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vol.12「蓮の花」大暑 7/22〜8/6


 数年前、in-kyoから歩いて数分の場所にある法蔵寺で行われていた「蓮まつり」へ出かけたことがある。朝6時から始まるというので、その日は張り切っていつもより早起きをしてお寺へと向かった。まだひんやりとした空気の中、ぽつりぽつりといったゆるやかな人出を想像していたら、私たちが到着した頃には境内はすでにたくさんの人。そして100種類以上もの様々な蓮の花が見頃を迎えていた。蓮は午前中に美しく花開き、午後にはその花を閉じてしまうことから朝早くに行われることにも納得した。本堂の裏山の斜面には涼しげな満開の紫陽花が色を添えている。特別なあしらいなどしなくても、すでにその風景自体におもてなしをされているようだった。
 入り口では蓮の葉にお酒を注ぎ、茎から飲む「象鼻盃(ぞうびはい)」が振る舞われていた。

「さすがに朝から飲めないなぁ」

などとうらめしそうに夫が近くで見ていると、水を使って体験させて頂いた。確かに蓮の葉から茎が伸びた様子は象のよう。まわりには小さな見物の輪ができて、みんなが朗らかに見守ってくれていた。
 午前のまだ早い時間でも、日差しは次第にチリチリと強く肌を照りつけるようになってくる。すると茎をくるりと結んで蓮の葉を帽子に見立てて頭に乗せた、妖精のようなおじさんの姿をちらほらと見かけるようになってきた。そうかと思えば、本堂中央ではやわらかな衣装をまとった地元のご婦人方の天女の舞が始まった。そもそも「蓮まつり」がどういうものかもよくわからずに行ったものだから、どれもこれもが現実のことなのか何なのかがだんだんわかなくなって、不思議と笑いがこみ上げてきた。見渡せばまわりにいる人たちもみんながニコニコと笑っている。
 舞の鑑賞が終わると促されるように本堂の中へと通され、茶道のお点前の心得などないというのに茶道の先生が立てたお茶が振る舞われ、その後は贅沢に朝ごはんまで。おそらく檀家のご婦人方が総出でこしらえてくださったのでしょう。細かく刻んだ蓮の若葉と蓮の実が入ったおむすびに、お漬物の数々はどれも年季の入ったたまらないおいしさで。
 同じものを味わって、隣にいる知らない人とも同じように「おいしいね」と言える幸せ。このときもそこにいる人たちみんながピカピカの笑顔だった。蓮の花が咲き誇る中、極楽浄土へ行くことができるのだとしたら、こんなところだったらいいなぁと思わせてくれる景色が目の前に広がっていた。法蔵寺では「蓮まつり」の日だけではなく、いつでも蓮の花を見ることができるように開かれた場所となっている。お腹も心もすっかり満たされて、その日は清々しい夏の1日が始まった。

 「あぁ。馴染みのあるこの感覚は一体なんだろう?」

 そう思い返して頭に浮かんだのは、子どもの頃のこと。千葉の実家の近所には神社があり、かくれんぼや缶蹴りをするなど恰好の遊び場所だった。兄の友達に混じってかくれんぼをした時は、私が鬼で「みんなが見つからない!」とベソをかきながら家に帰ると、すでに兄たちがもう家に戻っていたなんてこともあったっけ。
 カブトムシやクワガタがどの木で見つけることができるかも競争だったし、夏休みのラジオ体操もそこで行われていた。小学校の二学期の終業式の日と夏祭りの始まりの日がいつも重なっていて、駆け足で家に帰ったことまで覚えている。季節ごとの境内の風景も丸ごと隅々まで知り尽くしていた。
 東京にいた頃、お店があった場所は浅草寺のある浅草にも歩いて行ける蔵前で、当時住んでいた清澄白河もお寺や神社が多くある町だった。あえてそうした町を選んでいたわけでもないのだけれど、子どもの頃からずっとそんな環境にいることが長かったので、これまで自分では意識していなかったけれど、お寺や神社が身近にあることでいつの間にかホッとしていたのだった。
 三春町内にはお寺も神社もそれぞれ10箇所以上あるらしい。「らしい」などとあやふやだけれど、4年間暮らしていても町内の全ての神社仏閣を自分の足で訪れることができていないので、情報は情報として本当のところは確かめていない。ただ、町の大きさに対してその数を聞いてまず驚かされた。自宅やin-kyoからも歩いてすぐの場所にもいくつもお寺や神社があり、それぞれの気持ち良い空気に包まれている。
 手を合わせる相手はご先祖様なのか、神様なのか、はたまた太陽や海、山、川、農作物ということだってあるかもしれないけれど、それはひとまずおいておいて。何を願うというのでもなくただただ静かに、蓮の花が閉じた姿のように手を合わせていると、自然と心がなだらかになっていく。