余は如何にしてパチプロとなりし乎

俺がまだ20歳の頃、パチプロを志して七転八倒してた頃の記憶がふいに蘇ったので書き記しておく。

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俺には社会人としての資質が決定的に欠けている。

20歳でフリーターとして社会に出てすぐにそう自覚した。そう、当時の俺はとにかくバイトが苦痛だったのだ。

どうやら自分は「仕事ができない」側の人間らしい。

特に飲食店バイトでその傾向が顕著で、他の従業員とあうんの呼吸で瞬時に連携をとるのが苦手だった。

バイトという狭い世界の中で活動していると、まるで自分という人間そのものをまるごと否定された気分になる。

そんな俺はいつしか「働きたくない…絶対に働きたくない…」とブツブツいいながら、働かずして生きる裏技や社会の抜け道を探すようになっていた。

今にして思えば完全に情弱思考だが(苦笑)
そんな俺が辿り着いた生き方がパチプロだった。

パチスロとの出会い

パチンコとの出会いのきっかけは、高時給に釣られて始めたパチ屋のバイトだった。

もともと父親の借金苦を間近でみていた俺は「ギャンブルなんかに手を出したら人生終わる」と考えてるタイプの人間だったが…


パチ屋で働くうちに、妙な所で根が真面目な俺は「客の気持ちが知りたければ自分もパチンコを嗜まなくてはなるまい」と謎思考を辿ることになる。


もっと言えば、パチスロを練習しようと考えたのは「客への目押しサービスで七を揃えられず悔しかった」のが直接的なきっかけだ。

当時のパチ屋店員には「客の台の七を揃える」という仕事があった。
なお今は法律が厳格に運用されており、お上に目押しサービスがバレると営業停止になる(のでおおっぴらには行われていない)。

七を揃えられず同僚の女性店員にヘルプ要請していた自分。それが妙に悔しくて情けなくて、練習の為にパチ屋に出入りするようになった。


もちろん知識や打ち方などは一切わからない状態で、適当に台を選んで着席した。


他の客の見よう見まねで両替した千円札10枚を順にサンドに突っ込み、慣れない手つきでメダルを入れ、レバーを叩いて、3つのストップボタンをペシペシと押していく。

すると!!!!!


その千円札10枚はあっさり飲まれた。首を傾げつつ追加でぶち込んだ2万円も当然のように露と消えた。

結局目押しの練習もできずあっさりと3万負け。これが俺のはじめてのぱちすろデビュー戦のほろ苦い結果だ。


普通、パチンコにハマる人間というのは幸か不幸かビギナーズラックでスタートダッシュを切る事が多いのだが、俺の場合はガッツリ負けスタートだったのである。

貯金60万消失事件


こうしてプライベートでパチ屋に出入りするようになってから3ヶ月後。

半年間のリゾートバイトで貯めた60万円が何故か消失している…

そう。パチ屋で働く前の俺は、自動車免許取得のカネを工面する為に、北海道知床の観光ホテルでリゾートバイトをしていたのだ。


そこで貯めた総額60万が俺の財布からキレイさっぱり消えてなくなった。

魔女か妖精の仕業だろうか?

もちろんそんな訳がない。パチスロで負け続けたのが原因である。


※厳密にいえばパチスロだけで溶かしたのではなく、近所にコンビニすらない禁欲生活の反動で遊びまくったという理由もありますw

同居中の母親からは「あれ?あんた免許はいつ取るの?」と質問された。


当然パチンコで60万溶かしたとは口が割けても言えず「今忙しいから落ち着いたら教習所いくよ!!」と誤魔化してしまう始末。


ーー観光ホテルでは来る日も来る日も、客の部屋の布団を汗水垂らして敷き続けた。そうしてようやく貯めた虎の子の60万をパチンコ屋で溶かしてしまったという現実。俺の精神はそれを受け入れられなかったのだ。


当時付き合っていた巨乳の彼女Sちゃんに「大丈夫?最近顔色悪くない?」と心配されていたくらいなので、俺の精神状態はかなりヤバかったと思う。

「なんであんな出ない台を打ったのだろう…」
「あのお金があれば彼女とデートにいけたのに…」
「そもそもパチンコなんて始めなければよかった…」

タコ負けした日の夜の帰り道。

チャリを漕ぎながら訳もわからず「なんで俺ばっか負けるんだあぁー!!!」と大声をあげたこともあった(完全に変質者)

パチ屋のバイト中もモヤモヤして、仕事は全然手に付かなくなっていたし、仕事中にアホほどメダルを出してる客をみて心の中で嫉妬したことも数知れず。


同僚と一緒のホールでプライベート打ちしても彼らは早い当たりで調子よく出してるのに自分の打ってる台はウンともスンとも言わない。


「なぜだ!?どうして俺は勝てないんだ!?」と頭をかきむしる日々。


飯を喰っててもトイレの中でも、頭の中はパチンコのことでいっぱい。思い返すと当時の俺は完全にギャンブル中毒患者である。

訪れた転機


貯金60万を溶かした翌月の給料日。「このままじゃいかん」とシンプルに思った。


なにか勝利の突破口はないのだろうか…

悩めるルキノ青年は藁にも縋るつもりで、バイトに在籍していたパチスロに詳しい同僚ーー通称「博士」に相談することにしたんだ。

そうしたら博士は俺にこう言った。


「お前知識なさすぎ、少し勉強したほうがいいよ。コンビニに置いてるパチスロ雑誌を買って読みな」

べ、勉強ぉ!?

ギャンブルで勝つのに勉強が必要なのか…衝撃の概念だった。

そもそもギャンブラーというのは楽して稼げるからギャンブルやってるんじゃないのか。勉強が必要ならそれってもはや仕事と変わらないのでは?

疑問は尽きないが、しかし、現実問題として財布の中身はカラだ。
俺は博士の言葉に従うことにした。

このへんのエピソードは、寝ながら稼ぐ系の情報商材の誇大広告に騙された初心者が、実践の果てに「稼ぐにはちゃんとビジネスを勉強しなければならない」という当たり前の事実に行き着く過程に似ていると思うw

さっそくコンビニへBダッシュした俺は、棚に陳列するパチ雑誌を左から右まで全部購入した。

ちなみにこれは余談だが、当時はパチスロパチンコ雑誌のなかに正しくない情報をさも本当のように掲載している詐欺オカルト雑誌が混じっていた。

そのおかげで全く効果のない打ち方を試し、2週間ほどの時間を無駄にしたりもしたが…(博士!お前なんで教えてくれないんだよ!)

全ての雑誌をじっくり読み比べた結果、詐欺オカルト誌のアホアホな主張は、どう考えても論理的におかしいことに気付き(ナイス!あのときの俺!)

最終的には確率論にもとづいた正攻法の攻略誌のみを熟読。

そして、せっかく払った雑誌代数百円がもったいないので、白黒ページに書かれた隅っこのほうの情報まで目を血走らせながら読み漁った。

さて、そんな雑誌漬けのある日、俺に転機が訪れる。
某雑誌の目立たない白黒ページに超マイナー台の「攻略法」が記載されていたのだ。

そして結論からいうと、その攻略法はガチの本物だった。

詐欺オカルト雑誌に書かれていた嘘攻略法ではなく、正真正銘、台に仕込まれた攻略法だったのである。

ちなみに2023年現在、このレベルのネタは滅多にないしましてやそれが攻略雑誌に堂々と載るなんてことは100%ないです。
当時の牧歌的なパチンコ業界だから起こった事件でした。

その台は攻略自体の効果はもちろん高かったが、いわゆる「ハイエナ台」としても超優秀だった。結局俺は、その台の美味しいゾーンだけを徹底的に狙い打ちすることで、1か月足らずで約20~30万円の勝ち額を手にすることに成功する。

ちなみにこんな台

その台の攻略自体はすぐに使えなくなったが、数十万円の札束を薄暗い部屋でぼんやり見つめながら俺は考えた。

「これ、もっと本気で取り組めばパチンコで勝ち続けられるんじゃね?
いや、むしろ…くそだりーバイトなんか辞めてパチンコ1本で生活することも可能じゃね?」

これが俺の本当の意味でのパチンコ道のスタートだった。

パチプロを目指して

もちろんパチンコで勝ち続けるのは茨の道だ。全てが自己責任の世界である。しかしそれでも、人間性を否定されながら、一生自分の人生を諦めつつ奴隷のように働くよりは百万倍マシだと思った。

今回の攻略法に関しては、正直まぐれの部分が大きい。本当の意味で俺がパチンコで勝ち続けるには、血の滲むような努力が必要であろうことも薄々気付いていた。


というのも当時はまだブログすら存在してない時代だったが、個人のパチプロがホームページを開設しており、そこで台選びの根拠やら立ち回りを詳しく解説していたのだ。

当時はグーグルアドセンスなどもなかったので、彼らは完全ボランティアでその知識を公開していたことになる。動機は不明。

それらを読む限り、自分の知識・技術レベルが、彼らパチプロのレベルに全く到達していないことは明白だった。


実践と勉強の両方が必要だ。


当時俺が住んでいた地域のパチンコ屋の開店時間は10時~23時。13時間をパチ屋での実践にあて、その後パチプロのホームページで勉強した。

当時の俺はパソコンを持ってなかったから、ホームページを観るには漫画喫茶に入らなければならない。だから3時間パックで入ってノートを持ち込み、メモを取りながらパチプロのホームページをガン見する。

深夜の2時頃に帰宅してからは、その日の実践を振り返りつつ、一人反省会の開催だ。


パチプロの○○さんなら、あのときどういう選択をとっただろうか…

布団にくるまりながらそのことばかり考える日々。夢の中にもパチスロがでてきた。

ちなみに、当時の俺がパチンコに費やした時間をざっくり計算すると

・パチンコ実践⇒13時間
・ホームページで勉強⇒3時間
・移動時間⇒1時間

13+3+1で一日17時間だ。さらに月でいうと17時間×30日間で月間510時間稼働。実際には早上がりの日もあった為もうちょい少ないが、それでも余裕で過労死認定ラインである(苦笑)

上等だ。バイトで働かない為になら、月500時間をパチンコに費やしてもいい。

健康の為なら死ねるばりの本末転倒野郎の爆誕である。

自力で生きるという在り方


さて、実践と学習のサイクルが正しい方向性で安定してからは、俺のパチンコ収支は順調に推移した。

もちろん月ごとの波はあるのだが、アベレージ収支は20万、30万、40万…とじわじわ増え続け、気付けばこの世にパチ屋が存在する限り喰いっぱぐれることは一生ないという謎の自信を持つまでになった。


ちなみにこの物語に、特にオチはない。



無理矢理オチをつけようと思えばつけられるが、本当のところのリアルをありのままに書くと、そのまま俺はヌルッとパチプロとして15年間生き続けた。


縁あって結婚してからは建設会社に就職し、一時的にプロの道を離れることになったけど、働きながらアフターファイブで副業パチンコに取り組み、本業とほぼ同じくらい稼ぐことはできた。


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さて、ここまでこの文章を長々と綴ってきたのには、実は理由がある。

このnoteは「俺、頑張れてないなー」と感じたときに自分で読み直す用として書いた。

今の俺は情報発信に取り組んでいるが、正直に言うと、人生を変えるレベルの稼ぎにはまだなってない。

もちろん情報発信は楽しいし、やりがいもある。実力が遙かに上のレベルの人とも関われるようになり「ビジネス楽すぃ~!」と浮かれている自分にも気付いている。


駄菓子菓子!(伝家の宝刀!)


それでいいのか、自分よ。当時パチプロとして喰っていくために我武者羅に頑張っていたあの頃の狂気を忘れていないか?夢に出てくるレベルでビジネスに没頭していると、そう言い切れるのか?


もちろん当時の俺のパチプロ道は、今と違って情報が整備されてない時代の話だ。「パチンコで月10万くらいゆるっと稼ぎたいなー」くらいの話なら、今はここまでの努力は必要ない(笑)


ただ、例えば情報発信ビジネスのように不確定要素の強いノウハウに取り組むとき。あるいは全く未知のビジネスにチャレンジせざるを得ない状況のとき。そんなときは当時の俺のように、対象が夢に出てくるレベルの狂気が必要なのではないか?



そんなことをぼんやり考えながらこの文章を綴った。


なんども言うが、オチは特にない(笑)

完全に自分で見返す用の文章として書きました。では、ここまで読んでいただきありがとうございました。

~完~

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