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vol.9「蛍」芒種 6/5〜6/20

 in-kyoの大きな窓からは、道路を挟んだ向かいにあるスーパーの「ヨークベニマル」の壁が見える。その壁には掲示板が設置されているのだけれど、ベニマルの広告チラシではなく、町のイベントごと、お祭りなどの行事のポスターがいつも貼られている。情報は知るのも知らせるのもネットが中心の社会になっている今だからこそ、ポスターでの情報はとても新鮮に感じる。  
 新しいポスターが貼られると、今度はなんだろう?と、ついつい気になって見てしまう。ほぼ毎日のように見ているものだからいつの間にか頭に刷り込まれ、参加しないにせよ町で行われる行事ごとはだいたい覚えるようになった。三春町のポスター文化は、なるほどよくできている。

 いつも気になっているのが「自然観察ステーション」の、月ごとに開催されるイベントスケジュールだ。6月には星を観る会、そしてホタルの観察会。

「そうか!三春ではホタルを見ることもできるのか!」

 移住をしたばかりの年は、自分が暮らしている町でホタルを見ることができるというそのことを知っただけで感動していた。観察会には残念ながら時間が間に合わず、参加することはできないけれど、観察会が行われる場所の近くまで行けば、ホタルを見ることができるということか。そう思うといてもたってもいられず、仕事帰りの夫と連れ立って「蛍の里」へと車で向かってみることにした。
 蛍を見ることができるとあって、途中の道は街灯もなく真っ暗。細い山道を進むと、見落としてしまいそうなさらに細い道の曲がり角にある「蛍の里」の看板が目に留まる。そしてその下に書かれてある文字をよく見てみると「平家落人の里」と書かれた看板もあるではないか。暗闇というのは想像力をたくましくさせる。暗い上にシトシトと小雨まで降り出してきた。

「この道で本当に合ってるのかな?雨も降り始めたし、今日はもうやめにして引き返そうか?」

先ほど目にした「平家落人の里」の文字が私たちの恐怖を煽る。引き返そうか、どうしようかと思っているうちに、パーンと道が開けて目の前には田んぼが広がった。「蛍の里」と看板まで出ていたものだから、何か施設のような建物があるものだと勝手に思い込んでいたがそうではなく、どなたかの私有地である田んぼを解放して下さっているようなのだ。そこには観察会のご一行の姿もなければ、辺りには民家の灯りも全くないまさに真っ暗闇。が、せっかく来たのだからと、車から降り傘をさして外に出た。私は鳥目なのでただでさえ暗闇に弱い。林と田んぼの境目がわからず、蛍どころではない。それでもずっと目を凝らしていると、次第に木々の葉や、稲が並んだ田んぼの様子が見えてきた。
 こんな雨降りで一体蛍を見ることはできるのだろうか。二人でそんなことを言い合っていると、闇の奥の方からふわ〜り、ふわ〜りと青白い小さな光がお出迎え。その光に目が慣れて来くると、あちらにもこちらにも、気づけば田んぼ一面に蛍の光が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返しているのを目で捉えることができるようになってきた。
 耳に響くのは降り始めた雨を喜ぶかのようにケロケロと鳴く蛙の鳴き声と、雨が傘を打つ音だけだ。私たち以外は誰もいない中、はじまり、はじまり〜とばかりに蛍のライヴの幕が明けた。
 月は出ていないのに空の方が明るく感じるほど、林の闇は濃く深く迫って来るようで恐怖さえ感じる。怖いときれいの狭間に佇んで蛍の光に見惚れているうちに、そのまま闇にのまれてしまいそう。闇の中の淡い光はそれくらい美しく幻想的なもので、去り際のきっかけをつかめずにいたが、雨足が強くなるのをしおにライヴも閉幕。私たちも家路へと急いだ。
 あれから「蛍の里」へはなんとなく蛍の時期のタイミングを毎年逃して行っていない。が、その近くにある「斎藤の湯 元湯 下の湯」の立ち寄り湯にはたまに訪れるようになった。目の前には川が流れていてのどかな景色。どことなくローカルな雰囲気は、同じ町内だというのに遠くへやってきたような旅気分を味わえる。ここでは頼めば湯上りにおつまみ付きで生ビールを飲むこともできる。温泉から上がって生ビールを飲みながら、ひんやりとした青白い光が漂う様を思い出してみると、あれは実は夢の中の出来事だったんじゃないだろうかという気さえしてくるのだった。