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vol.15「図書館」白露9/7〜9/21


 図書館で借りた本を返しに行ったある日のこと。小学校の帰りにそのまま寄ったのだろうか、入り口にランドセルがいくつも放り投げられていたことがあった。それは「置く場所がないから置きました」というおとなしい感じではなく、まるで「ただいま〜!」の声と共に家の玄関にポーンと放り投げたような感じだったのだ。先生や親御さんだったら叱るのかもしれないけれど、私はその元気な様子を見て、なんだか嬉しくなって笑ってしまった。
 学校の帰りに図書館へ行く。あの様子からすると、子どもたちにとっては、きっとあまりにも日常的なことだったのでしょう。それは、道路を挟んで図書館の向かいに小学校があるというのも理由のひとつだろうし、放課後親御さんのお迎えを待つために、公園とか遊び場が近くにはなくても、安心できる場所ということもあるのかもしれない。友達と宿題をやったり、好きな本を読んだり。ひょっとしたら本は読んでいないかもしれないけれど、読む読まないに関わらず、本に囲まれた環境の中で、子どもの頃から親しんでいることが微笑ましく思えたのだ。
 私はといえば、本が大好きだったと胸を張って言えるような子どもではなかった。小学生の低学年の頃までは体が弱く、何かといえばよく熱を出して、保育園も幼稚園も小学校もしょっちゅう休んでばかりいた。熱がなかなか下がらないときに、家でできることといえば、絵を書くか本を読むことくらいしかなかったのだ。本当は外で友達と遊びまわりたかったし、夏には海やプールに出かけて、兄のように真っ黒に日焼けだってしたかった。兄が友達と遊んでいる様子を、恨めしくパジャマ姿で二階の窓から眺めていた。  幼い頃、家にある本は片っ端から読んではいたものの、「本が友達」などと、心から言えるほど本に親しんではいなかったし、心底夢中になった本はあったかどうか覚えていない。でも本の匂いや紙の手触り、好きな文字や表紙。そうしたものはいつの間にか記憶に刻まれているように思う。今思えば物語だけではないものを、本からたくさん与えてもらっていた。

 図書館には、独特の匂いというものがある。日向に似たどこか懐かしい匂いがする。本棚と本棚の間に挟まれて、新刊がたくさん並ぶ本屋さんともまた違う、本の匂いに包まれたときのあのワクワクする感覚。図書館へは目的があって本を探しに行くこともあるけれど、それとは別に「あっ」と、そのときの気分で目が合う本があったりする。それは好きな著者の、まだ読んだことのなかった本というときもあれば、全く読んだことのない著者やジャンルということもある。まるで本に声をかけられて振り向くように。そうしてたまたま手に取ったことで出会えた本のおかげで、世界が広がることがあるのが面白い。現在では絶版になっている単行本の手触りに再会できるのも嬉しい。読んでいても文庫本とはまた違う印象で読み直すこともできる。志村ふくみさんの「語りかける花」の単行本や、石垣りんさんの詩集、樹木や野草の図鑑ともここで出会った。三春町の図書館は決して大きくはないけれど、本との小さな出会いがちゃんとある。それにいつも感心してしまうのが、通りに面したウィンドー。そこには、毎月テーマに合わせてセレクトされた数冊の本がディスプレイされるのだ。それもただ並べられているだけでなく、たとえば9月だったら「お月見」をテーマに、手作りの切り絵の満月やススキ、お団子がウィンドーに飾られ、月にまつわる絵本から小説、随筆に図鑑など、あらゆるジャンルの本が選ばれている。全く気にしていなかったことだとしても、暦を見るような気持ちで興味がわく。どんな顔ぶれの本が並ぶのかと毎月ささやかな楽しみになっている。小学校の帰りに寄っている子どもたちの中にも、私と同じようにあの窓ガラス越しの景色を、楽しみにしている子がいるのではないだろうか。子どもの頃の私などよりも、ずっとずっと本に親しんで「本の虫」になっている子がきっといることでしょう。
 
 図書館の向かいにある三春小学校には、「明徳門」と呼ばれている旧三春藩の藩士子弟の教育を目的とされていた藩講所「明徳堂」の門が校門として設けられている。毎日登校している生徒たちにとっては、それが当たり前で、不思議にも思っていないかもしれないけれど、初めて威厳のあるその門を目にしたときには私は少し怯んだ。怯んだというよりも、怖かった。何かうしろめたいことがあったらくぐれないだろうという気がしてしまう。それほど歴史の重みを感じる門なのだ。ここへ通う子どもたちは、そんなことなどつゆ知らず、毎日のように門をくぐり、何気なく登下校を繰り返している。そして帰り道には図書館へ寄り、ランドセルはどこへやら。時を重ねた本の匂いに包まれている。今はそのことも何てことはない日常のひとこま。
 現在、三春町の役場庁舎の新築工事に伴い、図書館も新築されることになっている。でもいつかきっと、匂いが記憶を呼び覚ますスイッチとなるように、旧図書館で友達と過ごしたひとときのこと、他の小学校にはおそらくどこにもない校門のことを思い出すときがやってくることでしょう。そのとき思い出される匂いや手触り、色、風景は一体どんなものなのだろう?やさしくて、あたたかで、懐かしくて、嬉しくて。やっぱり日向のようであって欲しい。