僕は旅の人。そして物書きの人。
沖縄のホテルにいる。
時刻は夜11時半を回ったところだろうか。
一度ベッドに入ったものの、パソコンを立ち上げてブログを書いている。
こんなことは珍しいことではない。
僕がブログを書きたくなる時は、決まっているわけではないが、頭の中に言葉という言葉が溢れ出る。
そして、それをどこかに書き落としていかないと、明日には書きたいことが書けなくなる。
先週までメキシコにいたが、今は沖縄にいる。
ここ最近ではこんなホッピングな生活からも少し離れていた。
僕はTABIMINTONという人
バドミントンの会場に顔を出すと「あっ、TABIMINTONだ」と客席から声が上がる。
身長180cm。いつものハットにオーバーオール。
バドミントンの会場では確かに目立つが、今朝も空港で偶然会った知人に言われた。
「hassyさんだって、遠くから見てすぐに気がつきましたよ」
いつの頃からか、このスタイルが定着しトレードマークになった。
このスタイルで天然石を売って歩いていたと思ったら、そのまま学校に勤め、外見を変えることなく仕事をすることになった。
少しばかり話は逸れたが、僕はバドミントン界で「TABIMINTON」という代名詞で呼ばれている。
他のバドミントンのコーチや指導者と違うところは、いくつもあるかもしれないが、一番大きな違いはバドミントンだけにコミットしていないというところ。
大半の指導者や関係者は、学生時代からバドミントンを続けて、そのまま大人になり指導者や、何らかの形で携わっている。
でも、僕は多くの人と違って、選手をやめてから旅人になった。
そして世界各国でバドミントンをやったり、海外で代表チームのコーチなども行い、選手のマネージャーとして国際大会なども出るようになった。
それらは海外でバドミントンをやるために旅をしたのではない。
旅のついでに世界でバドミントンをやっただけ。
海外での代表コーチも、旅の延長線上でやっただけだ。
純粋にバドミントンにコミットしている人たちとは同じステージに立っていない。
僕はTABIMINTONという、自分だけのカテゴリーに所属している。
ホテルの静かな部屋で
沖縄のホテルで一人になると、先日までグアテマラの国際大会でエキサイティングな経験をしていたのが嘘のように感じる。
帰国する際のメキシコでは大きなトラブルに巻き込まれ、今までで一番海外での大きなトラブルとなった。
そんな日々を経験して沖縄にいると、不思議な感覚と自分自身の人生のパラレル感が、映画のように感じることがある。
こんなことは初めてではない。
僕は時より、自分の人生が映画の中にあるように感じることがある。
〝あれ?夢なのかな?僕は今一体どこにいるのかな〟
そう思ったことは一度や二度ではない。
メキシコから帰国できたのも「あれ?石屋さんですよね?4年前にお会いしましたよ」と、女性が声をかけてくれたところから始まった。
確率で言えば数百万分の一。その数百万分の一を引いた。
「あなた、そういうのよくあるよね」
付き合いの長い知人に言われたが、思い返すと確かにそうかもしれない。
でも、人生とはそういうものだとも思ってもいたのも確かなことだった。
だがしかし、自分が特別な人生と思ったことはほとんどない。
旅先の感性
旅先で好きな時間はローカルのバスから外を眺めている時。
好きな音楽をかけて、流れる景気を見ていると、自分だけの世界と思考に埋もれることができる。
特に知らない町は心が踊る。
今、僕は沖縄にいる。
純粋な「旅」とは違った形での滞在かもしれないが、グアテマラやメキシコでのアップダウンを考えると、ここで一度クールダウンするのも悪くはない。
のんびりと、沖縄の風を浴びながら街を散策する。
何度か訪れたことのある場所でもあるし、目新しいわけでもない。
かといって、北海道の生活と一緒かと言えばそうでもない。
刺激的な旅や、僕が今まで経験してきたようなディープな旅でもないが、旅先では感性が変わる。そして、書きたいことも。
いい旅も、悪い旅もある。
旅を長く続けるとはそういうことだと思う。
今、僕が旅人かと言われると、そうではない。
自分から望んで行く旅よりも、何かしらのオファーや仕事で他の地を訪れることが多くなった。
グアテマラではバドミントン選手のマネージャーとして。
沖縄は学校の修学旅行として。
それでも、こんな仕事ばかり入ってくるのだから、ベースはやっぱり旅人なのだろう。
そして、それが今に繋がっているのなら、僕が歩んできた旅路は意味のある旅路だったのではないだろうか。
僕は書くことで自分を表現する
歌を歌う人。
物を作る人。
誰かの魅力を引き出す人。
愛で愛をつなぐ人。
人の存在価値は、人それぞれ。
そしてまた、自分の表現をするのも、また人それぞれ。
もし自分自身にそれを感じることができなかったとしても、悲観することはない。また、表現方法が見つからなかったとしても、落ち込むこともない。
それはあなたが気がついていないだけであって、あなたはあなたのやり方で自分の存在価値を証明し、表現している。
そして、それを受け取っている人も必ず存在している。
僕が石を編むのは、旅の匂いを石で表現したいから。
僕が旅をするのは、まだ見ぬ自分自身に出会っていきたいから。
僕がバドミントンに携わるのは、求めてくれる人がいるから。
僕が物書きをするのは、自分を表現したいから。
僕にとって「何かを書く」とは、僕の表現である。
知的に見せたいわけではない。
自分を大きく見せようとする、物の書き方は簡単にバレることを知っている。
僕は等身大の自分を表現し、書き残すためにブログを書く。
一度ベッドに入り、電気を消したがブログを書きたくなった。
さっきまで沖縄の居酒屋で、三線ライブを見て琉球の風を感じていた。
大したことではない。ちょっとした修学旅行だ。
ディープな旅も好きだ。
でも、安全な旅には安全な旅の心地よさもある。
明日の朝も早い。
これだけ書けば満足だ。
バドミントンのマネージャーとして海外にも行く。
修学旅行の引率として沖縄にも行く。
それでも、僕は旅の人であり、物を書く人だ。
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