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ニューヨークへ行きたかった。

子供の頃、どんなに著名なピアニストより憧れを持ってなりたいと思っていたもの、それはクイズ王でした。

当時、アメリカ横断ウルトラクイズという、アメリカを旅しながらクイズでサバイバルしていく番組があり、そのスケールの大きさに感動した僕は、いつか自分もこの番組の挑戦者としてテレビの中で勝ち進んでいく存在に・・と思っていたのです。

ちょうど熱心に見ていた頃は、色んな大学のクイズ研究会の方が大活躍されていて、特に立命館大学は何年も続けて優勝者を輩出する強豪でしたから、僕の目標も、「立命館大学のクイズ研究会に入って、ウルトラクイズで優勝する!」というものでした。

そのことはピアノの先生にも話していたのですが、この話題を出す度に困惑の表情。そりゃそうだ、音楽の道に進まないとしても、勉強を頑張って地元の学校に入りたい!ならまだしも、遠く関西の大学(入るのは難しいですが)にクイズのために行きたいと言われても、ねぇ笑。

でも、本当に好きだったんです、ウルトラクイズ。
応援している挑戦者が負けてしまうとはわかっていても、もしかしたら今見ている録画では逆転するかもしれないというある意味キテレツな想像をしながら、ビデオを何度も見返しました。

学校の行事も全てクイズ関連。多分先生方は「またこれか」なんて思っていたのではないだろうか。子供の頃は物事のバランスなんて考えなかったから、生徒会の権限をフルに濫用し、僕のやりたいことに全校生徒を付き合わせる。正に公私混同、職権濫用していたなぁ笑。

テレビの中のシチュエーションをどうしても体験してみたくて、問題を家の裏にばら蒔いて取ってくるような形式で「バラマキクイズ」を模したり、自転車の後ろに早押しボタン(当時ボードゲームについていた)をくくりつけて、「マラソンクイズ」をしたり、きっと近所の方々から見たらおかしな子たちと思われるだろうことをたくさんやっていました。

そんな日々を過ごし、高校に進学。僕の学校にはクイズ研究会があって、よし、入ろう!と思ったのだけど、同じクラスには僕と同じようにクイズを志す男がいました。
上には上がいるもので、彼は自分で問題を作ったり僕より遥かに色んなことを知っていたりで、ああ、これは敵わないと。そして、中学の頃から、高校生になったら一緒にクイズ選手権に出ようと約束していた友人が部活に打ち込んでしまい、結局は出場が叶わなかったこと。そんなことが重なって、僕のクイズ王への道は断たれてしまったのでした。

それでも、学生時代に得た知識は意外と大人になってからも役に立つもので、たまには「色んなことしってるね」と言われることもあり、まんざらでもないなと思っています。
今テレビなどで流行っているクイズ番組とはテイストが違うけれど、自分の学を向上させる意味も含め、また色々雑学のネタを増やしてみようかな、なんて思っています。罰ゲームも怖くないぞ!

では、また明日!

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