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vol.5 「桜」 清明(4/4~4/18)

 三春には日本三大桜のひとつ、そして国の天然記念物にも指定されている
「滝桜」がある。四方に広げた枝から薄紅色のベニシダレザクラの花が、
流れ落ちる滝のように咲く姿からその名がつけられ、天保の頃は三春藩主の御用木として保護されていたそうだ。推定樹齢1000年を超える巨木の迫力、そして満開の頃の見事な様は、藩主でなくとも思わず扇をサッと広げて
「あっぱれ!」と叫びたくなるほどの素晴らしさ。
 
 移住をした年の 4月。滝桜の開花宣言を耳にして、これは見に行かなければと夫と張り切って早起きをして出かけたことがある。近くにお住いの方だろうか、早朝の散歩がてらといったのんびりした様子で、ぽつりぽつりと人もまだまばらな時間。
 斜面に根を張る滝桜に沿って、ぐるりと囲むように整備された遊歩道を登りきると、背後にはずらりと並ぶソメイヨシノが咲きほこり、滝桜を見下ろすようなかたちになる。見下ろすと言っても、巨木との距離感がうまくつかめない。それだけ大きいということか。滝桜の足元には菜の花の群生。そして遠くに見える山は春霞が立ちこめて、明けきらない空にまで桜の花びらのような色が広がる。
 あの世?極楽浄土?というものは、こんな景色なんじゃないだろうかと思えるほど幻想的。「春はあけぼのようよう白くなりゆく山際〜」と、枕草子の冒頭もこんな景色を見れば暗記などしようとしなくても、きっと忘れることなどないだろう。

 しばらくぼんやりと眺めていたら、じんわりと涙が滲んできた。
「こんなに美しい景色を見せてくれてありがとう。1000年以上も花を咲かせてくれてありがとう。」
滝桜に向かって手を合わせ、心の中でそう叫んだ。なんというか、木そのものが神様のようで、思わず自然と手を合わせたくなるような力強さと優しさが滝桜にはある。

 三春町内にはこの滝桜以外にも桜の木が1万本もあるというから驚いた。そのうち樹齢が100年を超えるしだれ桜が70本。桜の季節に全部を見ようと思っても、見きれない。いや、全部を見ようと思ったら何年かかるのだろう。これだけ数があると、地元の方に尋ねれば、「私のお気に入り」という桜をたいてい1本か2本(いや、もっと?)は教えて頂ける。
 お城山へ向かう中腹にある浪岡邸内のお城坂しだれ桜は、町内でも咲き始めるのが早く、坂を登って桜を眼下に、周辺を見渡す感じも清々しい。息を切らしながらさらに頂上へ向かうと、坂道沿いに立ち並ぶソメイヨシノも見ることができる。お城山を下ってすぐ近くの、歴史民俗資料館の桜が満開になると、河野広中(三春藩士・自由民権運動家)の銅像もどこかやわらかな雰囲気で、桜をバックにまるでダンスでもしているかのよう。
 福聚寺の境内では、しだれ桜とソメイヨシノの桜がお出迎え。墓地にカメラの三脚を構える方々がいても、その様子すらどこかのどかで、ご先祖様たちもワハハと笑って一緒に桜を愛でているような、なんとも寛大で平和な風景だ。白い塀に囲まれた法華寺の桜。里山の風景が眼下に広がる高台にある光岩寺の桜。
 法蔵寺の桜は境内で見るのももちろん素晴らしいけれど、in-kyoの裏手の桜川沿いに入り口がある、不動山散策路を登りきったあたりから見ると、お寺を囲むように咲く桜色の見事なグラデーションと、晴れた日には遠くに安達太良山を望むこともできる。
 昼間の様子とはまた違い、しっかり防寒をして見るライトアップをされた桜もいい。常楽院のしだれ桜は妖艶でゾクッとするほどだ。
 ソメイヨシノなら王子神社。ほぼ貸切で、童心に帰ってブランコに揺られながら、鳥の鳴き声も耳に心地良い。すーっと深呼吸をするとさくら餅のような春の香りに包まれる。田村大元神社の石段の上にアーチをつくる桜の花を透かして見る空の様子も美しい。
 八幡神社は四月に行われるお祭りの頃と重なると、夕刻に提灯が灯され、明かりに照らされた桜の色気と、ゆらゆら揺れる提灯の灯りが、まるでキツネの嫁入りのようでもある。

 三春に暮らし始めてからの、ここ数年の桜の記憶をかき集めただけでもこれでけあり、まだまだ目にしていない桜、気づかぬうちに目を喜ばせてくれている山の桜などもあるのだから、もう参りましたというしかない。
 どれもそれぞれに良さがある。甲乙などつければ野暮の骨頂、バチが当たりそう。それでもあえて「私のお気に入り」は?と聞かれれば、以前に住んでいた集合住宅から歩いて数分の場所にある「八十内かもん桜」を挙げたくなる。どことなく滝桜に枝ぶりが似ているが、こちらは推定樹齢が350年の孫桜。それでも存在感は十分だ。桜の足元には菜の花ではなく、野の草花。ふきのとうがピョコピョコと顔を出しているそんな様子も親しみやすく、その頃の私にとって一番身近なお気に入りの桜だった。
 かもん桜の真正面にはベンチがあり、朝早くに行けばたいていは貸切。集合住宅に住んでいた頃は、二人分の簡単な朝ごはんを作って漆のお弁当箱に詰めたものと、何か甘いもの。そしてコーヒーをポットに入れ、いそいそとかもん桜のベンチへとよく出かけていた。すぐ近くにはバイパスが通っているという場所なのに、それも遠くの喧騒。野鳥のピーチクパーチクといったさえずりの合間に、ウグイスのホーホケキョという鳴き声も混ざって、なにやら朝のごあいさつなのか、井戸端会議のようなものなのかが繰り広げられている。そこで朝ごはんを食べて、食後にはコーヒーと甘いもの。ハラハラと花びらが舞う散り際だって美しい。ずっとそこで過ごしていたいと思うほど、居心地の良いうららかな春のひととき。なんてことはないささやかなことだけれど、これが幸せでなくて何を幸せというのだろう。
 かもん桜を見に行くには、今の家からだと車で向かうしかなくなった。少し寂しくはあるけれど、今は今の身近な桜を愛でるとしよう。自宅の縁側からは、借景のしだれ桜が見える。それがこれから「私のお気に入り」となるのかもしれない。
 しだれ桜の枝先が次第に紅色に染まっていくと、木全体にまで色が帯びていくように感じられる。開花と聞くと、ソワソワを通り越して焦ってしまう。あちらの桜、こちらの桜とキョロキョロしながら自然と口角も上がってくる。町行く人もどこか足取りが軽く見えるのは気のせいかしら。
 梅・桃・桜の三つの春が出揃うと、三春に本格的な春がやって来る。