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自分がひととして不出来だなぁと思う理由。

自分が「ひととして不出来」だなぁと思う理由のひとつはこれだと思う。

世の中の多くのひとよりも、
「できることを出来るだけすぐやる」
と言うことと、
「でも、だって」を言うことが圧倒的に少ない。
この2点だと思う。

たぶん、私が言ってることって、
ど正論の事実のことが多いんだと思う。
偉そうに言うけど…
烏滸がましい発言だけど…

私は自分ができるなんで全く思ってこなかったし、自分なんぞができることはほとんどのひとが出来ると信じて疑わなかったから、
結構ひとに対して、
なんでやんないの!?
できるよーーー!!!
って熱苦しく言ってしまって来たのだけど、
余計なお世話だったんだろうなぁって。
そう言われたいひともいたかもしれないけど、それを言われてしんどくなったひともいただろうなぁと今は思う。

ひとは案外、
こうしたいんだよね〜
と言ったり不満を言いつつ、
でも、だって。
を、言ってやらないでいる
自分が好きなんだと思う。

そう思うことにした。
じゃなきゃ、
わたしはもうしんどすぎる。
そんなにやなら、
出来ることやればいいじゃん!
これも!あれも!
ちょっとずつでも出来ることあるよ!
って思っちゃうんだもん。
言いたくなっちゃうんだもん。

でももう正直、
うん〜
じゃあもう言ってたらいいよ〜
そう言う自分が好きなんだもんね〜
そこにいたら良いよ。
それでも生きていけるもの。

と言うメンタル。
そう思わなきゃしんどい。
私が。

だから、
そう言う気持ちを持てない私は
ひととして不出来だなぁと思う。
それは、多くの人の気持ちに
共感できない、寄り添えない、
と言うことだから。

だから、
もう出来るだけ人と会わず、
ひとと接点を持たずに静かに暮らしたいのだ。誰かをしんどい思いにさせたくない。

それを叶えながらも、
世の中の役に立つにはどうしたら良いかを
考え続けた結果が今のわたしの暮らし方。
これでも一生懸命に30年くらい考え続けて、
できることやって、自分で決めた答えだから。

こんな私をゆるしてくれて、愛してくれるひとたちと私が思ううつくしい、ちいさな世界で暮らしたい。
わたしはその人たちに「心地いい」を返せたらそれでいい。
わがままに生きることへの
等価交換を忘れずにいたい。

#エッセイ
#hsp
#暮らし方

ももちゃんみたいには出来ないもん!
って言われるのももう疲れちゃった。
そうか…ごめんって思ってる。

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