営化された、拝金主義的な国になっており、逆に東日本も社会主義国として発展を遂げてソ連崩壊やベルリンの壁崩壊のあとも健在であるが、経済至上主義に陥った西日本よりも純粋培養された国粋主義的な思想の持ち主が多くいたりする。東日本では現在の標準語が「東京官話」として用いられる一方、西日本では河内弁をベースにした関西方言が「標準語」として新聞などの書き言葉にも用いられている。
この東西分裂に巻き込まれるかたちで、実在の人物たちも現実とはまったく違った人生を送っている。ウィキペディア( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%83%BB%E3%81%98%E3%82%83%E3%83%BB%E3%81%B1%E3%82%93 )に出てくる主要な登場人物だけでいうと、西日本は巨大なメディア会社に成長した吉本興業の創業者一族が権力の座にあって、「戦後の名宰相」が林正之助、公共サービスの民営化を進めた首相が吉本穎佑(現実には戦後間もなく結核で死んでいる)、そして今は穎佑の妻・シヅ子(現実にも穎佑の恋人だった「東京ブギウギ」の歌手・笠置シヅ子)が首相をつとめている。
逆に社会主義国の東日本では戦前からの共産党員たちがスターリンによって粛清され、むしろ大日本帝国の軍人としてソ連に抑留されていた勢力を結集した「統一労働党」による一党独裁体制が敷かれており、現在の書記長兼首相は中曽根康弘。一方で、権力の手が届かない新潟には、高品質なコメを西側の料亭などに密輸することで資金を得ている反政府ゲリラ組織「独立農民労働党」のボスとして田中角栄が君臨し、その側近として「飯沼勲」(三島由紀夫の小説『豊饒の海』第二部『奔馬』に登場する右派テロリストの少年)の偽名で暗躍するのは平岡公威、つまり現実世界の作家・三島由紀夫である。
主人公は、現実よりも長生きしたルーズヴェルト大統領の所有する薔薇園の園丁として働く父親が、かつて軍人として日本に駐留していたのをきっかけに、西日本標準語(関西弁)を嫌って京大教授から左遷され、ナンタケット島の大学でほとんど受講者のいない日本文学の教授をしていたライシャワー(現実にはアメリカの駐日大使をつとめた)から「東京官話」と戦前の日本文学を学び、日本推理小説三大奇書(もっとも小説の中では戦後『虚無への供物』を書くことになるはずの作家・中井英夫がどうなったか書かれていないから、三大奇書という言い方も登場しない)のひとつ『黒死館殺人事件』の作家・小栗虫太郎を卒業論文のテーマに選んだ。
彼の赴任した日本は、東日本の中曽根書記長の「大車輪政策」の一環として建設された巨大な「壁」によって完全に東西分断されている。ちなみに昭和が終わったあと、社会主義国の東日本はもとより、資本主義国の西日本も元号を廃止してしまったので「平成」という時代は来ていない。天皇は日本の東西分断以前、アメリカが新潟に投下するはずだった一発目の原爆が火口に落ちて富士山が原型をとどめないほどの大噴火を起こしたとき、東京から京都へ避難してそのまま京都御所が皇居になっている。二発目の原爆は史実通り長崎に、そして三発目がベトナム戦争の最中に北ベトナムのハノイに投下されているが、この世界でもアメリカは結局ベトナムから撤退した。西日本の政治経済上の首都は大阪で、京都にも一部官庁が置かれている。ソ連は崩壊したがロシア共和国として残り、一方でゴルバチョフはシベリアに亡命してモンゴルなども含めた各民族の独立国家として、戦前の満州国のような五族協和を掲げる「極東共和国」のトップに立っている。
そのあたりは物語途中までの詳細な年表と政治、軍事、地理、企業などに関する元ネタについて詳しく書いているサイト( http://historycycle.michikusa.jp/ajapan.html )が別にあるのでそこを読んでほしいのだが、以前は他にもこの種の元ネタ紹介サイトがあったはずなのにすっかり消えてしまっているので、このサイトに出てこない内容を僕のわかった範囲内で、実在する登場人物たちのことを中心にメモしておこうと思う。なお、ページ数は角川文庫版による。

「イラク領イラン」(上巻24頁)……この世界では湾岸戦争の結果、イランはイラク領になったらしい、

「徳田球一」(上巻46頁)……戦前戦後を通じて日本共産党に所属した政治家。この世界では東日本から(恐らくはスターリンによる粛清を逃れて)アメリカに亡命したらしい。

「小林秀雄」(上巻46頁)……著名な文芸評論家。この世界では釣舟のアイスボックスに隠れて東日本から西日本へ亡命しようとしたが、西日本政府および外務省の説得によりアメリカに亡命させられたらしい。『モオツァルト』『本居宣長』といった戦後の代表作は書かれなかったのだろうか。

「アンクル・サムの恰好をしたボブ・ホープ」(上巻47頁)……アメリカの有名なコメディアン。彼の載った雑誌広告を見た父親にけしかけられ、ハイスクールの生徒だった主人公はパンアメリカン航空の懸賞論文に応募して西日本を含む世界一周旅行を獲得した。なおこの世界のパンナム航空は経営が立ち行かず、国際線を廃止してアメリカ国内の一部路線のみで運航しているようだ。

「オリンピック・オリンピック」(上巻47頁)……1956年にワシントン州オリンピックで開催されたオリンピック。対外的にはシアトル・オリンピックと呼ばれている。現実世界でこの年に開催されたのはメルボルン・オリンピックである。1964年には東京オリンピックではなく「京都オリンピック」が開催されている。

「カージナルスの黒人ピッチャー、ボブ・ギブスンの前に、無敵のヤンキースがついに敗れた」(上巻49頁)……1964年のワールド・シリーズの描写。実際のカージナルスとボブ・ギブソンは同年のワールド・シリーズでヤンキースに敗れている。

「カストロ暗殺」(上巻49頁)……現実には長命を保ったキューバのカストロ議長は、この世界では1960年代に暗殺されているらしい。

「ローリング・ストーンズが解散したのもあの頃だった」(上巻50頁)……1968年10月にブライアン・ジョーンズがミック・ジャガーを刺殺して解散したらしい。現実にはミック・ジャガーはまだ御存命で、逆にブライアン・ジョーンズが1969年にストーンズを脱退させられ、その後まもなく酒とドラッグで死亡している。作品世界では同年同月、プラハの春へのソ連の軍事介入に反対したフランク・シナトラ主催のチャリティ・コンサート会場で爆発が起き、ケネディ大統領とその後継者になるはずだった弟のロバート・ケネディをはじめとするケネディ一族、さらにサミー・デイヴィス・ジュニア、ピーター・ローフォード、リチャード・コンテらが死亡した。生き残ったのはケネディ兄弟の末弟エドワードと、シナトラ側ではディーン・マーティンのみ。そのディーン・マーティンも弔辞を読んだ4ヶ月後にマルホランド・ドライヴで自分を迎えに来た救急車に轢かれて死亡。

「通天閣」(上巻52頁)……この世界ではシアーズ・タワーより高い、世界一のテレビアンテナになっている。

「川端」「アジア唯一のノーベル賞作家」(上巻59頁)……川端康成は戦後まったく作品を発表せず、また政治的にも沈黙を貫き、東日本政府によって1976年に亡くなるまで逗子に幽閉されていた。このため『雪国』は「永遠に未完の連作小説」になっている。この作品世界ではタゴール(現実にアジア初のノーベル賞作家となったインドの詩人)はノーベル賞を受賞していないらしい。

「納豆」(上巻72頁)……西日本では非常に嫌われ、東日本からの密輸品のほか食べることができない。主人公と父親の共通の好物で、主人公は初めて日本(西日本)を訪れたとき父に土産として買おうとしたが甘納豆しか手に入れることができなかった。

「リー・シャオロン軍曹」(上巻86頁)……現実世界では「燃えよドラゴン」ほかで知られる映画俳優ブルース・リーのこと。この世界ではカンフーで多数の敵兵を殺したベトナム戦争の英雄として強化指導部長に抜擢され、中国式の武術はアメリカ海兵隊の必須強化になっている。

「クリスマス、特別ジャムセッション/演奏・野々山定夫とシティ・スリッカーズ/客演・渡辺貞夫/エロチックショー・ウェンディー・ダーリング」(上巻89頁)……主人公が父の愛した女性「ハナコさん」を探して訪れた鶴橋の飲み屋・タイガーリリーに貼ってあった古い手書きポスターの文面。野々山定夫はクレージーキャッツのリーダー、ハナ肇の本名。シティ・スリッカーズはフランキー堺の率いていたジャズのコミック・バンドで、植木等や谷啓といった後にクレージーキャッツのメンバーとなる面々も在籍した。現実のクレージーキャッツは大スターとなってハナ肇は大手芸能事務所ナベプロの大番頭のような存在になったが、この世界の彼らは共産圏となった東日本を脱出するも、吉本興業が支配する西日本芸能界では芽が出ずにドサ回りのバンドで終わったらしい。渡辺貞夫も著名なジャズのサックス・プレイヤー。ウェンディ・ダーリングは『ピーター・パン』の登場人物。

「アメリカ通商代表、ヘレン・グレイル」(上巻106頁)……チャンドラーのハードボイルド小説『さらば愛しい女』で主人公フィリップ・マーロウが惚れる女性の名前。チャンドラーのフィリップ・マーロウものは小栗虫太郎『黒死館殺人事件』と並んでこの小説の重要なモチーフとなっている。

「春子」「欣太」(上巻112頁)……飲み屋タイガーリリーの元オーナーの中年女性と、そのかつての恋人の名前。恐らく今村昌平の映画「豚と軍艦」の主人公とヒロインの名前から取られている。

「道頓堀界隈でみかける近頃の帝塚山学院の女学生」(上巻115頁)……帝塚山学院は実在する関西のお嬢様学校。この世界では戦後のホステスたちより露出度の高い服装で大阪の街を闊歩しているらしい。

「羽柴壮一」「遠藤平吉」「ウィルフレッド・バーチェット」「ジョゼフ・ベリー・キーナン」「伊東錬太郎」(上巻122-123頁)……春子の部屋で見付かった不幸の手紙(これも作中の重要アイテムになる)に出てくる名前。羽柴壮一は由来不明。遠藤平吉は江戸川乱歩の小説に出てくる怪人二十面相の本名。バーチェットは「ノーモア・ヒロシマ」を世界に向けて打電したジャーナリスト。キーナンは東京裁判の首席検事。伊東錬太郎も江戸川乱歩の小説「ペテン師と空気男」の登場人物。

「ヤン・デンマン」(上巻124頁)……週刊新潮にコラム「東京情報」を連載していたオランダ人の名前で、編集者・斎藤十一の変名といわれている。作中では「日本で一番嫌われている外国人特派員」の名前として出てくる。

「エルトン・ジョンがオオツカ食品のコマーシャルに出ていた」(上巻132頁)……ボンカレーのテレビCMキャラクターとして「It's delicious! It's drop a glasses!」の台詞を放つ。これは同じ大塚製薬グループのオロナミンCのかつてのCMキャラクターだった大村崑の「おいしいとメガネが落ちるんです」のもじり。

「スコットランド訛りをしゃべる日本人」(上巻137頁)……「飯沼勲」を名乗ってCNN取材クルーと田中角栄の間をとりもった平岡公威の英語を評して、主人公の直属の上司チュオン・フーメイ女史のいった言葉。実際の三島由紀夫もクイーンズ・イングリッシュを話すことができた。

「阪神タイガース」(上巻143頁)……西日本のプロ野球チーム。この9年間にわたって極東メジャー(東日本にはプロ野球チームがないため西日本と釜山、台北のチームによってリーグ戦がおこなわれているらしい)のチャンピオンシップを連破しているという。V9時代の巨人のイメージか。なおこの世界では朝鮮戦争の結果として朝鮮半島は38度線よりずっと南で分裂し、北朝鮮は「大韓社会主義共和国」、韓国は「高麗民国」を名乗っている。

「支倉というのが本名だが、キムと呼んでほしいと、彼は握手と同時に私に言った」(上巻145頁)……主人公と取材を共にするCNN西日本支局のスタッフで、父親が在日コリアンだったらしい。支倉という名前は小栗虫太郎の推理小説に、名探偵・法水麟太郎のワトソン役として登場する「支倉検事」から。もうひとりの同行スタッフである吉家(よしのや)は、のちに退職して吉野家ならぬ「吉乃屋」という外食チェーン店を始めることになる。

「三Aの仕事」(上巻146頁)……現実世界でかつて使われた「3K」(危険、汚い、きつい)に対応する「危ない、怪しい、荒っぽい」を略した言葉で、原発の清掃などこの種の仕事は西日本人には敬遠され、「壁」の向こうから来た東日本の労働者によって受け負われている。

「一九六〇年代、党青年同盟の社会主義建設の顔だった映画俳優、池端直亮」(上巻160頁)……若大将こと俳優・加山雄三の本名。この世界では、現実には「戦争と平和」などで知られるソ連の映画監督セルゲイ・ボンダルチュクの撮った映画「日本海会戦」に主演したことで有名らしい。現実の加山雄三は丸山誠治監督の映画「日本海大海戦」にメインで出演している。作中の東日本では今なお同志池端として人望が厚く、鎌倉、江ノ島での海水浴人気を支えているとのこと。

「新潟県統一労働者党対外通信宣伝部の本間幸一さん」(上巻162頁)……主人公たちを田中角栄と会わせるのに尽力する。現実の本間幸一は田中角栄の地元筆頭秘書で「国家老」の異名をとった人物。作中では「会津労農大学の英文科を出た」ことになっているが、実際は柏崎商業学校卒。なお現実の会津大学は理工系の大学であり英文科はない。

「三ちゃん工業」(上巻171頁)……現実の「三ちゃん農業」(父親が出稼ぎに出て、残された「母ちゃん」「爺ちゃん」「婆ちゃん」が農業を担うこと)は西日本のみの言葉で、それに対して東日本は下請け工場とまで呼ばれる社会主義国最大の工業国として、集団農場で働く父親のほかの「三ちゃん」は工場労働を強いられている。

「NHK」(上巻175頁)……東日本の国営放送で「日本放送協同組合」の略。対する西日本では国営放送も民営化されて「民間放送協会」略してMHKと呼ばれている。

「追浜自動車公司」(上巻179頁)……現実の日産自動車。社会主義国の東日本では国営化されているらしい。

「野坂参三」(上巻183頁)……戦前からの共産党幹部は彼以外、スターリンによって粛清されてしまったらしい。現実世界では共産党の重鎮だったが、晩年にソ連のスパイ疑惑がかけられて除名された。

「ハリソン・E・ソールズベリー」(上巻183頁)……スターリン批判をスクープするなど、ソ連事情を報道したアメリカのジャーナリスト。作中では『暁の選択/東京の白い雪』という、中曽根書記長に関する本を書いている。

「渡辺美智雄」(上巻186頁)……自民党中曽根派の政治家で、ミッチーの愛称で親しまれる一方で多くの失言も残した。作中では中曽根書記長の後継者と目され、西側諸国では「極東のゴルバチョフ」と呼ばれている。史実では1988年にアメリカ人の経済観念を揶揄する暴言で大問題になったが、作中でも1991年にロシア人の民族性を揶揄するような発言をして党軍事委員長を解職されるなど、たびたび舌禍を起こしている。作中では日光東照宮の宮司の息子で「日本のトラディショナルな神学校」(神宮皇學館のことか?)を出たとされているが、実際の渡辺美智雄は宇都宮出身で東京商大(現在の一橋大学)の専門部を卒業している。

「新百合ガ丘」(上巻204頁)……工業化されて温泉の出なくなった越後湯沢の新たな地名。現実の新百合ヶ丘は神奈川県川崎にある。

「JSDF」(上巻208頁)……中曽根書記長による「憲法改正九条」のため軍を持たないことになっている東日本の軍隊、「社会主義自衛隊(Japan Socialism Defense Force)」の略称。西日本では「日本赤軍」と呼ばれている。

「城ではない。親爺の家だ。親爺は建築士の免許も持っておる。ボスフォラス以東には唯一といわれた降矢木(ふりやぎ)の館もかくやという造りです」(上巻233頁)……平岡(三島由紀夫)の台詞。「親爺」は田中角栄。現実の角栄ももともと土建業の出身であり、建設大臣時代に建築士法を制定して自らも一級建築士となった。降矢木の館、というのは本作の重要なモチーフとなっている小栗虫太郎『黒死館殺人事件』の舞台。作中、田中角栄の自宅は忍者屋敷になっている。

「藤田嗣治」(上巻234頁)……パリで成功をおさめた日本の画家。作中ではパリでヘミングウェイ(作中のヘミングウェイは戦後まもなく京都の花祭りに招待され、そこで昭和天皇と意気投合したのをきっかけに米軍統治下の小笠原諸島、次いではかつてフジタと奪い合った女性とともに京都に住みついて1990年代もなお存命という設定)とある女性を奪い合って負け、戦争画を描いた(これは現実でも同様)ことから戦後の東日本では戦犯扱いされ強制収容所に送られたが、田中角栄に助けられる。その後は角栄の庇護のもと新潟の織物産業と連携し、和風タペストリーの作家になり、ニューヨークやパリで大きな売り上げを獲得し、外貨をもたらした。主人公はむしろ小川原脩(おがわらしゅう)という、これも戦争画を描いたことのある実在の画家を好んでいる。

「越之山」(上巻258頁)……田中角栄たちの反政府ゲリラ組織が作ったコメの品種。高級品としてひそかに西日本の料亭などに輸出され、資金源となっている。社会主義国の東日本ではコメの品種改良がおこなわれず、西日本でも質より量が重視されたため、味の良いコメやそこから造られる実在の日本酒「越乃寒梅」は貴重品。なお、現実の田中角栄を支えた地元後援会の名前は越山会である。

「レーガン」(上巻263頁)……現実には西部劇俳優からアメリカ大統領になったが、作中では映画「ベン・ハー」に主演した元俳優のカリフォルニア州知事。現実の「ベン・ハー」に主演した保守派の俳優チャールトン・ヘストンをレッドパージ時代に密告して、彼から役を奪ったことが露見したため大統領選には敗れたという設定。

「マイケル・ジャクソン」(上巻278頁)……「ビート・イット」ならぬ「ビート・アップ」を歌い、カルピスのCMキャラクターとして登場。デビュー当時から整形手術によって白人になっていたらしく、黒人であったという噂が誠しやかにささやかれている。

「Pちゃん」(上巻281頁)……主人公のファーストネームの頭文字をとって、ヒロインの廣子が呼ぶ。主人公のイニシャルはP・Mであることが下巻の終盤で明かされる。

「塚崎竜二」(上巻292頁)……角栄のゲリラ組織に所属する、平岡配下の青年。三島由紀夫の小説『午後の曳航』の登場人物から名前をとられている。

「東京ナロードニキ大学を首席で出たのよ」(上巻296頁)……平岡公威について言われる台詞。東京帝国大学は戦後、東京ナロードニキ大学に改称される。平岡が卒業したのは工学部で、専攻は「動力機械史」という設定。その後、モスクワのジェノヴィエフ経済大学(実在しない。ソ連の政治家グレゴリー・ジノヴィエフはスターリンにより粛清されている)に留学して次席(首席はスターリンの娘だったため実質的には首席)で卒業したが、実在のアメリカ映画「スパルタカス」を観て政治運動に身を投じたことになっている。実際の三島由紀夫は東大法学部卒業で、次席だったという説もある(首席は左派の政治運動家・作家いいだももとされる)が詳細不明。

「日本レーニン主義振興会」(上巻297頁)……日本統一労働者党の幹部養成機関で、青年組織「若い根っこの会」をもつ。「一日一善」や「マルクスさん、レーニンさんを大事にしよう」がスローガン。社会主義国らしからぬボートレースの公営賭博を運営している。かつて「火の用心」「お父さん、お母さんを大事にしよう」のCMを流していた、右派の政治活動家・笹川良一の日本船舶振興協会がモデル。

「ゴジラ」(上巻303頁)……主人公は大学の学園祭でこの映画の、ゴジラに襲撃されるテレビ塔で最後まで実況中継を続けるリポーターの場面に感銘を受けてジャーナリストになった。作中では西日本で制作された映画らしく、初代ゴジラが襲撃するのは東京ではなく大阪になっている。

「山下清」(上巻325頁)……放浪の画家を装って、西日本のスパイとして東日本を調査していた。のちにニューヨークへ渡ってグランドセントラル駅の巨大なタイル絵を描いたのをきっかけに世界的な画家となるが、3年後にラシュモア山をスケッチ中に50センチの脚立から落ちて死亡。

「宝塚歌劇」(上巻328頁)……この世界では「トラピスト修道会ばりの鉄の規律と地獄のトレーニング」で有名な少女歌劇団で、半世紀前に滅びた「正調標準語」たる河内弁がほぼ完全な形で残されていることから、西日本の文部省指定の教材となっている。

「パイナップル・コンピュータ」(上巻332頁)……一口だけかじられたハンバーガーのマークで有名なパソコン「マック」(西日本では「マクド」と呼ばれている)を生産しているアメリカの企業。アップル社のマッキントッシュのもじりだが、これとは別にハンバーガー・チェーン店のマクドナルドも存在しているらしい。

「パナアームス」(上巻334頁)……西日本を工業国として戦後復興させるきっかけとなった「二股ソケット」の発明者・松下幸之助によって創業された巨大企業パナソニックの武器生産部門。現実のパナソニックには武器や兵器の生産部門は存在しない(はず)。

「ダイエーネット」「クモン式」(上巻337頁)……西日本の企業は世界進出しており、インターネットはダイエー、コンピュータのOSは公文のものが主流となっている。公文式は西日本の民営化された公立学校の運営もおこなっているという設定。

「アメリカ大統領ロバート・ヴォーン」(上巻341頁)……テレビドラマ「0011ナポレオン・ソロ」などに主演したアメリカの俳優。作中世界ではレーガンに代わって大統領になっている。

「辻静雄」(上巻343頁)……フランス料理のシェフで、辻調理師学校の創始者。作中では日本料理の大御所として超高級料亭「辻留」を経営している。西日本では政治的に重要な決定のほとんどは大阪城の国会議事堂ではなく料亭で決められる。

「山口登」(上巻353頁)……戦後まもなくGHQ占領下で西日本の首相に就任した平民出身の人物。現実世界では戦前のうちにヤクザ同士の抗争で死亡した、山口組の二代目組長。

「会見や言われて、何も聞かずに飛んできたけど、何を言うやら何処で言うやら、それがごっちゃになりまして、わてホンマによう言わんわ」(上巻356頁)……緊急記者会見で失言した吉本シヅ子首相の弁明。もちろん現実の笠置シヅ子のヒット曲「買物ブギ」の歌詞からとっている。作中の吉本シヅ子は若い頃に歌手として一枚だけ歌手としてレコードを出しているがヒットはせず、ただ史上初めて「東京官話」ではなく「西日本標準語」で歌われた歌謡曲として歴史に残っているとのこと。

「犬飼恭平」(上巻358頁)……1960年代ごろの大阪城国会議事堂には彼の描いたマッカーサーの肖像画が飾られていたという。20世紀初頭にアメリカで活動した実在の肖像画家。

「佐藤昭和」(上巻371頁)……高級料亭「辻留」のオーナーの女性で、名前は「アキヲ」と読む。ヘミングウェイの妻で、田中角栄や平岡(三島由紀夫)とも太いパイプがあり、七十代ながら三十代にしか見えないほど異様に若々しい美貌をもつ。恐らく田中角栄の秘書にして愛人だった「越山会の女王」こと佐藤昭子がモデルだろう。

「千趣会」(上巻371頁)……吉家が利用している(これが終盤の伏線になる)テレビショッピングの会社で、アマゾンのような世界有数のデジタルショップに成長している。現実世界ではベルメゾンを運営。

「花は夜開く」(上巻379頁)……主人公が父親から聞いた日本の伝説で、日本神話のコノハナサクヤヒメの名前を意訳したもの。主人公の知識のなかで彼女は「芥子は赤く花開く、百合は白く花開く、妾(わらわ)は如何に花開かん」と謡って「夜に開けや」と答えられたため、富士山の火口に身を投じて火のなかで子を産んだという神話になっている。藤圭子の歌謡曲「圭子の夢は夜ひらく」をもじったもの。

「おまえの瞳は百万馬力」(上巻381頁)……主人公がライシャワー教授から教わった「天の岩戸神話」で、アマテラスを岩戸から出すべく派遣された女神アメノウズメへの言葉。堀内孝雄の歌謡曲「君のひとみは一万ボルト」のもじり。

「マリリン・モンロー」(上巻382頁)……映画「史上最大の作戦」で、クラーク・ゲーブル演ずるアイゼンハウアーをはじめとする連合国軍を慰問する44秒だけの出演でアカデミー賞を獲得したことになっている。現実のマリリン・モンローは「史上最大の作戦」には出演しておらず(現実にはアイゼンハウアー役を演じたのもヘンリー・グレイスで、クラーク・ゲーブルも映画撮影開始以前の1960年に没している)、この映画が公開された1962年に死んでいるが、作中では現在も存命で、ある有名な野球選手と結婚している。

「人しれず微笑まん」(上巻388頁)……西日本政府の陰の実力者となった佐藤昭和は、現実世界の60年安保闘争に相当する西日本とアメリカの安全保障条約をめぐる騒動のとき、政府に直接介入できない天皇からアイゼンハウアー大統領に向けた一首の歌を託された。そのあたりを書いた本の日本語タイトルが『人しれず微笑えまん』。実際には、60年安保闘争で死亡した東大の女子学生・樺美智子の遺した詩のタイトル。

「リリアン・ロス」(上巻392頁)……ヘミングウェイの密着取材をした女性レポーター。作中ではヘミングウェイについて日本の記者からインタビューを受ける描写がある。

「ノーマン・フォスター」(上巻406頁)……イギリスの建築家。作中では巨大な鳥居の形をした京都市役所ビルをデザインしたことになっている。

「エドガー・フーバー」(上巻412頁)……自分をつけまわす西日本の刑事に主人公がつけたあだ名。「ヘミングウェイを見張るおまわりのことさ」とのこと。実在のFBI長官で、戦時中にキューバで対ドイツ諜報活動をおこなっていたといわれるヘミングウェイとつながりがあったという噂がある。このあたりをダン・シモンズが小説にしているが関係あるのだろうか。

「ターキー風呂」(上巻418頁)……トルコ大使館からの抗議により「トルコ風呂」から名前を変えた西日本の風俗店。実際には「ソープランド」と名称変更している。ぼったくりの店は「ワイルド・ターキー」と呼ばれているらしい。

「岡田嘉子」(上巻431頁)……禁止された象牙にかわって需要の出たマンモスの牙の採掘中、シベリアの永久凍土から遺体が出土した、戦前にソ連へ亡命した日本人女優。実際の岡田嘉子は戦後も存命で、日本にも帰国して映画やテレビに出演したがペレストロイカのあと再びソ連に戻り、1992年にモスクワで没している。

「宗教法人《国土計画》御太守、祝十郎」「特別法話、エズラ・ボーゲル導師」(上巻434頁)……作中の「国土計画」は西日本で二番目か三番目に大きな宗教法人で、世界各国の政治に影響力を及ぼしており、日本国内では「国際厭共連合」という右派の政治組織をもち、川内潔という大物がバックについているという設定。現実の国土計画は西武鉄道グループのかつての親会社(のち「コクド」)。祝十郎は戦後の人気ヒーロー番組「月光仮面」の主人公の名前で、川内潔は「月光仮面」ほかの原作者で作詞家として知られるほか、保守系政治家のバックについていた川内康範の本名。エズラ・ヴォーゲルは中国系アメリカ人の社会学者で、東アジアの研究で知られる。「国際厭共連合」は、先述の日本船舶振興会の笹川良一が名誉会長をつとめていた、韓国系新興宗教・統一教会のバックにある団体「国際勝共連合」がモデルと思われる。主人公はある秘密に近付いたことから国土計画の道場に監禁されるが、その道場の描写はオウム真理教をモデルに描かれている。国土計画の道場周辺には脱走者を捕まえるために青地に白いライオンのマークのついた「プリンスタクシー」が走っているが、これは西武ライオンズやプリンスホテルをふまえた描写だろう。

「プレイガイドジャーナル」(上巻459頁)……土地不足を解消するため巨大な地下街をもつ大阪の繁華街を案内する電話帳のように分厚い雑誌。実際のプレイガイドジャーナルは1970年代から80年代末まで実在した関西のシティ情報誌で、サブカルチャーの発信源だった。

「ジェイリー・ベリー」(上巻471頁)……アメリカに実在するゼリービーンズ。ある人物に暗殺された被害者のそばには必ずこれとよく似た匂いが漂っている。主人公は故郷の巡回映画でこれを食べながら「怪獣大戦争」「宇宙水爆戦」「吸血鬼ブラキュラ」といったB級映画のほか、マーヴィン・ルロイやハワード・ホークスの作品などを観た。

「小和田元外務次官」(上巻476頁)……西日本に亡命した、東日本の元外務省第一外務次官。1981年に北方領土四島の返還と引き換えに江ノ島が東日本からソ連に軍事基地として租借されたことを西側に暴露する。現実世界では皇太子妃・雅子の父親で国際司法裁判所所長をつとめた小和田恆のことと思われる。

「小栗虫太郎の遺作」(上巻481頁)……『死霊』という題で、戦後間もなく混乱する東日本で書かれて秘密出版された。詳しいあらすじは下巻148-150頁に書かれている。主人公はこれを卒論の題材に選んだ。本作のストーリーはこの劇中劇のシナリオに従って進んでいる。実際の小栗虫太郎の遺作『悪霊』は未完に終わり、笹沢左保によって完結篇が書かれた。

「井伏鱒二」(下巻6頁)……『駅前収容所』を書いた東日本の作家。「花に団子のたとえもあるが、花も団子も人生だ」という言葉を残したとされる。現実の井伏鱒二が書いたのは『駅前旅館』で、これは映画シリーズの原作となった。この世界の井伏はソルジェニーツィンのような作家なのだろうか。彼の訳した漢詩の一節「花に嵐のたとえもあるさ/さよならだけが人生だ」は作中で重要なフレーズとして繰り返し主人公の口にのぼる。

「日本人は桜の木の下には死体が埋まっていると信じている」(下巻10頁)……主人公がライシャワー教授から教わった謎。もちろん梶井基次郎の『桜の樹の下には』から来ている。

「紅青」(下巻25頁)……毛沢東夫人の江青のことと思われる。作中世界で1960年代に毛沢東が紅衛兵運動に失敗したあと、飛行機事故で死んだという。

「ナボナの菓子折」(下巻33頁)……田中角栄からの土産物。ナボナを作っている亀谷萬年堂は東京の会社だが、この世界では共産圏の東日本で生産されているのか、それとも西日本にあるのだろうか。共産圏の東日本に読売巨人軍は存在しないし、現実世界でナボナのCMキャラクターをつとめた王貞治の名前も作中には登場しない。

「飛鳥国際空港建設反対の右翼過激派組織」(下巻34頁)……現実世界の成田空港建設反対の左翼運動をもじったもの。この世界では天皇から下賜された農地を空港に転用することを極右が批判し、さらに空港建設予定地から古墳が見付かり、そこには巨大な白鳥のミイラが埋葬されていたことから、白鳥に変身したとされる神話のヤマトタケルが葬られた古墳ではないかと騒ぎになり、空港はまだ小規模にしか営業できていない。

「がりがりに痩せた初老の日本人」(下巻43頁)……ジャコメッティの彫像によく似た謎めいた男。恐らく『仮面ライダー』死神博士役で知られる俳優の天本英世がモデルとおぼしい。

「生涯一百姓」(下巻49頁)……田中角栄の名刺の肩書。野村克也の座右の銘「生涯一捕手」のもじりか。

「成城労農学園」「成蹊技能大学」(下巻56頁)……東日本の大学。統一労働党の幹部クラスの子供で、あまり成績のよくない者が親のコネで入学するらしい。私立おぼっちゃん学校の成城学園・成蹊学園がモデル。高級官僚の子供でここにも入れない場合はモスクワ大学に留学させて箔をつけるが、そうしたモスクワ大学出身者は霞が関の東日本官僚たちの間で「モスクワ愚連隊」と呼ばれている。『さらばモスクワ愚連隊』は五木寛之の小説タイトルから。

「タチアナ・ロマノバ」(下巻67頁)……ゴルバチョフが独立させた極東シベリア共和国の航空会社・シベリア航空のフライトアテンダント出身者で、客に見初められて東京でファッションモデルになった。『007ロシアより愛をこめて』に登場するソ連の女性スパイの名前が由来か。

「トム・ジョーンズの”カヴァード・イット・ブラック”」(下巻70頁)……トム・ジョーンズはイギリスの有名歌手。曲名はローリング・ストーンズの「黒くぬれ(Paint It Black)」のもじりと思われる。

「エリツィン」(下巻75頁)……史実ではロシア大統領になったが、作中ではゴルバチョフにソ連大統領選挙で敗れたあと、ソ連崩壊後も政界には戻らず「統一ロシア正教会先導師」を名乗る宗教家になっている。

「美空ひばり」(下巻75頁)……東日本の「歌唱英雄」で、ボリショイ劇場を満員にしたこともある歌手。主人公は彼女の歌を好むらしい。美空ひばりは芸名だが、他の実在する芸能人が(特に加山雄三や北島三郎のように東日本で活動している場合には)軒並み本名で登場するのになぜだろう。

「シー・イズ・ザ・レインボウ」(下巻77頁)……ローリング・ストーンズ解散前の最後のヒット曲になっている。実在の曲。

「髪梳けば、髪吹けゆかり木の芽風」(下巻77頁)……主人公がつぶやく俳句のようなもの。鈴木清順監督の映画「けんかえれじい」でヒロインの松尾嘉代がつぶやく「髪梳けば髪吹きゆけり木の芽風」のもじり。

「鉄槌仮面」(下巻79頁)……東日本で戦後に放送されていた、アメリカの悪者と戦うヒーロー番組。「月光仮面」がモデルだろう。しかし作者の川内康範と主人公・祝十郎の名前は西日本の「国土計画=国際厭共連合」に使われている。鉄槌仮面は誰が作者なのだろう。

李香蘭(下巻88頁)……主人公が父親から探してほしいと頼まれていた思い出の女性であり、またヒロインの廣子や佐藤昭和にもよく似ている。戦前の満州映画の大スター女優だったが実は日本人で、氷川丸で帰国する途中にアメリカの魚雷によって船が沈没、死亡する。実在の李香蘭こと山口淑子は戦後も生き延びて芸能人として活動、さらに中曽根康弘の誘いで自民党の国会議員にもなった。

「プリューム・メードザン」(下巻91頁)……1911年に日本を旅して、富士山について書き残したフランスの詩人。恐らくベルギー出身で元船員として世界中を旅した詩人アンリ・ミショーの作品に登場する「プリューム」と「メードザン」から名付けられたと思われる。

「アルバート・アインシュタイン」(下巻92頁)……1939年、レオ・シラードとともに手紙を送ってアメリカ大統領ルーズヴェルトに原爆開発を提案するが、作中でシラードに原爆研究を薦めたのはSF作家のH.G.ウェルズということになっている。

「レーニン像」(下巻104頁)……江戸城(つまり現実の皇居)にある日本レーニン主義振興会によって建てられたレーニン像は年老いた母を背負うところを像にしているが、これは笹川良一が大阪の箕面公園に建てた野口英世の像がモデル。ほかに全国の学校に建てられた二宮金次郎の像は、働きながらヘーゲルを読んで勉学に励むレーニンの像ということにされている。

「和田」(下巻105頁)……東側の国営放送NHKの渉外班上級班長として主人公たちの取材に同行する。カバがうがいをするように笑うダジャレ好きの男で、東京ナロードニキ大学の出身。テレビドラマ演出家の和田勉がモデルだろう(ただし和田勉は東大ではなく早稲田大学出身)。最初の登場時は亀井という機動隊(この世界の機動隊は東日本でKGBのような秘密警察になっている)からの監視役がついているが、このモデルは不明。

「蟹工船」(下巻105頁)……小林多喜二の小説だが、この世界ではヘミングウェイによる英訳が「蟹と戦い、悪徳船主と戦う海の男たちの物語」としてアメリカで大ヒットし、「真昼の決闘」のハリー・モーガン主演、B級映画の巨匠ロジャー・コーマンの監督で蟹のクリーチャーが出てくるモンスター映画にされている。東日本でも「東海道四谷怪談」などで知られる怪談映画の名手・中川信夫によって映画化され、モスクワ映画祭で「赤い熊賞」を受賞したことになっている。

「名古屋のトヨタ・スタジアム」(下巻119頁)……現実のナゴヤ球場(いまのナゴヤドーム)だろうか。この世界のプロ野球「極東メジャー」はオーシャン・リーグ(阪神タイガース、釜山ウォリアーズ、トヨタ・ゴールデンドルフィンズ、新日鉄ジャニーズ、ヒロシマ・アトムズ、エースコック・マンイーターズ)とストレート・リーグ(台北シャークフィンズ、西鉄ライオンズ、静岡タミヤ・レオパルド、京都マリオブラザース、鹿児島サンダーボール、沖縄スピリッツ)に分かれている。現実の広島カープも原爆にちなんでアトムズと名付けられる案があったといわれているが、この世界では広島に原爆は投下されていないはずだがなぜこのチーム名になったのだろうか。現実にはフジテレビ系列で「鉄腕アトム」のアニメを放送したのにちなんだサンケイアトムズ(いまの東京ヤクルトスワローズ)というチームがあったが、それだろうか。手塚治虫についての記述はないので詳しいことは不明。なお沖縄はこの世界では住民投票の結果、日本に返還されることなくアメリカの海外特別州としてプエルトリコと同等になっているが、作中で日米どちらにも帰属しない独立をめざす運動が起こっている。

「バーナード・ショウ」(下巻124頁)……CNNニュースのキャスターとして主人公と通話する。現実と同じく『人と超人』の著者(主人公は岩波文庫の日本語訳でこの作品を読んでいる)。しかし史実では1950年に死亡しているが、本作中では100歳近い年齢にして健在である。

「救国学習院」(下巻128頁)……統一労働党上級幹部の子弟が通う、東京ではトップの名門校。もちろんモデルは学習院だろう。国鉄四谷駅の近くにあるらしい(実際の学習院の最寄り駅は目白)。

「虎の門病院」(下巻135頁)……暗殺された「ジャコメッティの彫像のような老人」が運ばれた病院。統一労働党のごく少数の上層部だけが通える病院になっている。

「民青」(下巻139頁)……東日本の反体制学生団体「民主青年同盟」の略称。和田も東京ナロードニキ大学時代に所属していたが、統一労働党によって壊滅させられた。実在の民主青年同盟は日本共産党の青年組織。

「袴田と宮本夫妻」(下巻140頁)……共産党の政治家、袴田里見と戦後の共産党委員長・宮本顕治、そして宮本の妻でプロレタリア作家の宮本(中条)百合子のこと。作中ではいずれも1960年にはスターリンによって粛清されていたらしい。

「神風隊の叛乱」(下巻154頁)……昭和20年9月1日、京都二条城の大本営で鈴木貫太郎内閣が総辞職して東日本が見捨てられたとき、市川警備隊の隊長だった大尉を中心にソ連軍と戦った学生中心の決起舞台。恐らく岡本喜八の映画『日本のいちばん長い日』で天本英世が演じた、横浜警備隊隊長・佐々木武雄大尉が率いる「国民神風隊」による昭和20年8月14日から15日の鈴木首相邸焼き打ち事件がモデルと思われる。

「三四郎池」(下巻178頁)……東京ナロードニキ大学にある池。現実の東大にある三四郎池は漱石の小説『三四郎』にちなむが、この作品の三四郎池は主人公によると嘉納治五郎に投げられた姿三四郎(もちろん現実には映画の主人公)がこの池に一晩浸かって悟りを開いたことにちなむという。1969年に起こった学生運動鎮圧のため東日本の秘密警察・警視庁機動隊が毒ガスを使用し、殺された学生たちの遺体はすべて三四郎池の下に埋められたという噂がある。

「アーサー・G・ピム」(下巻180頁)……1960年代末、ベトナム戦争末期にリチャード・ニクソンとアメリカ大統領選で争って敗れた民主党の候補。ナンタケット島の出身で、主人公と同じナンタケット大学の卒業生。エドガー・ポーの小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』からとられた架空の人物。実際に1968年のアメリカ大統領選挙でニクソンと争った民主党候補はヒューバート・ハンフリーだった(当初はロバート・ケネディが候補に挙がっていたが暗殺された。作中のロバート・ケネディは先述の通り兄とともに1968年に爆殺されている)。

「水前寺清子」「水原弘」(下巻182頁)……「365歩のマーチ」で知られる水前寺清子は、作中では主人公の愛する(熊本出身なので恐らく西日本の)歌手で現在はアジア全域で大流行している。水原弘は主人公の恩師ライシャワー教授が愛するカルト的な1960年代初頭の歌手で、現実と同じく「黒い花びら」(史実では第一回日本レコード大賞を受賞した)を歌っているが現在の西日本では忘れ去られた存在になっている。

「野上弥生子」「高見順」「中野重治」(下巻184頁)……東京ナロードニキ大学の解放記念講堂(現実の安田講堂)を見た主人公が思い起こす作家たち。いずれも左派寄りの作家なのでこの世界の東日本でも公式の作家として残ったのだろうか。

「降矢木残轍」(下巻185頁)……本作最大のキーパーソン。東京ナロードニキ大学工学部教授で、平岡公威の恩師。かつて映画俳優をしたこともあり、ゴダール監督の映画「ニッポン娘」(元ネタは『中国娘』か)に出演している。苦学生時代に下宿の娘に産ませた伸子という娘がいたが、新興華族の降矢木家に婿入りするとき邪魔になるためパリへ行かせてそのまま消息不明になっている。戦後まもなくアルコールから石油燃料をつくる研究をしていたがソ連からの燃料輸入が決まるとお払い箱にされ、その副産物として焼酎を密造して学食で飲ませていたことを表向きの理由として食料を管理する警察組織「特食」に逮捕される。その後、中曽根の書記長就任とともに復権して工学部長になるが、その経緯ははっきりしない。現在は大学の一隅で住み込みの用務員をしており、そこで主人公と遭遇する。名前は小栗虫太郎『黒死館殺人事件』の登場人物・降矢木算哲から。外見のイメージモデルは天本英世。用務員をしているのは、ゆうきまさみの漫画『究極超人あ~る』で同じ天本英世をモデルにした毒島という用務員がモデルか?

「勝手にしやがれ」(下巻187頁)……ゴダールの映画。東日本では「白昼の暗黒」のタイトルで、ブルジョア社会の腐敗と人間疎外をテーマにした映画としてデタラメな吹き替えをつけて上映された。ちなみに『七人の侍』は農民暴動を扇動する容共映画だとして西日本では20年にわたって公開されなかったが、代わりに『荒野の七人』が世界一の興行収入を挙げたという。黒沢明は東日本の映画監督になっているのだろうか。『荒野の七人』は史実のジョン・スタージェス監督ではなく、三船敏郎出演の『最後のサムライ ザ・チャレンジ』の監督ジョン・フランケンハイマーが撮ったことになっている。

「フランキー・アバロン」(下巻190頁)……主人公が東京ナロードニキ大学の「第三集会室」で見付けた、学生たちがこっそり廻し読みしていたであろう古い西側の雑誌のうち『ライフ』誌に、彼もケネディ一家やシナトラ・ファミリーとともに爆弾テロで犠牲になったことが載っていた。

「巡回映画館」(下巻192頁)……主人公の故郷にほど近いポーキプシーの町で、巡回映画館をしている男。主人公は名前を忘れてしまっている。運悪くコルレオーネ一家の次男が乗った車にいたずらをしかけてしまい、射殺される。元ネタ不明。

「内田祥三」「岸田日出刀」(下巻201頁)……安田講堂の建築にかかわった東京帝国大学工学部の教授たち。

「白金の人民芸能大学に鳥取出身の若い教授がおってね」(下巻204頁)……降矢木残轍を実験映画『飢えた遺産』に出演させる。これが目に留まって彼はゴダール映画に出演することになった。モデルは映画監督の岡本喜八。『飢えた遺産』は都筑道夫の小説で、岡本監督の映画『殺人狂時代』の原作になった。降矢木のモデルとなった天本英世はこの映画で溝呂木省吾という悪役を演じているが、本作には降矢木と密接な関係にある人物として溝呂木章吾という東京ナロードニキ大学の教授の名前があちこちに出てくる。

「上田建二郎」(下巻205頁)……平岡公威とともに、降矢木教授の教え子で東京帝国大学最後の新入生だった一人。切れ者だったが経済学部を出た兄とともに、亡命先の中国から帰国した伊藤という元共産党員に示唆されて武装蜂起のため訓練を積むが昭和35年、都下日の出村にあった山荘で殺されてしまう。史実の上田健二郎は不破哲三の名前で共産党の政治家として、兄の上田耕一郎とともに長く活動した。「伊藤」は伊藤律のことか。上田耕一郎はテリー伊藤とも交流があったが、関係ないか。山荘で殺されるのは山岳ベース事件やあさま山荘事件がモデルと思われるが、東京都日の出村(日の出町)には中曽根康弘の別荘だった山荘があるのも関係あるだろう。

「コニー・チャン」(下巻209頁)……東西日本を隔てる「壁」の崩壊を予期して派遣されたNBCのレポーター。実在のジャーナリストである。

「大野穣」(下巻210頁)……昭和天皇の崩御をきっかけに西日本へ亡命した東日本の芸術家の一人で、ボリショイ歌劇の声楽家。実在の演歌歌手・北島三郎の本名である。

「芹沢明彦博士」(下巻218頁)……溝呂木章吾博士とともに、原爆投下によって崩壊した富士山を再噴火させようとする極秘プロジェクト・富士山再建計画の関係者。映画『ゴジラ』に登場した芹沢大助博士の名字と、彼を演じた俳優・平田昭彦の名前をもじったと思われる。ちなみに天本英世と平田昭彦はともに同時期の東大法学部出身である。

「皇道を求めて孤立を恐れず」(下巻222頁)……安田講堂を「民主の塔」と呼んで1969年に立てこもった学生運動家たちの落書き。史実の東大闘争で安田講堂に立てこもった学生たちの落書き「連帯を求めて孤立を恐れず」(谷川雁の評論「工作者の死体に萌えるもの」からの引用)が元ネタ。

「双葉山、安芸の海」(下巻224頁)……主人公が安田講堂で見付けたトントン相撲の力士をかたどった紙片に書かれていた四股名。双葉山は戦前の名横綱、安芸の海はその連勝記録を止めた力士。1969年に安田講堂に立てこもった学生たちにとっては古い力士の名前だが、もしかすると戦後の東日本では相撲も禁止されていたのだろうか(歌舞伎などはソ連の目に適った特定の演目が奨励され、中曽根書記長が権力の座に就いてからはなし崩し的に様々な日本の古い文化が復権している設定)。

「アーウィン・アレン」(下巻230頁)……『宇宙家族ロビンソン』のほか、『ポセイドン・アドベンチャー』『タワーリング・インフェルノ』などパニック映画で知られる映画監督。主人公は彼の撮った不定形の宇宙生命体がテキサスの田舎に飛来して人を襲う映画を観たというが、これは『遊星よりの物体X』がモデルか。こちらの監督はクリスチャン・ナイビイ(実際の演出はハワード・ホークスとされる)。

「鬼の4機」(下巻235頁)……東日本の秘密警察の中でも最も恐れられ、西側の映画やドラマにも悪役として登場する警視庁機動隊特務四課のこと。現実の機動隊第4課も容赦ない実力行使から同様に呼ばれている。

「変なおっさん」(下巻236頁)……箱根の「壁」を取材しようとする主人公たちをブロークンな英語混じりの日本語で戻らせようとする「年嵩の下士官」。西側のテレビに放送されたその姿が西日本で評判になり、人気の芸能人になる。志村けんがモデルか?

「コミック版の”何を為すべきか”」(下巻239頁)……主人公たちが宿泊するフジヤ・ホテル(現実の富士屋ホテルがモデル)で行儀のいい少年が読んでいる本。『何をなすべきか』はレーニンの著書。

「給仕掛・関川」(下巻240頁)……フジヤ・ホテルの気取った銀髪のスタッフ。元ネタ不明。

「大阪12チャンネル系列」(下巻244頁)……西側へ「壁」を越えて亡命しようとした東日本の住民が社会主義自衛隊や機動隊によって多数射殺された「芦ノ湖事件」が起こるなか、西日本のテレビ局のうち唯一そのニュースを放送せずに「激突TV王座決定戦・ど根性日本チャンピオン・博多ラーメン編」を放送していた。モデルはもちろんテレビ東京(東京12チャンネル)、番組のモデルは「TVチャンピオン」だろう。

「西日本のTVでよく見かける京大の教授」「メロドラマで名高い映画監督」「経済コンサルタントもやっている生け花の家元」「文化人類学を専門にしている美容コンサルタント」(下巻245-247頁)……主人公が見ている「芦ノ湖事件」についてのTV淀川のニュース番組に出演しているコメンテーターたち。いずれもモデル不明。

「大相撲協会(だいすもんきょうかい)」(下巻254頁)……西日本にのこる相撲団体。女性を土俵に上げないのは差別だと糾弾されて女相撲を始めたところ予想外に人気が出たため、女相撲は独立して興行をおこなっている。東日本では歌舞伎の「遠見」(遠近感を出すため遠くにいる設定の人物を子役が演じること)をユネスコやアムネスティ・インターナショナルの抗議により「小人」(現実世界ではこちらが差別用語となっている……成長ホルモンの障害などで著しく小柄な人のこと)を起用したのをきっかけに「小人歌舞伎」が上演されている。それぞれ女子プロレスとミゼットプロレスが念頭にあるのか。

「Y子さん」(下巻255頁)……東日本のテレビや映画で活動していた女優。党高官への「接待」を強要されたことを西日本のテレビで暴露する。モデル不明。

「東日本は、ただ何となくこうなってしまった」(下巻266頁)……田中角栄の台詞。「なんとなくこうなってしまった」戦後日本が江藤淳には耐えがたかったのだ、と大塚英志『江藤淳と少女フェミニズム的戦後』は書いているが、なにか関係はあるか。より高次の出典がある言葉なのか。

「ピーター・アーネット」(下巻307頁)……わずか数人でどこからでも映像と音声を中継できるポータブル放送局・通称「人殺し」をゴルフ用の日傘に見せかけてアフガニスタンからイラク領イランに潜入した。実在の戦場ジャーナリスト。

「衛星生中継など、九歳のスティーヴ・ジョブズに父親が鉱石ラジオの組み立てキットを買い与えて以来、それほど難しい芸当ではない」(下巻307頁)……ジョブズが実際に鉱石ラジオを組み立てたのは6歳のとき、9歳のときには電子工作キットを買い与えられている。前掲サイトには「パイナップル・コンピューター」とは別にアップルも登場すると書かれているが、文庫版を読んだ限りでは見当たらない(文庫化の際に修正された?)のでジョブズは「パイナップル・コンピューター」を設立したのかも知れない。

「英国外相、モンゴメリー・パイソン」(下巻308頁)……香港を電撃訪問したことがニュースになっている。モンゴメリー(モントゴメリー)の愛称はモンティなので、恐らくイギリスの伝説的コメディ・グループであるモンティ・パイソンのもじり。

「片腕のリケッツ博士」(下巻310頁)……主人公が通っていたナンタケット大学の学長で、若いころ捕鯨船の乗組員だった紳士。1974年10月、メイン州ガラハトグレーンのハーキマ・ジャーキマー原発で起こったレベル7の大事故をきっかけに激化した学生運動のデモ隊に対応する。元ネタ不明。デモ隊と警官隊の衝突を見ながらライシャワー教授は主人公に、京都にいたとき遭遇した西日本の学生運動と、そこで死んだ教え子(ライシャワーが京大教授から左遷されて松山で英語教師をしていたときの教え子で鹿児島出身。極度の近視のため清水の舞台から誤って転落した)の学生について語る。松山で英語教師をしていたくだりは漱石をもじっているのだろうが、鹿児島出身の教え子については元ネタ不明。

「横路国家評議会議長」(下巻340頁)……東西日本を隔てていた手抜き工事の「壁」が地震により崩壊してから、中曽根、渡辺美智雄が次々と権力の座から落ちていった後に出てきた東日本の首相臨時代行。モデル不明(社会党の国会議員で北海道知事をつとめた横路孝弘か?)。

「ウィリアム・A・ウィリアムズ」(下巻344頁)……実在するアメリカのニュー・レフト派歴史学者。「壁」が崩壊して歩み寄りを見せる東西日本の有様を「革命の談合化」と呼ぶ。

「沢村栄治」(下巻362頁)……日本最初のプロ野球チーム東京ジャイアンツのエース投手で、戦前の交流試合でベーブ・ルースとルー・ゲーリックから三振を奪った。この世界では戦死こそしなかったが、中国から帰国するとチームメイトの内野手にはめられて戦犯として投獄され、獄死。

「シゲオ・ナガシマ」(下巻362頁)……「壁」崩壊後の東京に新設されるプロ野球チーム東京ジャイアンツの監督に予定されている日系アメリカ人。東日本の千葉から西日本へ脱出した難民の子供で、清水にあったアメリカ海軍基地内のハイスクールで野球選手として頭角をあらわし、朝鮮戦争の慰問から帰る途中のジョー・ディマジオとマリリン・モンローに見出されて渡米する。ディマジオからモンローを寝取ってしまったためヤンキースには入団できなかったが、ブルックリン・ドジャースで背番号3の四番打者として大リーグ記録を残す大活躍をし、フランク・シナトラは彼の伝記映画の主題歌をうたった。「ドジャースに骨をうずめたい」という彼の発言は流行語となり、映画『ある愛の詩』(実在する)の台詞にも引用されている。

「グラハム・カーン」(下巻379頁)……実在する料理研究家グラハム・カーのことか。あるパーティーで「ダイエットと美食を同時に満足させるなら鯨に限る」と発言したとされる。作中、鯨やマグロは環境保護団体によって厳しく規制されているが、東日本で高官向けにひそかに用意されている。

「古沢憲吾」(下巻381頁)……「鯨は頭がいいから喰っちゃいけないが牛は頭が悪いから喰ってもいい」というなら頭の悪いアメリカ人の肉も食ってしまえ、という悪趣味な西日本のベストセラー小説『ケンタッキー・フライド・ヤンキー』を映画化し、さらに挑発的なラストシーンを追加した映画監督。史実ではクレージーキャッツの映画や『無責任』シリーズなどを監督した。一貫した右派として知られる。

「内田繁」(下巻383頁)……実在のインテリア・デザイナー。主人公とその上司が東日本の東京ナロードニキ大学助教授を辞して西日本に来た男と会食するためにセッティングした鯨肉を出す焼肉料理店「ねず珠」(ノーパンの女性店員が給仕し、床が鏡張りになっている、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」の類似店)の内装をデザインしたと語られる。

「山本」(下巻384頁)……東京ナロードニキ大学の物理学助教授だったが西日本に亡命してきた。1969年の「民主の塔事件」で学生たちが毒ガス・チクロンBで殺されたのではないかというニュースを持ち込む。東大全共闘議長で、物理学者として将来を嘱望されながら大学を離れて在野の学者として活動する山本義隆がモデルか?

「当時の警視庁機動隊政治参与だった男」(下巻403頁)……1969年の東京ナロードニキ大学での学生弾圧を演出したと言われている。その後、中曽根書記長に国家治安委員に抜擢され、「壁」崩壊後も「無名会」なる特殊法人の幹部として東京ジャイアンツ新設の資金提供をしている。戦前、プロ野球の一塁手をしていたといわれ、先に出てきた沢村栄治を戦犯として売り飛ばした「元チームメイトの内野手」と同一人物かも知れない。警察官僚出身、中曽根や読売巨人軍との関係などから、もしかすると正力松太郎がモデルだろうか。

「はっする」(下巻410頁)……東西日本を結ぶ東海道本線の列車。西日本は大阪から三島まで新幹線があったが東日本は1980年代まで蒸気機関車の開発を続けていたため新幹線の乗り入れられる線路がなく、そのため三島から先は新幹線から特急列車だけが切り離されて運行する。

「アジャパー」(下巻419頁)……「こらもう、わややな」という発言の意味がわからないと東日本の記者から尋ねられた西日本の吉本シヅ子首相が、「わや」は東日本ではこう言うのではないかと挙げた言葉。史実ではコメディアン伴淳三郎が1951年の映画で用いた(「アジャジャーにしてパーでございます」)のをきっかけに流行した言葉で、その後も赤塚不二夫の漫画などで再流行した。もとは山形県の方言だとされる。小説のタイトル『あ・じゃ・ぱん!』の元ネタの一つになっている。

「天使のハンマー」(下巻424頁)……統一労働党から改称した社会党の青年組織「若い根っこの会・レディース」(旧・革命婦人部)が協賛する「サマー・フォーク・ジャンボリー」で若い女性たちが歌っていた歌。実在するフォークソング。作者の矢作俊彦には名作ドラマ『傷だらけの天使』のノベライズ『傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを』があり、思い入れのある曲なのだと思われる。

「日成のおばちゃん」(下巻424頁)……作中の北朝鮮=大韓社会主義共和国の「金日成生活矯正娘子軍」という特殊公安部隊の隊員。その容赦ない革命的指導を東日本の人民たちがこう呼んでいた。金日成(キム・イルソン)は日本読みで「きん・にっせい」なので、「ニッセイ(日本生命)のおばちゃん=保険外交員」とかけたギャグだと思われる。

「沢田研二の海賊版カセット」(下巻428頁)……「壁」崩壊後、西日本へ移住するための中継地点として東日本を訪れたアフリカの旧社会主義国の人々が東京で開いている露店で売られていたもの。沢田研二は関西の人なので西日本で歌手として活動していたものと思われる。

「曳舟」(下巻439頁)……元物理学教授・山本の仲間で、主人公たちが東京ナロードニキ大学の取材をする際に手引きをする。写真史を研究する社会学者だが、予算不足に悩まされている。元ネタ不明。

「茨城県では、納豆を子供に食べさせるなって指示が学校関係者に出ているそうです」(下巻440頁)……「壁」崩壊後、東日本ではさまざまな文化が、西日本に経済的にも科学的にも後れをとった原因と見做され、特に西日本で嫌われる納豆は諸悪の根源とされて排除されつつあるらしい。

「中国の歌」(下巻466頁)……曳舟たちの学生時代に流行した。この曲のメロディーを第三集会室のピアノで弾くことで降矢木残轍の隠し部屋(トマス・モア『機械的運動の人智学』、都良香『富士山記』、『北一輝全集』41巻、ヴェリコフスキー『衝突する宇宙』日本語訳、戦中刊行の日本語訳カール・ハウスホーファー全集、ロシア語のトロツキー全著作集など東日本体制での禁書が隠されている)があらわれる。楽譜が載っているが僕には読めないので何の曲かわからない。

「笑いについて」(下巻470頁)……降矢木の隠し部屋にあったアリストテレスの著作で、羊皮紙の写本。ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』で知られるアリストテレス『詩学』の喜劇編のことか。領収書によると1919年にオーストリアの「魔笛屋(ツァベル・フレーテ)」という書店でフリヤギ・コイキチという人物が購入したらしい。小栗虫太郎『黒死館殺人事件』に登場する降矢木算哲の幼名は「鯉吉」なので、降矢木残轍の旧名ないし本名ではないかと思われる。

「ジョン・レノン」(下巻483頁)……曳舟のパソコン「ビッグマック398バリューセット」(西日本では「マクド」と呼ばれているが、東日本の人間も真似てそう呼ぶようになっている)に入っている写真史研究のデータの中にあった、イギリスの地方紙「ノーザン・テレグラフ」の切り抜きにあった、リヴァプール市で変死体になって発見されたバンドマンの青年。死体を発見したリンゴ・スターは、1960年代に世界的な人気グループになったジ・アニマルズのドラマーとなる。もちろん史実では二人ともビートルズのメンバーである。アニマルズは実在のバンドだが、ドラマーはジョン・スティール。

「バート・ランカスター」(下巻494頁)……実在の俳優。銃をつきつける曳舟に対してフロッピーディスクを投げつけようとする主人公が、彼がトランプを投げつけて悪役の手からピストルを取り落とさせる映画の1シーンを想起する。元ネタ不明。

「デヴィッド・リーン」(下巻515頁)……『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』などで知られる映画監督。作中では監督作『人間の条件』(実際には小林正樹監督)で西側世界に「南京の惨劇」を知らしめたことになっている。

「湘南ボーイ」(下巻521頁)……江ノ島の海岸でカーペンターズの歌に合わせて踊っている東日本の若者たち。いち早く市場経済に適応して経済的成功を収めた。「湘南」は毛沢東が愛した中国の海水浴場にちなむものと説明されている。

「五十がらみの白髪の大男」(下巻522頁)……主人公たちが軍事基地と化した江ノ島に渡るための船「コンテッサ」を出してくれる漁師。ロシア人を露助と蔑称で呼び、ノーというべきときはノーと言う主義(『Noと言える日本』)と主張する。「壁」が壊れる前に同じく船乗りだった弟を亡くしている。名前は出てこないが石原慎太郎、亡くした弟は裕次郎だろう。

「ヤロフ・アヴラモヴィチ・ルキーン」(下巻538頁)……旧ソ連科学アカデミーに14歳で推挙された地球物理学者。五十代の小人。平岡公威が主導する「日本自殺装置」(ソ連の核を3発海底で爆破することで江ノ島から富士山につながる竜脈を刺激し、富士山を再噴火させ日本列島をフォッサマグナで分断させる計画)のプロジェクトに携わる。小栗虫太郎の小説『聖アレキセイ寺院の惨劇』に登場する小人から名前をとっている。

「デミアン・ワシレンコ大佐」(下巻542頁)……ルキーンとともに軍事要塞に控えている旧ソ連軍の将校。名前はこちらも『聖アレキセイ寺院の惨劇』に登場する白系ロシア人から。

「サー・ジョンがテス・ダービフィールドに出した付け文」(下巻555頁)……トマス・ハーディの小説『ダーバヴィル家のテス』にちなむ。作中でたびたび名前が出る「不幸の手紙結社」の元ネタとして平岡が名前を挙げる。

「ホー・チ・ミン」(下巻566頁)……アメリカによるハノイへの原爆「サウンド・オブ・サイレンス」投下に対して「ハノイはその竹藪のなかにもある。あの川の上にもある。ハノイは、連帯して不正と戦う世界人民と同じ数だけ存在している首府なのだ」の演説をおこない、ニクソン大統領にアメリカ軍の撤退を決意させる。

「蟹」(下巻593頁)……主人公はかつて猿蟹合戦の蟹を弁護するという模擬裁判による日本語の授業をライシャワー教授からマンツーマンで受けた。また、ライシャワー教授は石川啄木の歌に出てくる「われ泣きぬれて蟹とたはむる」の独自解釈を学生に披露していた。そんな作中でちょくちょく言及される蟹が、クライマックスで思わぬ伏線として活きてくる。平岡公威=三島由紀夫は史実通り、蟹が大の苦手なのである。

「アジャパー!」(下巻606頁)……ボルティモアの陸軍病院に入院していた父親の死亡通知を受け取ったときの主人公の心の叫び。

「GO A JAPAN!」(下巻609頁)……父親が主人公にのこした遺言。Nと!は一緒の文字になってしまっている。むろん本作のタイトルにかかっている。ちなみに上巻冒頭で語られるように、西日本こと「大日本国」の英語表記は「The Japan」であった。二つの国に分裂した日本がA Japanになる物語。

「彼のお父さまは、戦前の帝国政府で名高い官僚でした」(下巻628頁)……佐藤昭和の台詞。「彼」は平岡公威のこと。降矢木の館を修繕するための大工として田中角栄を紹介したことで、平岡・田中・降矢木の三者につながりが生まれた。実際に三島由紀夫の父・梓は農商務省の官僚であったが、旧制一高から東大法学部にかけて同窓生であった入省同期の岸信介などとは違って有能でも野心家でもなく、早くに出世レースから脱落して天下りしていた。作中で平岡公威は厳しかった両親によって山寺に預けられて育ち、唯一の友達だった烏が暴れたため目の前で軍人や刑事により殺されてしまった経験がトラウマになっている(三島の小説に出典がありそうだが思い出せない)。

「フランク・ジョーブ博士」(下巻630頁)……「ジョーブ生態研究所」をもち、70代のはずの平岡公威や佐藤昭和を30代レベルに若く保ったり、黒人だったマイケル・ジャクソンを「改造」した人物。史実のジョーブ博士は整形外科医としてトミー・ジョン手術を発案し、多くの野球選手がその手術を受けた。

「人生は二度しかないと言うでしょう。生まれたときと死ぬときと」(下巻642頁)……佐藤昭和がふと引用してみせる英語の俳句。主人公は芭蕉の句だと思っているが、「いいえ、もっと大物よ。ジェームズ・ボンドが言ったの」と返される。実際には『007』シリーズの作者イアン・フレミングが英語で詠んだ「俳句」で、日本を舞台にした『007は二度死ぬ』のタイトルにもなった。

「さよならを言うことは、人生を生きることだ」(下巻652ページ)……主人公が「中国の言葉」として引用する。井伏鱒二が訳した漢詩の一節「さよならだけが人生だ」のこと。

「昭和記念ドーム」(下巻653頁)……長嶋茂雄が監督をつとめる東京ジャイアンツのホーム球場として、旧後楽園球場に作られたドーム球場。現実の東京ドームがモデル。

「杉本高文」(下巻654頁)……林正之助の娘婿で吉本シヅ子首相の一族に連なる人物。巨大メディアコングロマリット「吉本興業」の社長として主人公が所属するCNNも含め、太平洋一円のメディア企業を買収している。杉本高文は明石家さんまの本名。

「駿河なるふじの高嶺を、天の原ふりさけ見れば、わたる日のかげもかくろひ、照る月のひかりも見えず」(下巻658頁)……万葉集に収められた山部赤人の長歌の一節。主人公が口ずさむ。

「大恐慌ですべてを失った石油会社の元重役が書いた物語に登場する、ロンドンのイースト・エンドのハイソックスをはいた少年探偵の名前」(下巻660頁)……結末でようやく明かされる主人公の本名。「石油会社の元重役」はレイモンド・チャンドラー、そして彼がロンドンで通ったダリッジ・カレッジの寮の名前から採られた探偵の名前はP.Mすなわちフィリップ・マーロウ。

「日輪は瞼の裏に赫奕と昇った」(下巻662頁)……末尾、ヒロインの廣子と結ばれた主人公の独白。三島由紀夫の遺作となった『豊饒の海』四部作の第二部で、「飯沼勲」の登場する『奔馬』の最後の一文から。

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