【小説】ペトラの初陣 73

【15】

 カーテンの炎の明かりは、風圧で消えた。

 だが、床にはまだわずかに残り火がある。

 視界が完全な闇で覆われているわけではない。

 それは絶望でもあり、希望でもあった。

 地獄がまだ終わっていないことが見て取れるし、

 終わらせるにはその明かりが必要だからだ。


 巨人の両目が急に動いた。

 ギョロリと一回転する。

 その視線が、特定の人物に据えられて、止まった。

「逃げろ、エルヴィン!」

 リヴァイが叫ぶ。


 巨人の手が伸びていった。

 エルヴィンの胴体を握りつぶそうとして。

 発砲音。

 巨人の喉に何かが食い込んでいく。


 振り返ると、すぐ近くで兵士が銃を構えていた。

(エルドさん――!)

 撃ったのは、信煙弾だった。

 そういえば昼間、この部屋で団長から試作品を預かっていたのを見た。

 赤い色の煙が、巨人の喉から噴き出している。


 まともに喉に弾を喰らった巨人は後ろにたたらを踏んで、


 伸ばした手はエルヴィンの体には届かず、むなしく宙を掴んだ。

 だが信煙弾だけでは、うなじを削ぐまでには至っていない。

 団長以下、全員が即死しかねない位置から距離を取るため、扉に向かって走る。


 直後、すさまじい轟音が鳴り響いた。


 一度ではない。


 連続した破壊音だ。

 巨人が、大広間の横の壁に手足で穴をあけ、そのままよじ登っていく。

 そして天井までたどり着くと、

 屋根を、片手で貫いた。


「伏せろ!」


 ぺトラのすぐそばにいた男性兵士が叫んだ。

 大量に降り注ぐ屋敷の残骸から身を守るために、

 ぺトラは頭を両手で抱えてその場にしゃがみこんだ。


 地響きと衝撃音が止まない。

 視界を遮られるほどの破片が落ちてくる。

 巨人は屋根の上に登ったらしく、今度はそこから屋根全体を破壊し始めた。

 幸い、ぺトラの体には、柱の一部だった小さな木片がぶつかっただけだった。

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 だが、伏せろと言った兵士の上には、巨大な天井の塊が落ちてきた。

 悲鳴もなく、その人が圧しつぶされるのをぺトラは視界の隅で捉えた。


 土煙と埃が、室内に一気に充満する。


「立て! ぺトラ!」

 


 今度は誰の声かすぐ分かった。


 リヴァイ兵長だ。


 見上げると、巨人が握りこぶしを作って腕を突き上げ、天井の破壊を続けていた。

 このまま落下物の瓦礫を凶器にするつもりなのだろう。

 ぺトラはリヴァイに習い、

 すでに破壊されて天井のない壁際に向かって走り、そこに張り付いた。

 土煙でよく見えない足元で、つま先が何かに触れた。

 さっき目の前で吹っ飛んでいった、兵士の一人だった。

 壁に激突した衝撃で、四肢が不自然な形にねじ曲がっている。


 操り人形のようで、口からは舌がだらんと伸びきっていた。

 
 ぺトラは視線を外し、目を閉じた。

 だがすぐに目を見開いて、見上げる。

 巨人は、残った最後の断片を、屋根からむしり取った。


 それを握ったまま、じっとこちらを見つめている。


 信煙弾を浴びた喉元は、もうほとんど回復しかけていた。


 視線が合った。


 ぺトラは気づいた。


(そうか)


 この巨人。

 ――まだ、ミュンデさんだ。

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