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vol.17「三春大神宮祭礼」寒露   10/8〜10/22


 気づけば私はお祭りが行われる町と縁がある。東京でお店を構えていた蔵前もそのひとつ。代表的な浅草三社祭に鳥越祭。小さな神社は他にもいくつもあって、5月のはじめから毎週末のようにどこかでお祭りが行われていた。
 三春町も春から秋までの間にお祭りが各地区で行われる。その中でも三春大神宮は町の鎮守の神様。秋に行われる例大祭は、締めくくりともなる町で一番大きなお祭りで、長獅子や各地区の山車、お神輿が町中をねり歩く。お祭りの風習など、わからないことはその都度ご近所さんにお聞きしているが、奉納の仕方もそのひとつ。お神輿や長獅子がin-kyoの前を通るタイミングをいつかいつかとソワソワしながら待ち、日本酒やお賽銭を奉納をする。そして「中町」の町名が入った木札や麻のような素材でできた長獅子の毛をお守りとして頂戴するのだが、その特別なやり取りに参加できたことで内心嬉々としているのだ。長獅子に、垂れた頭の空(くう)をカーンと勢いよく噛んでもらえば、邪気など一気に吹き飛んで晴れがましい気持ちになる。
 
 今でこそお祭りと聞くと、どこか心落ち着かずソワソワしたり、ワクワクしたり、血が騒ぐというほどではないにせよ、自分はお祭りが好きなのだと堂々と言えるようになったが、子どもの頃はそうではなかった。いや、好きではあった。あったのだけれど、それを言葉と態度で表すことがどうにも恥ずかしく、苦手だったのだ。
 千葉の実家の近くには弁天様がある。正式な名称は厳島神社だが、地元の人たちは皆、祀られている弁天様に親しみを込めてそう呼んでいる。そういえば弁天様のお祭りは、毎年小学校の夏休みの始まりと重なっていた。終業式が終わった帰り道、お囃子の練習の音が聞こえてくると、嬉しさで駆け出して家に帰りたくなったものだ。実家は自営業ということもあり、お祭りの時はいつもは閉め切っている倉庫を貸し出して、そこがお祭りの詰所に様変わり。お神輿や山車の休憩所になっていた。小学校に上がる前の幼い頃の私は、あいさつをすることすら苦手なほど人見知りで、知らない大人たちのほとんどの人が自分のことを知っているのが怖かった。とてもじゃないけれど、そんな中で無邪気にはしゃいでお祭りに参加したり、お神輿を見物したりすることができなかったのだ。それでも笛の音や太鼓のリズム、お神輿を担ぐかけ声や日常とは違うハレの賑わい、そのなんとも言えないドキドキする感覚を、母の後ろに隠れながら体中で味わっていた。本当は踊り出したいくらい、そのひとときを密かに楽しんでいたのだ。母の後ろに隠れなくてもお神輿を見物できるようになったのはいつ頃からだろう?恥ずかしさよりも、食いしん坊が勝ってお祭りの屋台に行くようになってからか。
 
 三春大神宮の例大祭の日。in-kyoにある大きな窓ガラス越しにお祭りの行列を見物していると、何かの映像でも見ているような気になってしまう。少し違うのは、その向こうで見知った笑顔がこちらに手を振ってくれること。その顔ぶれが年々少しずつ増えていることも嬉しい。山車を引く子どもたちの「わっしょい!わっしょい!」のかけ声もかわいらしく、その一方で太鼓保存会の子どもたちはキリッと凛々しい顔立ちで、真剣に太鼓を叩いている。その姿を見ていると、親戚のおばさんにでもなったかのように、勝手にじーんと熱いものがこみ上げてくる。
 いつの年だったか、in-kyoでライブを企画した日とこの例大祭が重なってしまったことがあった。私のスケジュールミスで気づくのが遅く、ライブ日程を変更するわけにもいかず、どうしたものかと頭を悩ませていた時に相談したのがMさんだった。嫌な顔ひとつせず、「大丈夫、大丈夫」と言って下さったMさん。in-kyoの前を通る時だけ、おもしろおかしくお神輿のかけ声を抑えめにするポーズまでして下さって。店内では静かなギターの音楽とダンス。中と外に不思議と調和が生まれ、みんなの顔をほころばせるやさしさで繋がっていた。私は町の方にもライブのお二人にも申し訳が立たず、始終ヒヤヒヤ。なんとか無事にと願ったライブが終盤を迎えたちょうどそのとき、お神輿も通り過ぎて静かになった窓の向こうに、シャボン玉がひとつふたつ、ふわりふわりと舞っているのが見えた。「あれ?」と思っていると、ギターの音に合わせるかのように今度はたくさんのシャボン玉が空に向かって飛んでいくのが見えた。まるで映画のラストシーンのよう。お隣りのお孫さんたちが遊んでいたシャボン玉。それは映画のスクリーンでエンドロールが流れるようなタイミングだった。
 お祭りのクライマックスは、三春大神宮前の旧街道で各地区それぞれ独特のお神輿、子供神輿、山車や花車がズラリと勢揃いする場面。移住をしたばかりの年に、ご近所さんにお声をかけて頂いて、中町の山車の綱を引かせてもらった高揚感は忘れられない。たまたまお店を町中に始めただけなのに、この新参者をお祭りの列に加えて下さったのだ。
「昔はもっと大変な賑わいだったのよ。」
そんなお話も伺う。昔に比べて人口も減少して子どもたちが少なくなってるのは私の実家のあたりも一緒だ。でもこの町のお祭りは、ここで生きて暮らす人たちのためのものとして守られ、この先の次世代へと大切に受け継がれていくであろう賑わいがまだちゃんと残っている。三春大神宮のお祭りに合わせて帰省する人もいるという。そんな親しみのあるあたたかな空気が漂っているお祭りだ。
 お神輿や山車だけでなく、太鼓や笛も競い合うように力強いお囃子が続く。長獅子は荒ぶる舞を見せながら宮入へと向かう。沿道からはかけ声や歓声、拍手が届く。もう幼い頃のように物陰に隠れることなどなく、私もその音と人の渦の中へととけ込んでいく。