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おやつの思い出 5月10日

 おやつ、おやつと作ったり、考えたりしていたら、頭の片隅では子供の頃のおやつの風景が浮かんでいた。
 実家は商売をやっていて、私が幼い頃には従業員の方が何人か勤めていた。3時頃になると祖母と母はお茶の準備をして、従業員の方がちゃぶ台を囲んでひと休み。幼い頃の私は人見知りだったくせに、お茶の時間にはちゃっかりとその輪に加わって、気に入ったおやつがあれば手を出していた。

 当時のおやつは、季節の果物という日もあれば、2軒隣りのお団子屋さんのお団子に、近所にあったおせんべい屋さんのお煎餅。祖母セレクトのお菓子はおこしや、五家宝、羊羹にカンロ飴、オブラートに包まれたカラフルなゼリーなど、子どもにとってはシブいセレクトで当時はなかなか手が伸びなかった。祖母は急な来客があると、帰りには必ずそれらのお菓子をいくつか半紙に包んで輪ゴムで留めたものを「お土産」として手渡していた。それもいつでも素早くできるように、引き出しには半紙を常備。左手にはいつも輪ゴムをはめていたのだった。
 子どもながらになんとなくそれが恥ずかしかった。幼い自分にとっては好きではないお菓子。それを誰かにあげても喜ばれるのかしら?と。祖母にとってのおもてなし。手ぶらでお客様を帰すことができなかったのだろう。
今だったらその気持ちもわかるし、ともすれば同じようなことをしているかもしれない。

 母は私たち兄妹が幼い頃は、私が体が弱かったこともあったからか、食べものに厳しく、スナック菓子やジュースなどがおやつになることはほぼなかった。駄菓子屋やお祭りの露店のものなども。「ダメ」と言われれば言われるほど子どもは憧れるもの。お祭りの露店には必ず並ぶ、きらきらの透明な水飴を纏った真っ赤なすもも。あれを初めて口にしたのはいつだったろう?あんなに憧れていたのに、いざ食べてみるとそれほどでもなく「へぇ」くらいに思った記憶がある。
 母の手作りおやつは、当時普及し始めた電子レンジを使ったカップケーキやシフォンケーキもどき?のようなお菓子。時間がない中で作るお菓子は決して手の込んだものではなかったし、たまのことだったけれど特別なおやつだった。出来上がるまでに台所を満たす甘い匂い。ふわぁ~んとケーキが膨らむ様子を見るのも好きだった。そのままお菓子作りに興味を持てば良いものを、どうも食べる側へと行ってしまったのだが。
50の手習い。といってもあくまでもおうちのおやつ。これからでも遅くはないか。

りんごをカラメルで煮詰めているときにふと思い出したいくつかのこと。

5月10日(金)晴れ 最高気温23℃最低気温11℃
2~3日続いた雨が植物たちにとっては恵みの雨となったようで、ますます緑が勢いを増している。クロアゲハや普通のアゲハチョウがもう飛んでいる。今年はそんなことも書き留めるくらい、ちょっとは時間ができたということか。