毎日新聞みんなの広場(読者投稿)をもとに

前書き


 『毎日新聞』朝刊の「みんなの広場」はいわゆる読者投稿欄であり、紙上で募集した意見を掲載している。同紙2022年5月2日、東京朝刊の5面に寄せられた投稿「教員のなり手を増やすには」について、概要を示したうえで考えを述べていく。

投稿内容の確認


 まずは同投稿について確認していく。投稿者(紙面では氏名を掲載しているがここでは伏せる)は岐阜県、72歳の元小中学校教員である。タイトルは上にあげた通り、「教員のなり手を増やすには」とあり、教員のなり手の減少に対する意見を述べている。
 続いて投稿の内容を見てみる(著作権の関係もあるので、要約にとどめる)。まず小中学校教員、特に小学校の教員試験の倍率が低下していることから、教員を志望する人の数が減っていることを述べる。その背景として、学校の多忙さが挙がっていることも示し、その後「どうしたら、教員のなり手を増やせるだろうか」と問題を提起する。
 問題提起に続いて、投稿者が考える解決法が提示される。まず「教職は営利目的ではなく、未来を担う人づくりに関わる素晴らしい職業」であり、「この教職の魅力と使命を体験させるための教育実習を充実させる」ことを提案する。その理由として自身の体験を述べつつ、教育実習の時期を早めることで、「教育現場をイメージしやすくすることも教員志望者を増やす得策ではないかと思う」と結んでいる。

考察(もとい、ツッコミ)


 では、上記概要に基づき、内容に指摘をしていく。身もふたもなく言うと、バカじゃないのかで終わってしまうが、一つ一つ見ていくこととする。
 まず問題の認識と提起については、特に問題はないだろう。教員志望者の人数が減っていることは多く報道されており、その背景の一端(投稿者は多忙さのみを挙げるが、ほかにも待遇の悪さなどがあると考える)が多忙さにあるという認識と、どうにかして教員志望者を増やさないといけないという問題意識は十分に理解できる。
 しかしその後から、論旨がやばい方向にかっ飛んで行く。まず「教職は営利目的ではなく、未来を担う人づくりに関わる素晴らしい職業」であると、くそみたいな精神論を繰り広げる。投稿者がそう思うのは勝手であるが、教師や周囲の人間のそういった認識も、現状を生み出した原因のひとつであろう。
 そして教員志望者不足の対策として、「この教職の魅力と使命を体験させるための教育実習を充実させる」ことを提案する。やりがい搾取という語を知らないのかとも思えるが、続いてはこの対策を考えてみる。
 教育実習の充実と御大層に述べるが、具体的に挙げられているのは教育実習の前倒しのみである。投稿者は体験した(単純計算で約50年前の)教育実習を大学四年次初頭としており、現在の制度とあまり時期の差はないように思える。これを前倒しした場合、何が変わるのだろうか。投稿者の挙げるメリットは「教育現場をイメージしやすくすること」と、いまいち具体性に欠けている。直感的に考えて、教育実習を前倒ししたところで、教育現場の実情が変わらなければ、教員志望者が増えるわけがない。教職に見切りをつけるのが早くなれば、よりほかの道を模索しやすいというメリットはあるかもしれないが。
 そもそも教員の多忙さを背景として挙げておきながら、その後の論では多忙さについて一切触れていない。これは文章としていかがなものか。仮にこれがレポートだとしたら、この一文は何だという指摘が必ず入るだろう。紙幅の都合もあるため、あくまで話の導入として示したものかもしれないが、あるいは投稿者は、教員志望者不足の原因は多忙さではなく「教職の魅力と使命」の周知不足だと考えているのかもしれない。仮にそう考えているとしたら曲がりなりにも教員だった人しては、現状に対する認識が不足していると言わざるを得ない。

終わりに


 以上、同紙2022年5月2日、東京朝刊の5面「みんなの広場」に寄せられた投稿「教員のなり手を増やすには」について、概要と考察を示した。なお、この記事をもって毎日新聞を批判する意図はなく、単に投稿を見て思ったことを書き連ねただけである。
 余談ではあるが、教員志望者不足につける一番の薬は、財務省と文科省がきちんと予算を付けて学校事務員を増やしたり、教員の給料を挙げたりして、学校の働き方を改善することではないだろうか。

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