三角州

 小学生の頃、僕は一つのカレーしか知らなかった。
 レストランなどで食べるカレーや温めて食べるカレーはカレーであって非なるものであり、母親が作ってくれるカレーだけが真実僕の「カレー」だった。野菜の切り方、使う肉やルーの種類、煮詰め具合に至るまで、そのディティールは僕の中で明確に存在していた。その作り方と味は僕の中で一つ確立した基準を作っていて、今でもカレーライスと名のつくものを食べるたび、僕の世界が二分されていた頃の名残のように、やや水っぽい母のカレーが勝手に思い起こされる。
 記憶の中で、母は大きな圧力鍋をゆっくりとかき混ぜている。キッチンへ嗅ぎに行くまでもなく家中に充満した香りに耐えかねて母の隣に行けば、ぽこぽこと泡を立てているカレーを味見できることを、食い意地の張っていた僕はしっかりと覚えていた。小皿に掬ってもらったカレーは、口にするとサラサラと流れて僕の中を温める。何も知らない小学生に味の良し悪しなんてわかるはずもないのだけれど、それでも僕は何度も味見をせがんだ。小さな一口だったけれど、友達との軽い諍いや先生からのお小言も、辛さと旨さに包まれてすんなりと胃のなかに消えていくような気がしていた。口の端にカレーの黄色をつけながらおかわりをせがむ僕を、母は笑ってたしなめていた。
 
 その頃は父親の帰りが夜遅くになることが多かったので、母は小学生の僕とまだ縄跳びもできない小さな弟を、自分も働きながら、平日はほとんど一人で育てていた。しかし、思いがけない残業で帰りが遅くなりそうなとき、あるいはそれまでの仕事にすっかり疲れ果ててしまったとき、母は自分の父母、つまり僕の祖父母を頼っていた。学校帰りの僕は祖父が運転する車で、保育園に通っていた弟は母の車でそれぞれ連れられて、祖母が夕食作りに腕を振るっているマンションまで送り届けられるのだった。
 多くの孫がそうであるように、僕は彼らに溺愛されていた、と思う。遊びに行った日の夕食は必ずと言っていいほど僕が好きなカレーかハンバーグで、以前僕が少し苦手だと話したオムライスは一度出て以来二度と振る舞われることがなかった。祖母のカレーは母が作るそれよりも濃厚で、口にするととろとろとして、飲み込んでも長い間舌の上に残り続けた。けれどそれはしつこさを感じさせるようなものではなく、次の白米、そしてルーの一口をそっと導いてくれるような慎ましさを持った味だった。母のカレーとは違うが、しかしそれは間違いなく僕の側のカレーだった。
 優しい祖母の穏やかな料理も好きだったが、僕をそこまで連れて行く祖父の車もまた、気に入っているものの一つだった。祖父の車は古いクラウンで、真っ白な祖父の髪がまだ黒かった時代に買ったものだった。くたびれたクッションの上には祖母手製の赤い座布団が敷かれていて、後部座席のポケットにはいつ行ったかもわからない長崎市の観光パンフレットが挟まっていた。少し埃っぽい車内の空気には車と共に祖父母が重ねた時間が浸透していて、子供心に柔らかな重みを感じずにはいられなかった。
 
 ある秋の金曜日、母が電話で祖父母に助けを求めた。なんでも入試の準備に向けた会議———彼女は大学の事務職員だった———が長引き夕食に間に合わないので、そちらの家で子供たちを預かってほしいということだった。学校から帰ると件のクラウンが家の庭に停まっていて、その脇に祖父の影が長く伸びていた。西日がちょうど一番強い時間帯で、祖父の白髪が雲のように琥珀色に染まっていた。彼は夕日の眩しさに目をそばめつつ、だんだんと紺に変わりつつある家々の外壁やアスファルトを静かに眺めていた。彼の160cmにも満たない身長の立ち姿は、しかし不思議な威容を持って僕の目に映った。琥珀の髪とは対照的な深く重い色をした背中に僕はなぜか声をかけられず、次第に冷えていく晩秋の空気の中で祖父と同じように立ち尽くしていた。そこには何か形容し難い予感めいたものがあった。唐突な、だけど心のどこかではわかっていたことのような。
 ふと後ろを振り返るとそこには場違いに大きな月があった。出たばかりのそれは絹のような紺色を歪ませる、淡く黄色い光を放っていた。ついさっき感じた予感は、月の重力が三次元空間をずしりと歪ませるように、じわりじわりと私の夜に染み込んできた。
 どこからともなく吹いてきた風にくしゃみをすると、そこで初めて彼は僕の存在に気付いたようだった。おう、帰ったか、と少ししゃがれた声をかけられて初めて、あたりがすっかり夜の色に染まっていることに気づいた。無言でうなづき返すと、彼は破顔して僕を車へと促した。
 
 あいつも、首長くして待っとるぞ。夕飯はカレーだそうだ。お前を3キロは太らせようとしてるぐらいの買い物量だったから、楽しみにしてっといいぞ。まあ、とりあえず行こうか。な。
 
 節くれだった手が僕の頭を乱暴に、しかし暖かく撫でた。僕はランドセルを抱えたまま後部座席に乗り込んで、車が動き出すのを待った。
 
 運転席に座った祖父は、珍しくカーステレオを操作していた。
 
 なんの曲を聞くの?
 
 いつもは運転に集中できないと言って音楽をかけない彼がCDを挿入するのを見て、好奇心を抑えられなくなった僕は訊ねた。
 
 うーん、実はわからんのだな。お前の母さんから、適当なクラシックを聞かせてほしいって言われててな。なんでも情操教育にいいっちゅうことだが、いきなり聞かせてもわからんと思うんだがなあ。とにかく、家にあったディスクを適当に持ってきたんだ。まあ、家に着くまでの辛抱だと思って、付き合っとくれ。
 
 暗がりの中で、彼が置いたCDケースの文字を読み取る。Piano、Monique Haas、Le Tombeau de Couperin。読めないアルファベットが並んでいる。CDを読み取る静かなモーター音。曲が始まる瞬間、世界が沈黙する。
 車の中に雨が降り始めた。
 水たまりに波紋が散るように、白鍵と黒鍵が踊る。耳朶を打つ雨垂れの勢いは強弱こそ変化すれど決して止まることはなく、不思議なリズムを作り出していく。なぜ僕は雨を聞いているのだろう。僕はピアノを知っている。88の白黒からなる鍵盤楽器。ぽんと叩けば音が鳴る、ただそれだけの楽器。でも、今聴いている音にそんな簡単さはない。何年もかけてやっと育った小さな雨粒が、自分自身の重さに耐えかねて天から落ちてくるような、あっけなく、でもとても大事な音がする。やがてくぼみに集まった雨滴は一つの小川となって、の心の中をゆっくりと流れ出した。するする、するするとあくまでも軽快なリズムを保ったまま、岩に当たって白波をあげ、朝日に飛沫を光らせては、曲がって、曲がって、進んでいく。そして、光り輝く頂点。静寂。
 曲が終わり、ピアニストが鍵盤から手を離した。余韻の中で、僕は再び血の音を聞いた。
 一曲目が終わって初めて、僕は僕自身に気づいた。彼はゆっくりと息をしていた。さっきまでの小川はかき消えて、ただやけにはっきりとした、流れる風景とエンジン音だけが僕の世界を支配していた。抱えたランドセルは僕の熱を受けてじんわりと温まっていたが、ひんやりとした金具がランドセルらしさを主張していた。車の外でもいつの間にか雨が降り出していた。オレンジ色の街灯が窓を流れる雨粒によそよそしい色彩を与えていた。流れる街並みも、滲んだ信号の赤と青も、全ては僕から離れた場所で見えているもののような気がしていた。
 このよそよそしさはなんだろう。僕は自問した。さっきまで一緒になって遊んでいた友達が、急に冷ややかな目線を向けてきたような、あからさまな別離の感覚。

 突然、夕方に見た祖父の後ろ姿がフラッシュバックした。沈む夕日、夜色に変わる街。そしてその中に佇む祖父の琥珀色の髪と紺色の背中。やがて訪れる月………。そこで初めて僕は、人がいずれ死ぬことを本当の意味で理解した。僕にとって死はもはやあるかもしれない未来ではなく、いずれ必ずやってくる終わりへと変化した。優しい祖父母も、温かい母も、柔らかい弟も、皆いずれはあの静かで冷たい、真白な世界の先へと行ってしまう。瞬間的に得た予感は胸が張り裂けそうなほど悲しいもので、しかし不思議と泣いたりはしなかった。むしろ、先程から感じていた乖離した感覚が、落としどころを得たかのようにすんなりと和らいでいくのを感じた。死はすぐそばに存在している。そこにも、ここにも。僕はここにいて、そして世界とは隔絶した僕もここにいる。うまく名状できないひやりとした感覚は、夜空に浮かぶ月のようにすっぽりと僕の中を満たしていた。
 ステレオからはいつの間にか二曲目が流れ出していた。しかし先はまともに聞いていなかった。唐突に自分に訪れた変化を飲み込むのが精一杯だった。自分の尻の下にある座布団の細かな糸のよれや綿のへたり具合が急に気になりだした。歯の並びをこっそり舌で確認して、ぐらぐらして据わりの悪い奥歯を元の位置に押し戻そうとした。
 車が静かに停まって、車内のライトがパッとついた。カーナビがETCに関する何事かを呟いて、僕に車外に出ることを促すような沈黙を吐き出した。
 僕は祖父と一緒に車から出て、母と祖母、弟の待つマンションの一室へと歩き出した。彼女らが待っているであろう一室は、その位置を知っているはずなのに、橙の光を放つ他の部屋に紛れるように行方をくらましているように感じられた。雨はまだ降り続いていた。雨傘から垂れる粒が、時折肩に落ちてひんやりと体を濡らした。
 祖父に手を引かれて街灯が照らす夜道を歩きながら、僕はさっき感じたひんやりした理解について考えていた。僕らはいつか死ぬ。このアスファルトの硬さも、しわまみれの左手から伝わってくる微かな温もりさえも失ってしまう。全ては暗がりに押し込められるか、あるいは何か別のところに行ってしまうか。どちらにせよ、無いことだけが有る未来への道は、僕たち全員の前に確然と示めされている。そのことが、なんでこんなにも僕を満たすのだろう?失うこと、別れることはどうしようもなく悲しいのに、そしてどうしようもなく恐ろしいのに、僕はなぜ、そのことによって充足を感じているのだろう?
 問いは歩調と同じように尽きず、呼吸と同じように続けられた。
 
 四階の角にある部屋のドアを開けると、鼻と食欲をくすぐる香辛料のいい匂いがすぐに漂ってきた。
 
 おかえりなさい。おそかったねえ。雨が降ってたみたいだけど、濡れずにこれたかい?
 
 柔らかい声が僕を迎えた。僕は無性に祖母の顔を見たくなって、半分靴を脱ぎ捨てるような形で台所へと急いだ。祖父の呆れたような愉快そうな笑いが背中に当たった。
 台所にいたのはいつも通りの祖母だった。髪はくしゃくしゃで、背筋はピンと伸び、その対比が不思議に親しみやすい印象を作っていた。僕にはその姿が無性にありがたいものに思えて、台所に飛び込んだまま立ち尽くしてしまった。なぜだろう?機会が少ないとはいえ、彼女と会う機会なんてそう少ないものでも無いはずなのに。同じ感情を、僕は母と弟、そしてさっきまで手を握っていたはずの祖父に対しても抱いた。フローリングの冷たさを強く感じながら、僕は僕自身が発した問いへの答えに気づいていた。
 終わりは誰しもにも平等に存在していて、だからこそ僕らは僕らとしていられる。自明のことだけど、それが僕にとってはなくてはならない事実なんだ。
 当たり前のものがひどく愛おしく思えて、僕は小さくくしゃみをした。
 
 
 今となっては、その後食べたであろうカレーの味も朧げなものとなってしまった。前述した印象だけは残っているものの、具体的な塩気や辛さを直接思い出すことはできない。それはあくまで、街のインドカレー屋で出されるものや、自分で夜ご飯に作ったものと対置されるようにしか僕の前に現れてはくれない。祖父母が死んで数年が経った今では、もう誰もあの味を再現することはできないだろう。思い出の味というのは材料を揃えれば再現できるものではない。作る人や作る場所、時間、そしてそれを食べる人の味覚と認識があって初めて成り立つものだからだ。祖父母の住んでいたマンションは今は大きなショッピングモールに建て替えられてしまった。僕は今二十一歳で、市販品よりも美味しいカレーの味をたくさん経験している。でも、あの味はひとつしかない。そしてそれが一番大事なことだ。もう再現できなかったとしても、優れたものが他にごまんとあろうとも。ありきたりで取るに足らない事実だけど、この命題は覆せない大切なものだ。
 僕は今でも、あの車の中で聞いていた音楽を聴いている。カーステレオではなくスマートフォン上で、イヤホンを介してではあるけれど。日本語ではモニーク・アースと呼ばれるフランスの名ピアニストが演奏する、ラヴェル作曲『クープランの墓』の一曲目、プレリュード。第一次世界大戦で失った友人たちに向けてラヴェルがささげたこの曲は、今でも僕の心に静かに雨を降らせて、僕の輪郭をかたどるように、さらさらと流れる小川を作り出している。
 
 


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