夢 その4

腕時計がぴっと小さな電子音を立てて、昨日が終わったことを告げた。日課の時間だった。

 私は空き缶がたくさん入ったレジ袋を両手に持って、長い長い坂道の中程に立っていた。住宅街の中を真っ直ぐ突っ切って伸びる片側2車線の道路には、紺色のヨットパーカーを着た私以外のものは見当たらなかった。断末魔のように沈鬱な街灯の白い光が街路樹の間から伸びて、雨上がりのアスファルトの上の静寂をキラキラと照らしていた。息を吸うたびに夜の湿り気が肺を侵してきた。私が立つ歩道も車道に沿って延々と続いており、右手側にある道路とは白いガードレールで仕切られていた。一メートルほどの幅をとって反対側には黒々とした用水路が口を開けていた。水は彼のアイデンティティを証明する程度にしか流れていなかった。冬はとっくの昔に終わりを告げていたが、生暖かさの中に差し込むような風が執念深くその名残を伝えてきた。

 レジ袋の中の空き缶は雑多でとりとめがなかった。500mlのサッポロ黒ラベルやカルピスソーダ、350mlのコカコーラやファンタグレープに加えて、けばけばしい見た目のエナジードリンクなど、外装も缶の大きさもさまざまだった。あまりにも袋に隙間なく詰められているせいで、袋をいくら振っても音がしなかった。私は小さい頃に読んだ絵本の『てぶくろ』を思い出した。

 私は両手の袋をガードレールに立てかけるようにしてそっと置いた。そしてその中から一本の缶(ドクターペッパーの250ml缶だった)を無造作に取り出して、無限に続くかのように思われる下り坂に向かって向き直った。毎度のことながら、物事の初めというのは変な緊張が付き纏うもので、その日も頬を撫でる風をいやに冷たく感じた。しかしこれは決めてしまったことだから。どうしようもなくやりたいことだから。私はそう自分に言い聞かせて、右腕を大きく振りかぶり、全身の力を込めて空き缶を下り坂の先へと放り投げた。力の込め具合に反して、図体の割に軽い空き缶はそこまで長く飛ばなかった。緩やかな放物線を描いた空き缶は、しかしそれでもそこそこの速度はついていたようで、夜の湿度に反した乾いた大きな音を立てて着地した。何度か弾んでその度に派手な音を立てながらも、空き缶は勢いよく真っ直ぐに坂道を転がっていった。カラコロと転がる音に耳を傾けつつ、缶の姿が見えなくなったあたりで、私は二つ目の缶を袋から取り出して、二投目の準備に入った。

 この日課で重要とされているのは、空き缶を遠くに速く投げることというよりも、空き缶をより遠くまで転がす技術だった。そのためには、力をかけすぎるのではなく、むしろいかに力を抜くかということの方が大事だった。缶の重心や飛び方によって着地した後の空き缶の弾み方は大きく異なってくる上に、弾みすぎれば缶はあらぬ方向へと吸い込まれてしまう。余計な力が入っていると、かえって遠くまで転がすことができないのだ。また力を抜きすぎるというのもそれはそれで問題だった。投げる力が弱過ぎれば、路面との摩擦で缶の運動は簡単に妨げられ、すぐに止まってしまう。

 一投目は少し力が入りすぎていた。勢いこそ良かったものの、転がる角度が少し右に偏りすぎていた。あのままではすぐにガードレールやら何やらにぶつかって止まってしまうだろう。もっと無心に、もっと正確に投げなければならない。缶を握る手に力を込めれば、手汗が手に取ったキリンレモンの缶を湿らせる。別に強制されていることでもないはずなのに、ここまで慎重になってしまうのはなぜなんだろう。失敗したって誰かに咎められるわけでもない(そもそも失敗という概念があるのかどうかもわからない)上、成功したからといって快哉が上がるというわけでもない。それでも私はこれをやめるわけにはいかなかった。そこには何か義務めいた切迫感と本能的な欲求があった。毎晩毎晩夕飯を食べ終えたあたりでそれらは潮騒のように私の心に響いて、夜の不健康な街灯の下へと私をいざなうのだった。坂の中腹まできたあたりで、私は砂浜に立っているような気分になる。あの用水路の水音が、浜に立つ私の足元からそろそろと砂を持ち去っていく。濃い藍の海は目線のあたりで空と溶け合っていて、平衡感覚を失わせしめる夜だけがそこにはある。両手にはもちろん空き缶の詰まった袋。由来すらわからないこの行為について、私は空き缶たちを夜に送っているのだと考えていた。夜だけが、カラフルで個性的で、全くの無用になった彼らを無明のうちに封印してしまう。彼らのために行うこの日課はある種の弔いであり儀式だった。空き缶の行方を探ったことはなかった。延々と続く坂を下っていく彼らは途中で見えなくなってしまうことがほとんどで、もちろん途中で止まったものを除けばどんなふうになっているなど確認することもなかった。いつか月光が夜の底を照らし出してしまうまで、彼らの眠りは続く。あまりに深い眠りを邪魔する権利が誰にあるだろうか?

 袋いっぱいに詰まった空き缶を全て投げ終えてしまうまで、そこまで時間はかからなかった。44投目、最後の空き缶(UCCのブラックコーヒーだった)が高い音を立てて弾んだのを見てから、私はほうと一つ大きなため息をついてその場にしゃがみ込んだ。投げ終えた後の体は一雨来たかのように汗でじっとりと濡れていた。全身の筋肉ががちがちに凝って悲鳴をあげていて、特に右腕は鉛のように重かった。最後のコーヒー缶はどうやらうまく投げられたようで、用水路の水音に負けないぐらい小さなカラカラと転がる音が私の体に流れ続けていた。腕時計を横目で見れば、時刻は丑三つ時を回ったぐらいだった。

 私は立ち上がって、ダラダラと続く坂をゆっくりと登り始めた。家は200mほど登った場所にある。日が登るまでにはかなり時間があるので急ぐ必要はなかったが、体が熱いシャワーと休息を性急に欲していた。朝が現実を世界にもたらす前に、幻術を体から引き剥がしておく必要があった。斜度に負けそうになり、視線が自然と下に向く。どうやら疲れは予想よりも大きく背中にのしかかっているみたいだった。明かりの消えた交差点に差し掛かり横断歩道を渡りはじめた。

 物音がした。

 横断歩道のちょうど真ん中で足を止める。音は交差点の中心付近、鈍色のマンホールがある辺りから聞こえてきた。見ると、そこには大きな黒い犬がいた。おすわりの姿勢を取ったまま私の方を向いている。毛並みは出来立てのアスファルトのように黒く、私を捉え続けている目は爛々と輝いていた。犬種は多分ラブラドール・レトリバーだ。吠えることもなく、彼(彼女かもしれない)はじっと座り続けていた。雲間からちょうど差し込んできた月光が彼の上に信号機型の影を作った。いったいいつの間にそこに現れたのか、下を向いて歩いていた私には全くわからなかった。けれどその存在感は、彼が紛れもなく現実にここに現れているという確信を私にもたらした。

 時間にして十数秒が経った頃だろうか。犬が口を開けた。ためらうような沈黙を口から吐き出した。そして何もしなかった。雄々しくこちらを脅すように吠えることも、今昔物語を暗唱し出すことも(突然出てきたのだからそれぐらいのことはしかねない)無く、ただマンホールの上に居続けるだけだった。しかし彼は何かを私に伝えたがっているように見えた。メッセージは高い揮発性を持ち、空気を頼って彼の口から直接私の心臓へ伝えられようとしていた。

 そこには何もなかった。何もないことだけが、その奇妙な気体から囁かれたメッセージの全てだった。感じているのに内容がないという点で、この体験は非常に奇妙なものとなっていた。わからない問題へなんとか答えようとするように、私は無に意味を読み取ろうと躍起になった。輝く瞳は同時に信じられないほどに昏く、全てを内包してしまうような深みを湛えていた。目を離せないまま、数分が過ぎていた。

 急に坂の下の方からカラと乾いた音がした。缶が転がる音そのものだった。驚いてぱっと犬から目を離し、音源の方を確認した。しかし何も見えない。坂を目だけで探っている間に、音は勢力を増していく。枯れた水源が雪解けを受けて蘇るように。というより、水のひいた川に鉄砲水が流れ込むように。いつの間にかその音は私の周り全域を取り囲んで、静寂と置き換わる形で私を苛んでいた。

 私は頭を抱えた。犬は変わらず私を見ていた。横断歩道の白線が目の前一杯に広がった。


 目が覚めた。

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