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W杯吉田麻也選手に対する批判に関して

先日W杯で日本代表対コスタリカ戦が行われた。
結果はご存知の通り0-1でコスタリカに惜敗した。

もちろん、全日本国民が落胆した事だし、なぜか一部のイタリアの人々も驚きとともにガッカリしたはずだ。

※イタリア人の多くはドイツ嫌いで親日家。

その試合の中で、吉田麻也選手のクリアプレーに関し
一部のサッカーファンが批判の槍玉に挙げている。

僕も実際に試合を観ていた中で、あのクリアの瞬間「おっ?」と感じた。
その後のコスタリカ代表フジェル選手の見事なシュートはもう脱帽のクオリティだった。

しかし、その後の吉田選手への批判批評は目に余るものがある、というか今だに続いている。
これについてなんだかモヤモヤしているので今日は新曲の締め切りも、明日の会議の資料作りも、洗濯も風呂掃除、トイレ掃除も一時中断してお届けする。

モヤモヤしている抽象的な主観を、論理的に文字起こししていくのでどうかお付き合いいただきたい。いや、かなり時間に余裕のある方だけにお付き合いいただきたい。

いつも通り大した気づきも学びもない投稿になる自信しかないので、かなり時間に余裕のある方だけにお付き合いいただきたい。

そもそもサッカーというのは団体戦であり、複合的要素の繋がり(波)を楽しむスポーツであって、個人の判断と能力を楽しむ個人競技でもなく、ましてや一手一手に対しお互いにターンを設け、時間をかけ駆け引きを競う将棋のようなスポーツではないのだ。

大雑把な90分という長い枠の中で、攻め守りを流動的に繰り返し、複合的な起点が良好に線につながった時に得点が入り歓喜を楽しむのだ。

そう、将棋や個人競技とは違い、団体戦の波を楽しむスポーツなのだ。

しかし、今回の様な戦犯探しが一部で起こる。

そりゃ、僕自身も信じられないし、どこかにこのフラストレーションをぶつけられたらどんなにいいかと思う。

しかし、やはり一生懸命、一点の悪気もなくわざわざカタールまで行って真剣に勝利を掴み取ろうとしている日本代表の選手を責めるのはまったくお門違いなのだ。

どれくらいお門違いかというと

例えるなら「コンビニのコピー機、自分の時に故障する問題」と一緒なのだ。

多くの方が経験しているであろう「コンビニのコピー機、自分の時に故障する問題」だ。

たった1枚のA4、ほぼ文字だけのコピー、しかも白黒印刷というコピー機にとっては一番負荷の少ない作業を10円でお願いしただけなのに

「店員をお呼びください」なんて文字が踊る時がある。

その時に「自分が悪いんだ、、、、、、なんでこんな時に」と自責の念に駆られる人がいるだろうか

たまたま故障のターン(点)を自分が引いてしまっただけなのであり、その予兆や伏線は自分より以前の時間で積み重なっていたのだ。

そう、コピー機の故障は自身の点のせいではなく、線がもたらした結果なのだ。

なんだかノってきたのでもうひとつ。

「小規模飲食店の一個しかないトイレが詰まった問題」だ。

これも多くの方が経験したことがあるだろう。

談笑と歓談を背に「ちょっとトイレ行ってくるね」と席を立ち、用を済ませ
さぁまた楽しい会話に再合流だ!と意気込みながら水洗のレバーを回したその時
「ゴポ、、、、、ぐわゴポ、、ゴゴゴゴ、、、、、」

あれ?レバーの回し方弱かったのかな?
もう一度チャレンジ。
虚しく響く「ゴポ、、、、、ぐわゴポ、、ゴゴゴゴ、、、、、」

こうなると選べる選択肢は一つ「店員さんを呼ぶ」である。

これが小ならまだしも、大だった時はパニックである。
もっと言えば外でトイレ待ちをしている人が確認できた場合、

もう全力で心で叫んでる
「私じゃない!!!!!!!!」

そう、紛れもなく私や僕のせいではないのだ。
点のせいではなく、複数の要因が線になった結果なのだ。

コスタリカ戦の
「麻也のせいじゃない!!!!」感の正体はこれである。

なんだか例え話に熱くなり要点が
・コンビニの店員はコピー機のメンテナンスをしっかりする事
・飲食店の店員はトイレをしっかりメンテナンスする事

が気づきと学びになってしまった方はご容赦頂きたい。

しかし日本代表が僕らを熱くさせてくれていることには変わりがない。
僕も2022年、こんなにもニュースが楽しみな時期はなかった。

あとはスペインに勝つだけ、ドラマの準備は整った。
僕たちができるのは批判ではなく応援、
最後の1分まで4年に一度のW杯を心から楽しみたい。

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