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中森明菜さんの歌について思ったこと

今日は車で3時間ほどの距離の施設に入所している兄の所に日用品などを届けたため、日中のほとんどの時間を車内で過ごしました。
なかなか運転は疲れたけれど、色んなCDを聞き、懐かしみながら移動しました。

その中に中森明菜さんのアルバムがあり(20年近く前に購入したもの)、久しぶりに歌声を聴きましたが、やはり今も古さを感じさせない音楽の煌めきを感じずにはいられませんでした。

ただ、彼女の歌って女性にとってはとてもキーが低いですよね。現役で活躍されていた時には張りのある高音も出ていたので、もう少し高いキーで歌わせてあげられなかったのかな、と疑問に思いました。

1つには、その曲の魅力を引き出すためにあえて低いキーの調にしたということが考えられます。明菜さんの囁くような低音はとても魅力的だし、言葉をしっかり発音される方なので、歌に緊張感が生まれることも理由にあげられると思います。

でも、僕の頭には、そんなありきたりなことじゃない1つの仮説(妄想?)が浮かびました。

どんなに歌が上手な人でも、加齢により高い声が出づらくなることは避けられない運命にあるのですが、もしかしたら、当時のプロデューサー?(明菜さんの録音等の責任を持っていた方)が、10年、20年先明菜さんの声が変わっていくことを見据えて決めたんじゃないかと思ったのです。歌い手として年を重ね、成熟したときに丁度良い高さになるよう、わざと若い頃には苦労するようなキーにしたんじゃないかと(それでも明菜さんはどの曲も見事に歌われていますが)。

それって、類まれな才能に溢れた明菜さんのことを一時的な商品として消耗させるのでなく、一人の歌手、アーティストとして長く、そして時を経るにしたがってさらに充実していけるように考えた、クリエイターの愛情なのではないかな。
そんな風に考えたら、難破船も、飾りじゃないのよ涙はも、ミ・アモーレも、その他のたくさんの名曲達も、なんだか違った聞こえ方がするような気がしました。

後半は全て僕の勝手な考えなんだけど、あながち非現実とは言い切れないと思うし、第一そう考えるととてもロマンがあるように感じませんか?
それにしても、明菜さんが今元気に芸能活動を続けられていたら、どんな歌を歌われていたのか?事情などおありなのかもしれませんが、可能であればぜひ聴いてみたいと思います。

では、また明日!

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