飯田豊『テレビが見世物だったころ 初期テレビジョンの考古学』(2016)

日本のテレビの歴史は、戦後の1953年の街頭テレビの設置から始まったとされているが、本当にそうなのだろうか、というのがこの論考の出発点となっています。

実は戦前にすでに博覧会や百貨店などで、そして戦中ですら国家的プロパガンダ活動の一環として、テレビジョンの公開実験は行われていた。本書はその埋もれた歴史を丹念に掘り起こして詳述しています。そのクロニクルの過程で垣間見える著者の考察の断片が、知的好奇心を大いに刺激してくれました。

その歴史を紐解くことで見えてくることは多々あり、たとえば日本で一番最初にテレビジョンの原形を発明したのは、逓信省のエリート集団などではなく、一地方の工業高校の助教授に過ぎなかった高柳健次郎や、早稲田大学の助教授だった川原田政太郎だった。なぜこうした在野から国産テレビジョンが生まれ得たのか。それは1900年代後半に都市型消費生活の完成に伴い「趣味」が誕生し、さらには20年代にラジオ雑誌が隆盛し、多くの「アマチュア無線家」を生み、関東大震災を経てラジオが国家により定時放送されるようになると、そのアマチュアたちがテレビジョンへと関心を寄せるようになった――と短絡的にはもちろん書いてはいませんが、少なくともそのような「物語」を想像しながら楽しく読めるようになっている本です。

公開実験が、大がかりな博覧会で行われていたのが、次第に軍事色を強めたため、より庶民に親しみやすい百貨店で開催されるようになったという経緯も面白いし、不気味です。国家がテレビをプロパガンダに活用しようとしたきっかけはちゃんとあって、専門技術者による政治支配、いわゆるテクノクラシー思想などが席巻した、という背景がある。なるほど。こうして見ると、テレビもロケット開発と同じで国家の軍事力(技術力)誇示に使われて発展したんだなあ、とか様々な発見があります。

あとは、テレビという新しいメディアが生まれた時も、そのコンテンツ(プロ野球、プロレスなどの興行)も一緒になってしっかり売り出されたんだな、そしてそのスポンサーは(皮肉なことに? あるいは必然的に?)旧メディアであった新聞社だったんだな、とか非常に示唆に富むんです。2016年現在、プロ野球12球団の内、3球団がさらに新しいメディアとなったインターネット事業を主体とする会社なのも、ある意味歴史的な必然と言えるのかも。

厚かましくも著者へリクエストするとすれば、かつて吉見俊也が『都市のドラマトゥルギー』で「盛り場」の浅草から銀座への移行と、新宿から渋谷への移行を鮮やかに対比して見せたように、また北田暁大が『広告都市東京』で80年代の渋谷とTDLなどのポスト80年代のテーマパークを対比して見せたように、さらには森川嘉一郎が『趣都の誕生』で透明化する渋谷と一切の外部を遮断する秋葉原を対比したように、たとえば夜市の見世物小屋と初期テレビジョンの対比、あるいはせっかく掘り起こした戦前のテレビジョンと戦後のテレビとの見られ方の対比、という、ベタでもいいからわかりやすい対立軸を用いての考察が欲しかったなあと。迂闊にキャッチ―な結論に走らない著者の慎重さは、長所でもあり、また短所でもあるような。ギリギリ一般書なんだから、ちょっとくらい「盛って」もいいんじゃない? と思いました(笑)。

その意味では最終章の岐阜県郡上八幡や静岡県下田地方のケーブルテレビによる自主放送という、東京以外のローカリティの考察は特筆に値するし、今もなお、VRをはじめとするIoTなどの次々に現れる新たなメディアを、現在の「偏在するスクリーン」世代からどう捉えるか、という構図も非常に興味深いものになるはず。「偏在するスクリーンはさらに加工され始めた!」とかね。

いずれにしろ、調査するだけでも一苦労の昔の資料を大量に丹念に10年以上かけて精査して、これだけの論考にまとめ上げた熱量に敬意を表したいです。メディア研究の若きホープとして、今後の活躍も期待しています。

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