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殆ど意志を所有しないと云ってもいい位、気持に執する人である。はっきり云えばむら気なのだ。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第三十回)

 美術史家の勝本清一郎は、明治三十二年に日本橋南茅場町で生まれ、大正十四年から昭和二年まで「三田文学」の編集にたずさわり、万太郎と水上を身近に観察できる場所にいた。

 勝本は『座談会大正文学史』(昭和四十年 岩波書店)のなかで、酒席での万太郎と水上を比較し、(万太郎は)「長い間の印象として僕は、躁鬱病気質の人と感じていました。水上さんの方は、これくらい酒ののみっぷりの立派な西洋式の人はなかった。」と語る。

 しかし、座談の終わり近くに勝本は、水上について語り、「人間としては実に立派な人でしたよね。だけどこういっちゃ悪いけれども、人間として立派な人が必ずしもいい文学作品を書かない。

 それからいい文学作品を書いている作家に人間としては顰蹙せざるをえない人が多いということね。精神病理学者に言わせれば、人格と作品は逆比例するんですよ」と、評価を逆転させている。

「殆ど意志を所有しないと云ってもいい位、気持に執する人である。はっきり云えばむら気なのだ。」と瀧太郎はいう。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。