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母とのおしゃべり 2月22日

寒い。
今日は日中にジャカジャカと雪が降り、家のまわりはすっぽりと
白く覆われた。水気を含んだ春雪。明日の朝にはきっと凍っているだろう。
つい数日前、仕事で東京へ行った日は、確か20℃以上まで気温が上がり、
コートを腕にかけて長袖Tシャツ1枚でちょうどいいほどだったというのに。
気温差ジェットコースター。油断をしないようにしなければ。

火曜日。東京での仕事をお昼頃に終えて、その足で千葉の実家へ。
普段はひとり暮らしとなった母は、もうすぐ90歳になり足が弱っているものの、身の回りのことは今も一通り自分で行っている。
離れて暮らす身としてはなんとも有難く、尊敬もしている。
ごはんも母が作ると言うのを、自分がやってしまっては仕事を奪ってしまうようで、やりたいならばと任せることにしている。
その間に私はこっそり掃除をしたり、片づけをしたり。あくまでも母の生活のリズムのようなものを乱さぬよう、気づくか気づかない程度に整えるようにしている。
50歳をとうに過ぎて言うのもなんだが、いくつになっても私は母の娘であり、すっかり子離れはできているとはいえ、母にとっても娘(兄もいるので兄のことも)の面倒をみたいときっとまだどこかで思っている。(孫がいたらそれは違っていたのかもしれないけれど)誰かのためにできることがある。それが元気でいることの支えにもなっているのではと勝手に思っている。ま、それは自分都合の考えかもしれないし、母の頭がシャッキリしているからこそ言えることかもしれないけれど。

そんな母でも一日中家にいて誰とも喋っていないと、電話で話そうとしてもポンと言葉が出てこないと言っていた。母の年齢ならまだわかるのだが、
コロナで緊急事態宣言の頃には、私自身もそうだった。家にずっといて
話す相手は夫君と愛猫スイ・モクならば「あれ」「それ」で話がだいたい
通じてしまって気づいていなかった。が、ZOOMミーティングなどとなるととたんに言葉がスムーズに出てこなかったり、会話の組み立てがうまくできなかったり。画面上に相手の顔を見ながらでもなんというか、やっぱり間合いのようなものが違うからだろうか。
母との会話はつらつらととりとめもないこと、何度か聞いた話も多いのだけれど「会って喋る」というそのなんてことはないことが必要なんだなぁと感じている。くらしの音や人の気配も。


2月22日 猫の日 雪 最低気温  - 3℃ 最高気温2℃
庭のクリスマスローズがせっかく花開いたところだったのに
この寒さで大丈夫だろうか?草花だけでなく自分も。
明日はこの冬初のスノーブーツを履いて出勤だ!