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「目標実現」「スキルアップ」「自分で稼ぐ」にとらわれすぎていいないか

スーツをきて、ぴっしりとした格好で、やたらとスキルアップや成長を追い求めるコミュニティ、たまに見ることがある。大学生の学生団体とかありがちだろう。

自分で稼ぐ力、人生を豊かにする成長の仕方、夢や目標を実現させる方法など、人間の正の部分を全面に押し出し、常に前へ進み続けるコミュニティ。と誤解してるのも承知だが、一つでも確かにあるようなと思ってもらえれば、それで良い。それを想定して見てほしいです笑。

大学生のときに勧誘されたり、爆速な成長線を描きたくて在籍してたという方もいるかもしれないが、個人的に相容れない集団だと感じている。そして今そこにマルチ的なやり方で、人を巻き込もうとしてるケースもある。それも許せないが、今回は右肩上がりに自分を肥大化させていく、そんな世間の雰囲気につらつらと書いてみたい。

まず、なぜスキルアップや目標を実現することに急いでいるのか。ここから引っかかる。もちろん、若いときから、いろんなことを経験して、「できること」を増やすことは大切なことだし、僕もそれには同意する。

ただ手持ちの武器を増やすことに精一杯で、外の自分はどんどん大きくなるが、内側の自分が置き去りになってないかと疑問に感じている。長期的な目標や夢を実現させる手段はいくらでもあるだろう、でも人間は生き物だ。この目標良いなと思っても、明日になれば変わってるかもしれない。やる気がない日もあれば、一心不乱に集中できるときもある。すなわち人は代謝をしている。それはいつも内側の自分で起きている。(最近、noteに代謝を書きすぎてる笑)
代謝はときに苦しみを伴い、ときに喜びや何かのやりがい感じ、光が見えたとおもったら、また暗くなる。この代謝の過程とじっくりと向き合わなければ、心を置いて体だけが進んでいる感覚に陥ると思う。それはいくらスキルアップして成長しようが、そこに自分がいないのだ。

成長主義の環境では、立ち止まることや悩むことは悪とされる。よく自分はやりたいことがなくて、ここと出会ってやりたいことが見つかりました、とか聞くことがある。これからは自分で稼ぐ力をつけて、スキルを上げないと生きていけないとか。

あぁ、人間らしくない。やりたいことがないのなら、それで良いのだ。立ち止まって、ゆっくり自分と向き合って、ぼんやりとした輪郭で出てきたらまた出発したらいい。
稼ぐ力か。見かけだけの武装じゃ、自分の人生は豊かにならない。自分の力で稼げて成長したと思っても、周りに流されてるだけかもしれない。内側の自分に問いかけ、代謝をしている自分と対峙する体力と時間を取ったほうがいい気がする。

そしてもうひとつ。
目標、やりたいこと、できること、稼ぐ力と色々キーワードが並んでややこしくなり申し訳ない。じゃあ、上記のワードとどう向き合っていくのか。
すごく集約すると、社会と自分の接点を探していくことだと考えている。その接点を探すために、社会を知るべく、現場に赴き、他者の話を聞き、代謝を繰り返していく。ここに微かな接点が見えてくる、これが上のワードに繋がってくるのだ、と思う。

ということは、僕たちはもっと社会を知らなければいけない。新聞すら読まない僕が言うのも何だが、生の社会の情報を得て、現場を足を運ばないといけない。想像で恐縮だが、冒頭で述べたコミュニティでは、ほとんど社会を知ること避けている気がする。ビジネス的な情報は追い上げるが、その裏で起きている不条理や格差、差別、戦争など目を向けない人が多いのではないか。だから引っかかる。ここの接点を探そうとしないのだ。

僕の肌感覚だが、成長や目標実現にとらわれすぎている若者は多い。自分や社会を置き去りにした何かの実現は、何も価値が残らない。やった気になるだけになる。

そしてこれは自分の戒めでもある。ついつい外の装備を充実させようと頭が働くときがある。社会と自分の接点なんて、見つけるのは容易いことでもない。だからまずは、自分と対話する、社会の現場に出る、人と話す、代謝させる、成長ではなく成熟に向けた歩み方をしてみたいものである。



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