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【劇評183】深まる秋。菊之助、踊り二題に遊ぶ。

 御園座で行われていた『錦秋御園座歌舞伎』の千穐楽、十八日に日帰りで行ってきた。台風などさまざま理由が重なり、ついに見逃すのかと残念に思っていた。
 このプログラムの構成について、考えるところががあり、すでにこのNOTEにも、『京鹿子娘道成寺』ではなく、なぜ『鐘ヶ岬』なのか。『春興鏡獅子』ではなく、なぜ『連獅子』なのかを書いた。実際の舞台を観て、その実質を確かめなければと思い、なんとか見ることが出来て嬉しく思う。

 この日は十二時からのAプロである。

 まずは、菊之助の『鐘ヵ岬』。『京鹿子娘道成寺』の詞章を使ってはいるが、長唄ではなく、地唄なので、全体にしんみりとした空気に包まれる。

 もちろん、引き抜きなどで衣裳が替わるわけではない。『京鹿子娘道成寺』が、江戸の女性のさまなまなありようを見せる。
 一方、『鐘ヵ岬』は、普遍的な情勢の沈潜する哀しみに焦点があう。菊之助は冒頭からあてこまず内省的に踊り抜く。
 「言わず語らず」のつつましさ。「乱れし髪の」で我が心のうちをすみずみまで読む。「なかは丸山ただ丸かれと」の件りでは、静かな冬の座敷で、ひとり立方の芸妓が踊っている情景がまざまざと浮かんでくる。菊之助は、金屏風を背に、華やかな舞扇を哀惜をもって使い、語る力を与えている。

 注目の「恋の手習い」だが、『道成寺』のように嫉妬や色気を見せていくのではなく、地唄の歌をひたすら聞き込んで情がある。「思い染めたが縁じゃえ」て、緞帳が下りる。

 二十分の凝縮された時間だが、大劇場での座敷舞という難しいジャンルも、情景の描写力と情の深さがあれば、成立しうるのだと菊之助の進境を見た。三絃と唄が、富山清琴。この演目を支えるのに、文句があるはずもなく、味わい深い。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。