篠原治哉「つめたいしゃしん」一首評

 渡邊新月くんからバトンをもらって、一週間リレーネプリをやりました。読んでくださったみなさんありがとうございます。

 バトンを渡すにあたって考えたのは「比較的発表している作品や媒体が少なくて、なにより個人的に作品が好きな人」ということで、該当する三人の候補を挙げ、その中から最適日常さんの抽選で篠原さんに決まりました。

 今回はそんな篠原さんのリレーネプリを応援するためにささやかながらネプリから一首評したいと思います。

前をいくあなたの足首は白い教会のある丘をのぼって
/篠原冶哉「つめたいしゃしん」

 あなたと私は教会のある丘を登っている。前をいくあなたの白い足首が見える。わかりやすい簡潔な歌です。けれど、歌に仕組まれた仕掛けはそれほど単純ではない。

 形容詞や動詞の終止形と連体形の形が同じである現代日本語ではその特質を利用して独特の読み味を生み出す詩歌は数多くあるけれど、この歌もそのご多分に漏れません。

 「白い」はこの歌においては終止形でも連体形でもあって、つまり「~あなたの足首は白い」と「白い教会のある~」という二つの文章をその白さという共通点でもって意味の上でも文法の上でも繋ぎとめる紐帯となっています。

 ここで考慮したいのが、この歌の場面が坂道であること。丘の上にある教会を目指して坂を上っていること。

 「前をいくあなた」とは上り坂においては少し上をいくあなたでもあるはずです。だから、足首が目の前に現れてくる。長ズボンとくるぶしソックスの間の白い肌が、少し首をあげたら見える。そして直線上に白い教会がある。

 「白い」の紐帯の効果もあいまって、主体の視線上にある足首が、映像のトランジションのようになめらかに同じように視線上にある教会へ変化するように見えます。見事なメタモルフォーゼに思わずうなる一首でした。