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vol.14「きゅうり」処暑 8/23〜9/6


 夏の盛りの間は、毎年せっせと夏野菜ばかりを食べている。きゅうりやナス、トマトにピーマン、ズッキーニ。紫蘇やバジルも次々と芽を出して。自宅の庭の片隅で始めた「一坪畑」と呼んでいる初心者の小さな畑には、お世話らしいお世話もしていないというのに、太陽と土と水の恩恵で、野菜たちが芽を出し、花を咲かせピカピカの見事な実をつけた。一坪畑といっても夫婦二人で食べるには十分な量。自分たちで育てたという贔屓目と、採れたての新鮮さも加わって、飽きることなどなく美味しく心とお腹を満たしてくれた。が、それに加えていただき物の野菜もどっさり。家の前やin-kyoの入口前に袋に入った野菜が置いてあるのもよくあること。夏にかさこ地蔵?と想像してみると実に愉快。夏は特に買い物をしなくても、こうしてご近所さんとの間で同じ顔ぶれをした季節の野菜や果物が、有り難いことにぐるぐると行き交うのだ。

「たくさんもらっちゃったから食べるの手伝って」

 手伝ってと言われたら、「はい!」と喜んで返事と手が出てしまうのが人の常。お隣さんはいつもそうやって、こちらに負担がかからないような一言を添えて下さる。私もそんな言葉がスルリと出るように年を重ねたい。
 いただく野菜の量は少しずつでも集まると、ちょっとやそっとの量じゃない。いつかの年には、キュウリが20本、ミニトマトは何キロだったか。呆気に取られてしまうくらいの野菜がやってきた。地道に毎日食べても到底食べきれる量ではない。でもせっかくいただいたのだから無駄にだってしたくはない。
 夏の厳しい暑さをくぐり抜けたミニトマト。季節の終わり頃には甘さをぎゅっと蓄えて味わいが濃くなると、農家さんに教えてもらったことがある。ならば保存食にするべくトマトソースにしたり、ドライトマトにしたものをオイル漬けにして瓶詰めにしたり。さてきゅうりはどうしたものかと思っていると、「自家製きゅうりのキューちゃん」の佃煮レシピを農家さんに教えて頂いた。そのレシピを見てみると、キュウリ3kg約20本が基準になっているではないか。おまけに出来上がったものは小分けにして冷凍もできるし、何よりごはんのお供にもってこい。なんだか大船に乗った気分で、キュウリが何本来ようがもう慌てることもなくなった。おかげでお鍋もザルも漬物用の容器も、これまでの小さなものでは賄えなくなってきて、大きなものを少しずつ揃え始めている。
 
 キュウリといえば、三春の八雲神社は通称「きゅうり天王」と呼ばれ、毎年夏には八雲神社祭礼が行われる。「きゅうり天王」と呼ばれるようになったのは、その昔三春領内に疫病が流行した際に、お告げによって生水ではなくキュウリを食べてしのいだことで疫病が鎮まったことが謂れのようだ。お祭りの際は、持参した2本のキュウリをお供えし、帰りには別のキュウリを1本戴いてくる。その持ち帰ったキュウリを食べると、1年間は病気にかからないと伝えられている。「きゅうり天王」の名前も気になるし、悪魔払いの荒獅子(長獅子)の奉納もあるのでお参りに行きたいと思いながらも毎年日にちが合わず、未だ2本のキュウリをお供えできずにいる。
 
 夏には夏の野菜ができてそれを食す。それで疫病から免れたことを知ると、まさに天から与えられた恵み。冷房などもなかった時代には、体も自然に沿っていたから、夏野菜や果物を食べることで火照りを冷まし、涼も取っていたのでしょう。作物も同じものが出回る時期が続くのが本来の旬。その季節の恵みを無駄がないように、あれこれ工夫しながら美味しく調理するのが生活の知恵でもあり、暮らしの面白さだと感じている。現代ではキュウリやトマトのように一年中手に入る食材だってある。野菜や果物の旬を知らない子どもたちがいてもおかしくはない。昔だったら「あぁ。あの果物や野菜の季節ももうおしまい。また来年のお楽しみ」と食材でも季節を感じていたに違いない。昔と同じようにとはいかなくても、せめてそのことを忘れないようにしておきたいと思う。

 どんなに猛暑日が続いても立秋の頃になると、何かのお知らせのようにスーッと涼しい風が吹く日がある。夏の終わりはいつもさみしい。暑い暑いと言っていても、気持ちのどこかではまだまだ終わらないでと思っている。まるで夏休みの最終日を迎えた小学生のように、何かやり残したことがあるような気がするからだろうか。厳しい残暑が続く日々の合間、立ち止まるようにひとつ深呼吸。季節の句読点とも言える変化を暦に気づかせてもらっている。
 三春では暦と実際の自然の移ろいとが、ピタリと歩調を合わせることが多いような気がしている。昔は当たり前だったかもしれないそのことを、気候変動もはげしい昨今、豊かなことだと素直に喜びたいと思っている。