はせべ

滋賀県に22年間住み、学校もオール滋賀。 滋賀大学教育学部出身。現在、社会人。一言で説…

はせべ

滋賀県に22年間住み、学校もオール滋賀。 滋賀大学教育学部出身。現在、社会人。一言で説明できません。

最近の記事

住むことについて

突然だが、住む場所について考えてみたい。 最近、大都市ではなく、ローカルで暮らすことを選択する人が増えている。 地方への移住をテーマにした番組や雑誌は多いし、新卒で地元企業を選ぶことが、選択肢として当たり前になってきた。 一方で、住む場所を固定せず、会社の都合で転勤を繰り返す生き方もある。この場合は、ほぼ自分で住む土地を選択することはできない。 ただ、決まって、転勤熟練者は、「色んな場所に住むことで、自分を成長させてくれた」と口を揃えて仰るのである。 住む場所は、も

    • シン・日韓関係

      韓国も、過度な高齢化か〜 そうや、こんなときこそ、同じ課題にぶち当たる両国やからこそ、日本と韓国はお互いに知恵を出し合わなあかんと思う。そして一緒に手を組んで、新しい価値を作れるパートナーになれるはずなのである。 もう、安全保障とか、ビジネス的な話とか、その分野でしか連携できないような関係性ではない。 シン・日韓関係が、かならず来るぜよ。 その時まで、粛々と韓国語の力を上げておこう。いつか韓国語で意見を交わしたい。 それにしても、世界でまた残虐的な衝突が始まっている。

      • 夢を語る大人は必要か

        夢を語る大人が求める声がある。 大人が語れば、子供も自ずと夢を持つだろうと。でも、その夢が、最近胡散臭いものにみえる。大体、胡散臭さを感じるときは、夢を持つことが目的として語られる。 でも、それが目的になれば、夢は個人の願望にとどまる。なんというか、個人の範囲内で、目標を達成していく感覚になる。 夢とは、もっと社会と密接してて、他者を巻き込み、共感しあい、険しい山を登っていく、その山の頂上のことを指すと思う。 だから、必ず届ける相手がいるし、複雑な社会を紐解かないといけない

        • 逃げることの美学

          今年の年始に久しぶりに、高校の友人と卓球をした。その時にふと気づいた。 高校の時、卓球の練習をあまり真面目に練習をしていなかった。むしろ大学受験に向けて勉強の方が大事やろって、不貞腐れていた。何回も辞める詐欺をしていたと思う。グチグチ不満を言うてた。最後は持ち直して頑張れたけど。 それが今では社会人になり、卓球教室に通い始め、練習が楽しいというか、もっとしたいと思う。まさにやる気の不一致である。このやる気が、あのときにこのくらいのやる気があればと。こういうことが多々ある。

        住むことについて

          教育学部は井の中の蛙か?

          少し刺激的なタイトルをつけてしまった。 まず、誤解を生まないように前置きをしておきたい。 まず、書き手の僕はとある地方国立大学の教育学部の出身である。ただ卒業後、教員はしていない。だから勝手なことを言ってたら、そーっと見下しておいてください笑。 そして、話の前提として、教員という仕事こそ、社会にどっぷり浸かる仕事だと個人的に思う。よく教員は世間を知らないとか言う人もいるが、絶対そんなことはない。様々な背景を抱えた子どもたちが、一気に教室に集まっている。教育のみならず、福祉

          教育学部は井の中の蛙か?

          「目標実現」「スキルアップ」「自分で稼ぐ」にとらわれすぎていいないか

          スーツをきて、ぴっしりとした格好で、やたらとスキルアップや成長を追い求めるコミュニティ、たまに見ることがある。大学生の学生団体とかありがちだろう。 自分で稼ぐ力、人生を豊かにする成長の仕方、夢や目標を実現させる方法など、人間の正の部分を全面に押し出し、常に前へ進み続けるコミュニティ。と誤解してるのも承知だが、一つでも確かにあるようなと思ってもらえれば、それで良い。それを想定して見てほしいです笑。 大学生のときに勧誘されたり、爆速な成長線を描きたくて在籍してたという方もいる

          「目標実現」「スキルアップ」「自分で稼ぐ」にとらわれすぎていいないか

          なぜ教育が好きなのか

          自分の関心のあることや軸となるもの、これを少しずつ深掘りしてみる。 なぜするのか。生きるを問うことに繋がる気がするからである。なぜ生きているのか、何に人生を費やしたいか、自分という生き物は何か。そんなことをザクザクほって、社会と自分の接点を探っていく。 今回は「教育」について。学部は教育学部だか、いま教育関係には携わっていない。けど好きな分野である。人生を通して向き合っていきたい分野でもある。 そはなぜか、氷山の一角かもしれないが、少しザクザクと。 1.機会の創造昔か

          なぜ教育が好きなのか

          情熱と越境と心強さと

          情熱を持って、自分の時間を捧げられるもの。もしくは、時間が忘れてしまうくらい、没頭できるもの。 去年、鬼滅の刃の煉獄さんが、いっていた。  「心を燃やせ。」 世間的では、こういうアツく、芯がある人物像が推されるらしい。 どうだろう。そういうものが、ある方が珍しいのか、それとも何かしらの努力が足りないのか。 僕は昔から没頭したという経験が少ない。 というか終わりをすぐに考えてしまう人間だ。小さい時にゲームをしていても、終わる時間は守れたし、飯の時間を忘れるくらい、ハマったこ

          情熱と越境と心強さと

          豊かさの更新に向けて〜序章〜

          将来、副業とか投資をしないと、これからの不安定な時代で生きていけない。結構、耳にしてきた。漠然とした将来の不安から、固定給以外のお金の得方を。 そらそうだ。日本はずっと不景気って言われてるし、給料も三十年前からほとんど変わってない。アジアのナンバーワンの面影もなくなってきた。年金はもらえないと言われるし、家族ができたら子供の習い事や学費、色々必要になるだろう。 今の若い世代は、右肩上がりの社会を生きた経験がない。ずっと暗い情報が飛び交ってきた。だから固定給以外に、金銭的な

          豊かさの更新に向けて〜序章〜

          平和教育を考える

          小学校と中学校で平和教育を受けてきたつもりだ。広島にも長崎にもいった。 だけど、世界唯一の被爆国であることやアジアへの加害者であることに対して、深く認識できていないのは確かである。毎年夏になれば、少し後ろめたさを感じてしまう、そんな自分にも嫌気がさす。 今回は自分への戒めも込めて、風化させないために、二度と同じ過ちを繰り返さず、戦争というものが世界で起きないために、平和教育に取り込みたいふたつの要素を書いてみた。 ①過去と向き合う体力をつける 個人レベルでも、思い出し

          平和教育を考える

          安倍さんの事件を経て思うこと3つ

          連日の報道を見れば、誰もが色々思うことがあるかもしれないが、私からまず端的に3つ。まずはね。 1、歪んだ関係性に頼らないために 周りに困ったときに助けてくれる人がいれば、気軽に飲みに行ける人がいれば、誤ったときに向き合ってくれる人がいれば、歪んだコミュニティに大金を支払い、身を置く必要はなかったのでは、と個人的に感じている。 日本では、社会の線路から外れると、一気に孤立化に陥ってしまう節がある。孤立すれば、それを餌に近寄ってくる者がいて、その人の人生を骨の髄まで吸い尽く

          安倍さんの事件を経て思うこと3つ

          「やりたいこと」の呪縛

          どうやら日本では夢や目標、やりたいことへの執着心が強いらしい。 学校では将来の夢を書かされ、大学受験や就職活動の時はやりたいことは何か周りから聞かれる。 やりたいことを見つけないと人生の選択肢を取れない。そんな呪縛があって、周りと比べて劣等感を感じたり、無理に見つけようと必死になる。 やりたいこと。なぜこんなにもつきまとうのか。 僕は人生でやりたいことは一生見つからないのかなと思っている。一生見つからない中で、一時的にやりたいことが見つかって、また期間が経つと、そうで

          「やりたいこと」の呪縛

          私的な集まり

          人が一定数いる集まりを見ると、カルト宗教だの、怪しい集団だの、騙されてるだの、そんな疑いの目を向ける人が多い気がする。 それはある意味正しい。  人が集まって、なんかごそごそしてたら、怪しむのは当然のことだろう。 これが例えば自治体や国、学校の公認であれば、疑いの念は抱かない場合が多い。 逆に私的な集まりというのは、変な視線で見られる。そもそも日本人は、過去の日本赤軍やサリン事件が脳裏に焼き付いてるせいか、人の集まりに対する抵抗感が強いのではと感じる。 だから僕も大学

          私的な集まり

          公教育の英語教育にひと綴り

          友人と小学校の英語教育の話になりまして。そして将来子供が生まれたら、どう子育てをしたいかという話になりまして笑。 やっぱり日本人は、英語というものにアレルギー反応があると思うんです。自分ができなかったから、せめて子供には。 英語は早めに始めたら良い。そんな話から小学校の英語教育の話になって、そこから酒を飲みながら激論になったのですが笑。 ちょっと公教育の話が出たので、元教育学部英語専攻らしく?、悶々としてた思いをざっと綴ります。 -−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

          公教育の英語教育にひと綴り

          目を肥やす訓練

          社会人になって、初めてのnoteの投稿。 社会人と大学生の差異を新鮮に感じれる今だからこそ、今回はこんなことを書いてみたいと思います。 「大学生のときに、しておいて良かったこと」 4年間、人によってはそれ以上。時間的にゆとりがある大学生生活。なんでもできそうで、終わってみると未練が残るのが、あるあるかもしれない。バイトや部活に費やしたり、海外旅行に行ったり、企業にインターンをして実践力をつけたり、大学生だった当時、選択肢が山のように溢れてた気がします。そんな中で、社会人

          目を肥やす訓練

          教育学部の僕ですが

          自己紹介で「教育学部です」というと、 「先生になるんですか?」と決まって質問されます。 そしていつも自分が教員という選択肢を取らなかったと答えています。 そう、教育学部の長谷部ですが、今年から教員になる道から離れて、違う道に進むことを決めました。 元々はというと、教員の仕事に憧れて、教育学部に進学することを決めました。 小学校5年生の頃、当時の担任に仲が良くて、こんな人になりたい!と思い、漠然と教員を目指すようになりました。 それから月日が経って、当時の夢が叶い、

          教育学部の僕ですが