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vol.7「愛宕神社」立夏 5/5〜5/19

 「いち、に、さん、し…」
 愛宕神社の本堂へ続く急な石段。何度も上っているけれど、一体何段あるのだろうと数えてみることにした。鳥居をくぐり、はじめは足取りも軽く上がっていたけれど、75段あたりから一段一段がきつくなっていく。運動不足がたたっているのか体が重い。ゼーゼー言いながら、それでもどうにか数えながら登りきった石段は134段。
 数を数えるのに集中してしまうと、つい足元しか見ていないことに気づく。足元にもスミレやタンポポが咲いていることで和まされるが、途中足の運びを止めて見上げれば、新緑の季節にはまるで緑のトンネルのような景色に包まれる。暗闇ではないトンネルの先に見えるのは青空と光。「緑と光の階段」と私が密かに名付けたその景色に、毎年出逢うたびに心奪われている。
 本堂を目の前に「ふーっ」と深呼吸。乱れた呼吸を整えてまずは参拝。天気のいい日を選んで行っているからかもしれないけれど、ここはいつも静かで気持ちがいい。心が澄んでなだらかになっていく気がする。鳥の鳴き声や草木のざわめき。耳に届くのはそうした自然の音しか聞こえない。自分の気配を消すようにして、そこにただただ立っているだけで、景色の中に溶けていくような感覚が心地良い。
 境内にある大ケヤキには、人気がないことをいいことに、参拝でもするようにいつも両方の手のひらをあてて充電させて頂いている。誰かが見たらかなりあやしい姿かもしれないが、これは好きな木があったらぜひおすすめしたい方法だ。木のエネルギーを奪い取ってしまうのではなく、鳥や虫が木に止まってひと息つくように、ちょっとひと休みをさせてもらうような感覚で。触れているだけで、人もこの一部に過ぎないのだなぁと思わされる。
 
 愛宕神社は、in-kyoから歩いてほんの数分。中町と呼ばれる字町内の氏神様にあたり、火伏せの神として信仰されている。うねるような屋根の形が特徴的で、現在はトタンでできているが、昔は茅ぶきだったのだろうか。境内には大きなケヤキの木、そして本堂の裏手にはイヌシデの古木があり、どちらも町の天然記念物に指定されている。イヌシデの脇には駅方面、龍隠院へと続く散策道があり、季節ごとの草花を楽しむことができるようになっている。境内もそうだが、この散策道もいつもキレイだなぁと感心していたら、やはりどなたかが手を入れて下さっているのだとか。そんなところからも澄んだ気持ち良さが満ちている。
 
 中町にお店を構えたご縁で、夫が中町の太鼓保存会に入ったのは一昨年のこと。夫は太鼓など叩いたことはなかったけれど、有り難いことにお誘い頂いてあれよあれよと一員に。愛宕神社の石段の途中には「中町遊園地」と名付けられた小さな広場に遊具が備えられた場所がある。その一角にある小屋で、夏の盆踊りの前には太鼓の練習が行われる。ポツポツと明かりが灯る三春の町を見渡しながら、風が吹き抜けるその場所で練習する太鼓は思っている以上に気持ちがいいそうだ。そして練習を終えてから飲むお酒も。それはさぞかし美味しいことでしょう。私は足を踏み入れることはせず、話を聞きながら想像を膨らませるだけで満足することに。長く続く石段に点々と提灯が灯り、トント、トント、トント、トントと太鼓の音が聞こえてくると、こちらまで浮き足立ってくる。一年で一番愛宕神社が賑やかになる季節。その頃は夜風もぬるくなっているのだろう。

 気が向いて早起きをした日などには、保温ポットにコーヒーを入れて愛宕神社へ向かう。お参りを済ませ、境内にあるベンチでコーヒーを飲みながらひと息ついて「さて」と、いつもと少し違うリズムで仕事へ向かうと、一日の流れが違ってくる。何もしていないけれど、何かいいことでもしたかのような気にさえなる。これまでもin-kyoで展示をして頂いた作家の方々や、三春町へ遊びに来てくれた友人たちを、何度愛宕神社へ連れて行ったことだろう。そこで何をするでもなく、ただベンチに座ってコーヒーを飲みながらおしゃべりをしたり、ボーッとしたり。ただそれだけでも「楽しかった」と言ってもらえることが嬉しくて。せっかく来てくれたのだから、あちらへこちらへと連れて行きたい気持ちもあるのだけれど、つい足が向いてしまう場所なのだ。
 自分の日常の中で時別な理由がなくても「なんとなくいい」と思う感覚。それが好きな人たちに伝わるということが、こんなに幸せに思えるのだと気づかせてくれた場所が愛宕神社なのかもしれない。
 「緑と光の階段」の季節も大好きだけれど、秋の紅葉の頃はまたさらに。自然はこんなにも美しい色の重なりを見せてくれるのかと、ため息しか出てこない。そしてまたその景色を見せたい人たちの顔が頭に浮かぶのだ。

*次回は小満5/20にUP予定です。