青く澱むは

 瞼の裏に焼きついた青さのためか、私はエスカレーターからもう少しで転がり落ちるところだった。仙石線仙台駅は地下深くにあり、地上の煉瓦造りの駅舎までは長い長いエスカレーターを何度か乗り継いで初めて辿り着く。三月の指先を掴むような寒さは少し劣化が見られるその一段一段に染み付いていて、少し詰めた制服のスカートからゆっくりと体を蝕む。その冷気を振り払うように、私は昇降機の始点、コンコース連絡通路の出口まで足早に歩いた。
 俗に別れの季節とも言われる3月は私の高校にも色々な形で別れと涙と湿気と気怠さをもたらしていた。特に今日は卒業式で、晴れやかな衣装に身を包んだ三年の先輩たちはそれ自体が何かの達成であるとでも言いたがな表情で学校にさよならを告げていた。私たち2年生にとっては今日は春休みを先取りするように午前中で帰宅できるボーナスデイで、もちろん先輩方へ送る言葉を涙に包みながら、一方では帰りに寄っていくサイゼリヤやマクドナルドやスタバのメニューと、その上で花開く時間のことをいつも以上に考える日でもある。体育館を去る先輩方に造花のアーチを差し掛けて文字通りの花道を作った後は、何食わぬ顔で別れを忘れてフラペチーノの甘さを思い出す。いずれ自分たちが同じように惜しまれ泣かれて去っていくことに見ないふりを決め込みながら。灰色の三月でさえ、溢れる変わり映えしない日常の色彩を押し流してしまうことはできそうにない。
 十四時十二分の連絡通路では、いつもの通学時間にあまり見かけない老人たちが目についた。下りの東北本線へ続く階段の前では似たような鳥打ち帽を被ったお爺さんたちが地図を片手になにやら思案している。仙台空港アクセス線に向かうエスカレーターへはしゃぎながら歩いているのは、老人ばかりの団体ツアーの姿だ。通路中途に設えられたエレベーターが、程度はあれど一様に腰の曲がった年配の旅客を吐き出しては去っていく。生きてきた時間が空間に沁み出て空気を変質させているかのように、誰もがゆっくりと動いている。朝の殺気だった雑踏とも、夕方の疲れ切った人並みとも違う。まるで時間そのものが滞留しているかのような、見慣れない駅の風景を私は見ている。だけどその遅さにはどこか見覚えがある。改札を出るあたりで私はさっきまで見ていた卒業式の光景と似ていることに思い当たった。あるいは焼きついたS先輩の青い記憶のためにそう思われるのかもしれない。
 S先輩とは同じ図書委員会に一年入っていただけの関係性で、しかも同じ図書室当番になったのも4回か5回と言ったところだった。細いつるの眼鏡に、今どき珍しいほどかっちり校則を守った制服の着こなしは、むしろS先輩をありふれた女子学生の枠から少し疎外させていた。とはいえ決して目立つ存在というわけではなく、図書室のカウンターの中でいつも静かにゾラやらフォークナーやらの小説を読んでいた。私の名前と顔が一致しているかどうかも怪しく、そう仲良く話したような記憶もない。言い換えれば、彼女は私についても彼女自身についてもなに一つ言葉を発さないのだった。私はS先輩が持っているありふれていない沈黙が気に入っていた。図書館に入り浸る、というような性向ではなかったけれど、木製のドアをがらがらと開ければ、変わらず沈んだ色のS先輩がページを手繰っているというような、なんとなくの期待を常に抱いていた。その彼女が今日、アーチに据えられた造花の下であんなにも青く染まって見えたのはどういうことなのだろう。
 他の先輩方が絢爛な和服やドレスに身を包む中で、S先輩はあくまでいつも通りの地味さから外れないスーツ姿だった。そのためにパッとしない一挙手一投足が、私には誰よりも青く異彩を放っているように見えたのだった。例えば卒業生点呼の時に返事をして立ち上がるそのアルトの声。卒業証書授与に際して席を離れる足取りの明瞭さ。アーチをくぐって歩く髪が発したあの匂い。それら全てが例えようもなく青いのだ。私は素直に綺麗だと思った。可能性を秘めてきらきらと輝く青さが、見たことも聞いたこともない先輩との間に生じるS先輩の笑顔が、それがどうして今見ている駅の、ある意味では淀んだ流れにつながるのだろう。
 改札を出ても、依然としてお年寄りがマジョリティの風景は変わらなかった。フロアに横たわる物産展には松前漬けやいぶりがっこや日本酒「鳥海山」などが陳列され、私のような制服姿が入り込む余地はない。その中でも白兼の笹かまぼこコーナーが一番人気で、ご婦人たちがああでもないこうでもないと言い合いながら、のらりくらりと店員のセールストークを躱している。自宅のある桜ヶ丘方面行きのバスは、八十番まであるバス停のうち十七番から発着する。やや距離がある西口バスターミナルまでは、それでも歩いて五分程度だ。ペデストリアンデッキまでに並んだ土産物と、それを取り巻く老人たち。連絡通路からここまで見てきた年代物の人々と、私との距離はどれだけあっただろうか。
 私にとって駅とはただの通過点だった。朝には足早に通り過ぎて、ホーム階で列車の座席に座る権利を得るべく急ぐための。あるいは夕方にとぼとぼと歩いて、自宅方向へ走るバスへと乗り継ぐための。しかし、老人たちは彼らが内包してきた時間を滲出させながら、同時に駅そのものをゆったりとした保留の中に置いている。
 私にとって学校とは奇妙な特異点だった。学生たちは(かくいう私だって)何かのモードに熱中し、世界と自分たちの不変と永遠を半ば信奉している。校舎も日常も、どこかでは終わりのない春の中にあると思っている。しかし、S先輩はどうしようもない青さをいっぱいに撒き散らしながら、私の目の前から去っていった。そうだ、きっとそうだ。この交錯が、老人たちと鮮烈な青さとを引きつけているんだ。
 青く薫る風が駅前の花壇越しに私を撫でていく。直接打ちつけるような冷たさは、春というよりもむしろ冬のものだ。バスターミナルへの分岐通路に向かう私を冷たさが突然に激しく打ち据え、私は幾何学模様のタイルの上に立ち尽くしてしまった。風は頼りないローファーを決定的に床面と結びつけて離さない。出どころのわからない当惑が唐突に私を鷲掴みにする。急に止まった私を、老若男女が音もなく追い越していく。カシミアのコートに身を包んだ白髪の夫婦、お揃いのチェックのマフラーでもこもこのカップル、陰気な背広に身を包んだ壮年の男性、ユニクロの紙袋を数個抱えながら男の子の手を引く女性、S先輩。登山用の軽快な服装で統一された老人たち——S先輩?
 卒業式で見たままのスーツ姿がそこにはあった。小気味良いパンプスの音を響かせながら、急がず、しかし颯爽と彼女は立ち去っていく。背中は老人たちに紛れてどんどん遠くなっていく。思わず伸ばした手は空を切り、喉は音にならない声を出すだけだ。卒業式で見たあの眩しさが、停滞した時間によって遮られて、しまいには同化していく。まるで開きかけた扉が目と鼻の先でぴしゃりと再び締め切られたかのように。
 先輩は白昼夢のように私の目の前から去っていった。私の目に拭い去ることのできない青をべっとりと押し付けて。でも私はこれから家に帰る一通りのバスに乗らなければならないのだ。


本作品は松浦寿輝「アノマロカリス」に強い影響を受けています。直接の主題引用などはありませんが、ご承知おきのほどよろしくお願いします。

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