vol.4「引っ越し」　春分（3/20〜4/3）

東京から三春へ引越しをしたのは三月の半ば。

「♪花嫁は〜夜汽車に乗ってお嫁に行くの〜♪」

　引っ越し当日、昭和生まれの私の頭にはそんな懐かしい歌が流れていたが、実際は夜汽車ではなく夫が借りたレンタカーの2トントラックに荷物を詰め込み、午前中の明るい陽の光の中、車で片道約3時間半の三春へと向かった。
　そういえば2トントラックの助手席に乗るのはあのときが初めてだった。いつも乗る車よりも目線が高く、見える景色も少し違う気がした。車窓からの眺めがビュンビュンと過ぎ去っていくように、旅でもなんでもなく、この見慣れた風景から自分が離れていくという悲しさや寂しさといった実感が、目線の高さが変わったことで、どうにもわいてこなかった。道すがら、つらつらといろんなことを思い返していた。
　引っ越しに際しては、自宅もお店も友人たちにお世話になりっぱなしだった。それまでもたくさん迷惑もかけてきた。足を向けては寝られない顔がいくつも浮かぶ。そこまでして、慣れ親しんだ人たちがいる土地を離れることを決めたからには、自分たちの暮らしというものを本気で楽しまなければ。

「泣き言は言えない、言わない！」

　覚悟と言うほどの大そうなものではないけれど、大好きな人たちにしょぼくれた姿を見せてがっかりさせたり、心配させたくなかった。強くもないくせに自然とそんな気持ちがわいてきたのだ。何の根拠も自信もなく「大丈夫、大丈夫」と、なぜかのんきでいられたのは、離れても今でも心の支えになってくれている友人たちのお陰でしかない。

　三春へ引っ越しをしてしばらくは、晴れの日が続いていたかと思えば、粉雪が舞い始める日もあるなど、まだまだ暖房が手放せない肌寒い頃だった。右も左もわからない上に、ペーパードライバーで車の運転もしないものだから、まるで入学したての小学生が道を覚える練習でもするかのように、自宅の周辺やin-kyoの近所をひたすら散策していた。
　気になるお店でおまんじゅうを買ったり、神社の鳥居を見かけて急な階段を息を切らしながら登ってみたり。図書館で町についての書籍の閲覧や、お祭りなどの行事のポスターも見逃さないようにして。寄り道ばかりの散策は、地図にひとつひとつ印をつけていく作業のようでもあり、そうやってどこか旅行者に似た感覚を持ったまま、私たち夫婦の三春での暮らしは始まった。
　
　目にするもの、耳にする音、空気、自然のうつろい、言葉、出会う人。はじめて暮らす土地では、何もかもがはじめてで新鮮なことの連続。あの頃は全方位に神経を張り巡らせていたのかもしれない。その一方で私はただただ、飽きもせず広い空をぼんやりと見上げてばかりもいた。

「あぁ。今、この広い空の下で暮らしているんだな」と。

そう思ったのは、知っている人がほぼいない土地で暮らす寂しさが少なからずあったからだろうと思う。でもどちらかというと、自分が点ほどのちっぽけな存在なのだということを、あらためて確認することができ、不思議とどこか解放されたような、自由でいられる清々しさのような、そんな感覚を味わっていた。空の広さはどこにいても、誰にでも公平にあるはずなのに、ここへ来てやっとそのことを実感したのだ。
　
　三春という土地の名前は、梅・桃・桜の三つの春が同時に訪れることが由来だと聞いている。早い年だと3月末頃には梅が咲き始め、バトンを渡すかのように桃の花が色を添え、4月に入れば見事なまでの枝垂桜やソメイヨシノが蕾をほころばせる。ついこの間まで枯れ木のように見えていた山の木々が、いつの間にかふんわりとやわらかく、ほのかに頬を染めるような表情になっていく。「山笑う」とはまさにこんなことなのだろうという景色が目の前に広がるのだ。あちらの山も、こちらの山も。ふわふわ、ふわふわ桜色に包まれて。その美しさを見逃すまいと、躍起になって写真を撮ったりするものの、自分が実際に目にしているその景色には到底及ばず。桜が散り始めて寂しいなどと思っているのもつかの間、今度は山桜や八重桜が咲き始め、ヤマブキの黄色も加わり、賑やかになっていく。そうかと思えば日に日に濃くなっていく木々の緑に、鮮やかな色のツツジや控えめな姿がやさしいウワズミザクラの白い花、藤や桐の花の紫へと色は様々に変化して。その頃になると田んぼに水が入り、カエルのケロケロと軽やかな鳴き声が聞こえてきて、目も耳も嗅覚も、くっきりとした輪郭を捉えることができるのだ。
　自然の美しさ、殊に春の訪れにこんなにも自分が心動かされていることにハッとさせられる。それは移住をして数年経った今でも変わらず。毎年すっかりと忘れて、この先もずっとはじめて目にした時のように、新鮮な気持ちで春の訪れの景色に出会いたい。ここで暮らし始めた季節が、一年の始まりとなる春で良かったと思っている。

＊次回は清明のはじまり、4/4にUP予定