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『ダンキラ!!!』朝日ソラとリズム体操の共通点。人形から人間へと変化をもたらしたリズムとは

オフライン版が好評配信中の少年ダンサー育成ゲーム『ダンキラ!!! - Boys, be DANCING! -』
本日8月20日は、『ダンキラ!!!』の顔でもある朝日ソラの誕生日だ。

しかしこの誕生日は養護施設「ひつじ館」の館長が決めてくれたものだと昨年のバースデー記念ボイスで発覚し、泣かされたコーチも少なくないだろう。

底抜けの明るさとは裏腹に、茨の道を生き延びてきたソラ
そんな彼が毎日欠かさないのが、オリジナルのリズム体操だ。
内容はさまざまで、肩こりが治ったり元気になったり鳩の動きをまねたりと留まるところを知らない。

リズム体操とは、普通の体操と何が違うのだろうか。
起源や目的を探ってみると、ソラとリズム体操の共通点らしきものが見えてきた。

※このnoteは100%個人の趣味で書いたものであり、公式等とは一切関係ない。

拘束から解き放たれたリズム

「リズム」と聞くと思わず動き出したくなる楽し気なイメージを持つが、かつては異なる意味を持っていた。

語源には諸説あるが、ギリシア語の「rhythmos(リトモス)」に由来するといわれている。
「rhythmos」は「流れる」を意味する言葉。しかしもともとは「拘束」や「形式」を表す語だったらしい。

そんなリズムだが、音楽的な意味以外で解釈される場合もある。
心臓の鼓動や波の音、木々のざわめきなど、身の回りにあふれるさまざまな生命の音。
これらすべてを「リズム」と位置づけ、全身で自由に表現するための方法として考案されたのがリズム体操だった。

リズム体操の起源

リズム体操の起源をたどるためには、ドイツ体操史を振り返る必要がある。

19世紀中ごろ、ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国において、体操は訓練を思わせる形式ばったものだった。
行進や整列のような理論的かつ合理的な体操は、まるで操り人形を見ているかのよう
当初は好意的に受け取られていたものの、時代が移り変わると批判を集めるようになる。

ドイツでは第一次世界大戦後に「自然体育」と呼ばれる概念が支持され、体操の改革運動が起こった。
体操教育をめぐっては3回にわたる会議で議論。芸術的な身体を養うための方法、体操的な身体の使い方、人間形成としての体操はどうあるべきかなど、デモンストレーションを交えて話し合われた。

教育の中に自然を取り入れる動きは体操だけに限らない。
1905年にハンブルクで行われた会議では「音楽と体操」を結び付ける動きがみられる。
それまで音楽と体操は個別の分野としてとらえられていたが、どちらもリズムという共通点があった。
そのため教育においても、両者が連携をとることは効果的だと考えられ、改革が試みられる。

リズム体操は、こうした体操教育改革や音楽との結びつきの中で生まれた。

リズム体操をつくった3人

リズム体操の創設に影響を与えた人物として、ここではとくに3人に着目したい。

1人目はエミール・ジャック=ダルクローズ。後述する2人が師事した人物でもある。
ダルクローズは音楽教育によって創造力豊かな人間を育成しようと考えた。

人間は生まれながらにして豊かなリズムを持っているが、日常生活の中で次第に忘れ去られてしまうと、ダルクローズは考えた。
そうしたリズム、すなわち生命力を取り戻すためにはじめたのがリズム教育だ。
音楽に乗せて身体を動かす手法「リトミック」は現在も高く評価されている。

2人目の重要人物、フランツ・ヒルカーもダルクローズに師事し、体操に人間らしさや芸術性を取り入れようとした。
しかしダルクローズの教育方法はあくまでも音楽が中心だったため、体操を中心としてリズムを養う方法を独自に模索するようになる。
1935年には『ドイツ体操』を発表し、動き方や姿勢の基礎、さらに応用方法をまとめた。

同じく1935年に、別の『ドイツ体操』を公表した人物がいる。
3人目の貢献者でありリズム体操の創設者といわれるルドルフ・ボーデだ。
ボーデもまたダルクローズの研究所に属していた。
一時期はヒルカーとともにドイツ体操同盟に所属し、体操をめぐる2回の会議に出席したこともある。
しかし1931年に実施された3回目の会議には出席せず同盟を脱退。ヒルカーとは別のアプローチで体操教育を変えようとする。

哲学、自然科学、音楽などを幅広く学んでいたボーデは、子どもたちの動きの中にヒントを見出した。
飛び跳ねる、走る、歩く、腕や足を振るといった動作はリズミカルであり、人間の中に眠る生命力を呼び覚ます糧となる。
これまで重視されていた整列や行進といった規則的な体操でなく、創造力を重視した自由な体操を普及させようと、リズム体操を考案した。
ボーデの理論は1953年に『リズム体操』にまとめられ、世界中に広まっていく。

ヒルカーとボーデの『ドイツ体操』は別々の刊行物であるが、思想には共通点もあった。
互いの理論が影響し合っている箇所も見られ、途中で道を違えたものの最後は同じ場所にたどり着いたことがうかがえる。

余談ではあるが、筆者は3人の体操改革を調べているとき、ミュージカル『セブンズ・オリジン』挿入歌の「素晴らしい世界を」の歌詞が脳裏に浮かんだ。

リズム体操と教育

リズム体操に期待されているのは、人間、とくに子どもたちの中に眠る創造力や生命力を養うことだ。
日本でも、黒柳徹子の母校としても知られるトモエ学園の創設者・小林宗作がいち早く教育に取り入れている。

小林はもともと音楽教師だったが、音楽を全身で表現する力が子どもたちから失われ、肉体と精神が分離している点を問題視する。
そこでダルクローズたちからリズムを重視した教育方法を学び、帰国後は音楽だけに留まらないリズム教育を発展させていった。

小林が実践した「総合リズム教育」では、身の回りから感じ取れる自然リズムと、音楽や演劇に必要な芸術リズムを双方向からとらえている。

「リズムは考えるのではなく感じるもの」だと考えた小林は、子どもたちの自由な発想や表現を大切にした。

リズム体操も表現方法のひとつ。
子どもたちが身体を動かしながら芸術リズムを感じ、肉体と精神の調和を図ることで、自然リズムとの結びつきが生まれると考えられていた。

リズム体操とソラの共通点

体操とリズムを組み合わせ、操り人形ではなく人間的な表現者を育成するために生まれたリズム体操。
ソラも感情表現が抑圧されていた時期を経て殻を破ったことから、リズム体操の歴史と共通点を感じえない。
また、ソラが好む躍動感のある動きはリズム体操でも重視されており、相性のよさを思わせる。

日常で感じたことや培った経験を全身で表現するリズム体操には、人間が本来持っている生命力(リズム)を呼び覚ます効果があるといわれている。
まるで呼吸をするかのようにステップを踏み、リズム体操やダンキラで表現するソラ。
真夏の太陽を思わせる彼の明るさは、リズム体操によって解放されたのかもしれない。

参考
https://kotobank.jp/word/%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-148800
https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=4409&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1
https://www.bode-akademie.de/geschichte.php
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjshjb/26/0/26_1/_pdf
http://sportshistory.sakura.ne.jp/publication/history26/history26_1_16.pdf
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=17435&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1
http://libir-bw.bss.ac.jp/jspui/bitstream/10693/124/1/%E7%B4%80%E8%A6%814%E5%8F%B7_139-144%E8%8F%85%E4%BA%95.pdf

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