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夢を語る大人は必要か

夢を語る大人が求める声がある。
大人が語れば、子供も自ずと夢を持つだろうと。でも、その夢が、最近胡散臭いものにみえる。大体、胡散臭さを感じるときは、夢を持つことが目的として語られる。
でも、それが目的になれば、夢は個人の願望にとどまる。なんというか、個人の範囲内で、目標を達成していく感覚になる。

夢とは、もっと社会と密接してて、他者を巻き込み、共感しあい、険しい山を登っていく、その山の頂上のことを指すと思う。
だから、必ず届ける相手がいるし、複雑な社会を紐解かないといけないし、モノや人のリアルな関係性がある。

個人の願望を語られても、なぜか心に響かない。夢を語る大人が増えても、空虚な語りはがり増えてしまっては、淋しい社会になる。

と、テキトーなことを言うてるが、今書いてる自分は、夢はまだない。夢を考えるだけで、頭が痛い。そなんものだろうとおもう。





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